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ブラジル沖縄県人会
     沖縄県人会だより  (最終更新日 : 2006/05/05)
2004年08月号

2004年08月号 (2004/09/09) 沖縄方言【ちむどんどん】胸がどきどき


リトラル沿線九支部との交流 横とのつながりしっかりと

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 リトラル沿線9支部との交流、横のつながりを大切に支部交流が再開した。
 宮城調智会長は、「縦の力、横の力の和が肥やしになってウチナーンチュの大きな花がブラジルに咲きます」と挨拶された。
サンパウロ市より五台のバスを含め、約五〇〇名の参加で素晴らしい盛り上がりを見せた。
今回の交流はイタリリー支部長の屋良朝徳氏の同窓生である西原篤一(在沖縄ブラジル協会長)氏がボリビアのコロニアオキナワ入植五〇周年記念式典に参加の途中で、ブラジルに立ち寄られ交流に華を添えてくれました。
開幕古典演奏よりフィナーレの琉球国祭り太鼓まで、二十あるプログラムを滞りなく盛大に終了し素晴らしかった交流に皆満足して帰路についた。
 まだまだ続く地方支部との交流は、支部の人達と膝を交えて会のあり方について話し合い、親睦を深めることが県人会組織を存続する上でもっとも大事なことではなかろうか。
九支部長を紹介すべきだった事。交流はイタリリ支部会館で行なわれたこともあってイタリリ支部長の挨拶だけになってしまった事。事前に、九支部長との合同打ち合わせが、不充分だった事等、今後交流を続けていく上で反省しなければいけない事項である。
イタリリ支部始め、沿線支部の婦人会によるおもてなしに厚くお礼を申し上げる。
元気の出る山羊汁の提供ありがとう御座いました。
幾年ぶりに語り合う旧友との出会いに話が弾む微笑ましい場面もあった。
琉舞協会の皆さんの優雅な舞、イタリリ民謡愛好会の民謡披露 そして初舞台。
西原篤一氏は作詞、作曲も手がけれる、この度は新曲「祝い花」を知花広繁さんが唄いあげ、大喝采を浴びた、又斎藤サトル君による流れるような軽快な琉球舞踊、最後は琉球国祭り太鼓、全員カチャーシーで締めくくった。
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山城 勇 評議員会長 サンパウロ市名誉市民権受賞

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サンパウロ市 名誉市民権(Titulo de Cidadão Paulistano)
元ブラジル沖縄県人会々長、現評議員会々長、山城勇氏に対し、サンパウロ市議会より名誉市民権が贈られた。
山城勇氏の永年にわたる、ブラジル沖縄県人社会はじめ日系人諸団体の社会的、文化の向上発展に寄与された事の賜物であります。私たち会員は心から敬意を表し、このたびの慶事を共に喜び、誇りとするものであります。
授賞式後は琉球舞踊、琉球民謡、最後に琉球祭り太鼓を披露し、おそらく市会議事堂始まって以来の、サンパウロ市民権、文化功労賞の授賞式となった。
栄誉ある授賞式に議会議事堂で、琉球伝統芸能を沖縄県系人によって披露出来た事は、おそらく市会議事堂始まって以来の快挙といえる。
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浦崎直秀・西原篤一両氏 サンパウロ市文化功労賞受賞

サンパウロ市 文化功労章(Mérito Clutral)
在那覇ブラジル名誉領事・沖縄ブラジル協会々長 西原篤一氏はブラジルと沖縄の文化交流に多大な貢献をされたことを認められ、サンパウロ市議会より、文化功労章を授与された。誠におめでとう御座います。
当日は午後3時より市会議事堂にて約50名の出席者の中、西原篤一氏の功績を称え、ウイリアン・ウー市議会議員より文化功労賞が贈られた。
西原氏はお礼の言葉に続き、沖縄の三線を披露し、出席者の喝采を浴びた。議事堂で琉球音楽を奏でるのは、市会議事堂始まって以来の事だろう。
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比嘉憲司さんパーランクー寄贈

沖縄でちんだみ(調弦)工芸、三線の店を経営されて居られる比嘉憲司さんより沖縄の伝統芸能太鼓に無くてはならないパーランクー(小太鼓)10個、そしてサンバをお土産に頂いた。ブラジルで琉球芸能普及、発展に活用させてもらいます。
比嘉憲司さんは昨年移民九十五周年記念事業の一環として沖縄県人会大サロンで開催された、沖縄物産展ブラジル誘致に沖縄県側での協力者としてご支援くださった方で、県人会との繋がりも深い。
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第十二回バレーボール大会

実行委員長:源河シダ
副実行委員長:前田徳栄
日時:八月一日 午前七時三〇分開始
参加チーム:男子十八チーム 女子十七チーム
成績:
男子
優勝 サンカエターノ Aチーム
二位 サントス Aチーム
三位 カーザベルデ Aチーム
四位 サンマテウス チーム
女子
優勝 サントス Aチーム
二位 サンマテウス チーム
三位 カンポリンポ チーム
四位 カショエイラ チーム


第二十五回柔道大会

実行委員長:島袋安雄
副実行委員長:石川広明
日時:八月十五日 午前一〇時開始 県人会大サロン
県人会主催柔道大会は、聖州柔道連盟会長フランシスコ・カルバーリョ・フィリョ他柔道連盟の先生方をむかえて、盛会のうちに終了した。
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ジュニアスタディツアー帰国

ジュニアスタデイツアーに参加した比嘉理恵デボラさんと、知念真由美さんの帰国報告、「このような素晴らしいチャンス与えて下さった、沖縄県人会の皆さんに感謝します。沖縄は海も景色もとてもきれいで、沖縄の親戚の方とも話し、とても親切にくれた、今後は日本のことをもっと勉強して、沖縄に留学できるように頑張りたい」と2人は目を輝かせて感想を述べていた。
引率者の、与儀昭雄さんは、他国の参加者は、事前にいろいろと準備をして、歓迎パーテイ等ではそのお国柄を良く表していた。例えばアルゼンチンのジュニアはタンゴを披露するとか、又「服装も揃いの制服でクラシャーを胸に名刺まで用意していた、事前に用意していることについて良い反省になった」と話していた。
ブラジルはサンバの国情熱の国で、サンバでも踊って見せたら、皆びっくりしただろうと思いました。次からは、事前に選考を行い、その準備をしておくことも必要である。理恵さんのおばあちゃん比嘉光子さんとお父さん。そして真由美さんのお母さんが参加した。8月末までポ語でのレポートの提出が義務。比嘉光子さんより、二万円のご芳志を頂戴しました。お礼を申し上げます。


具志堅ルイス大臣インタービュー

一〇〇周年を目標に
ブラジル一の権力を握る日系二世
グシケン大臣が語る、日本が自身にもたらした影響とは
(セルソ・キンジョウ記者聴取)

 私はアラサツーバ地方のオスワルド・クルスというところで生まれました。コーヒー栽培の最盛期に日本人一家が多く集中していた地域でした。14歳になるまでをその地で過ごし、その後プレジデンテ・プルデンテ市に移り、1969年頃まで暮らしました。以後、サン・パウロ、インダイアツーバ、ブラジリアと移転しました。私の経歴は、地方の『コロニア』(日系社会)で築いた人間関係に頼るところが大きいです。サン・パウロ市においても、政治界に入る以前は、いつも日系二世の輪の中に属しておりました。リベルダーデ区のダンスパーティや、青年クラブなど、日系二世が出入りする所に通っていました。
 先日、妻と時代劇の映画を観ていましたら、妻が、結婚する前はよくガルボン・ブエーノ街のニテロイ映画館に鑑賞に行ったね、とコメントしました。私自身もすっかり忘れていたことでした。そういう事も含めて、私の人格形成には日本の文化というものが深く結びついていることが明らかです。しかし、日本語は話せません。その上、両親は、沖縄の出身ですので、その地方の言葉を話します。もう一点、文化の影響と言えば、沖縄独特の音楽の楽しみ方も挙げられます。沖縄の人は集会を開いて、歌ったり、踊ったりするのが大好きなのです。週末なども、親戚一同が会して、三味線を演奏して、歌ったり、踊ったりしたものです。三味線とは、沖縄を発祥とする楽器で、私は今日でも沖縄の伝統音楽を聴きます。これらの伝統音楽は大体は切ないものであったりしますが、私は大好きです。
 沖縄の人の特徴は、従来の日本人と異なってさほど厳格ではありません。より好意的であります。しかし、文化面では同等に匹敵します。また、家族に対しては、ある種の規律がり、名誉や忠誠、労働、そして責任感を大変重んじています。これらは私にも深く根付いた価値でもあります。私と言う人間の一部は、特に道徳の側面では、以上の価値で形成されていると言えます。
 私はおじや祖父母の家に暮らしたことがありしました。同様に兄や父も、他のお宅でお世話になった経験があるため、父はおじ達や祖父母に対して常に敬意を抱くことを教えてくれました。規律に関しては、父は、仕事にせよ、学校にせよ、全てにとても厳しい方でした。私にとってマイナスに影響したという点では、自分自身に対する愛情と誇りに関係する面が挙げられます。真っ直ぐな性格が、あまりにも正直な行動を生み出すので、時として、自由奔放に行動ができなくなることもありました。あの当時は、この阻止されているものに苛まれ、あまりにも厳格なモラルの鎧を身にまとっていることで、大きな飛躍ができなかったこともありました。
 また、上下関係というヒエラルキーにも深く影響を受けました。ある時期はこのことに反抗しました。今日では、これが基礎となっていることを認識しています。これは東洋的な考え方で、先輩、あるいはより多くの知識を有する者に対して、尊敬の念を抱かせることにあります。
 これらはとても優れた価値で、私にとっては、日本的な価値を持つ家族のおかげであると思っています。現在、政治の最高峰において、これらの価値は人間関係を築く上で決定的な要因となっています。たとえば、政府の中で、私には個人的な欲望が一切ないことが明らかです。1998年に下院議員を辞任して以来、政治から手を引きました。なにしろ、政治というものは、何らかの欲望がある人が関るというものですから。しかしながら、私の場合、これらの価値に支えられたからこそ、政治的な欲がなくても、人々が受け入れてくれたと思っています。東洋、日本、沖縄の形成それ自体が、私の基礎をも形成し、また今日、ここに私がいることを可能にしているのです。
 家族という概念、家族内の信頼関係は非常に大切にしています。組合の政治に関っていた1979年から84年の間に、これらの価値が後退した時期がありました。絶対自由主義的な考えにとらわれており、そのために、家族に繋がっている概念が損なわれてしまったのです。このときの傷はずっと後になって癒すことになります。この時期に感じた、一種の、伝統ある価値の否定は、全てのことに対する疑問でもありました。54歳の年齢を迎えた今日では、考え方は変わっています。
 家族という概念は、全ての鍵であると思います。昔の社会は家族を中心に構成することが常でした。単一の中心概念である家族をやや破壊するのが、絶対自由主義的な考えであると思います。左翼は今日では、それは儚い理想であることを認識しています。
 家族構成で最も優先さるべきものは、固く結ばれた絆です。何故、それを大事に思っているかとお聞きですか?私が生きてきた時代とは異なっているからです。私が生きてきた時代の社会にはある種のバランスがとれており、予測可能な時代で、親は子に対して何を提供できうるかを知っていました。この頃は、予知しえないことだらけです。学校の門には、麻薬の密売人がいるかもしれません。教室には、麻薬中毒の同級生が座っているかもしれません。これらのことは、私に、あるコンセプトを植え付けることを可能にしてくれました。子供達によい影響を与えるためには、「輪」を狭めなければならないことです。社会が彼らに影響を与える能力はあまりにも強く、外部からの要因を私達が知ることもできないので、家族の中で支配する必要性があります。妻のエリザベッチはよくこの様に言っていました。「外の世界では手の下しようがない。子供達をしっかりと規制しなければならないのなら、ショック療法で行くしかない。」彼女が言っていたショックとは、拘束衣を着せることではなく、価値のショックを意味していました。妻は非常に興味深いことを実行していました。私はいつもその方法に関心していました。我が家を子供達の友達の共存スペースにしたのです。子供らは頻繁に我が家に泊まったものです。妻いわく、「子供達が付き合っている友達をよく知ることができるから」だそうです。とても賢い方法だと思いました。

−規律−
 父も決して厳格な人ではありませんでした。悟られないようにそうした価値を私に伝授した可能性はあります。例えて言えば、私自身、ある目的を達成できなかったときは、苦しみを味わうことがしばしばありました。バネスパ銀行に勤め、USP(サン・パウロ大学)で哲学を専攻していた時代のことです。GV(ジェツリオ・ヴァルガス財団の経営学スクール)を目指すことを決意しました。頭をよぎったのは「受からないかもしれないが、4回受験してみよう。それから諦めよう」という考えでした。当時の私は、機会を逸することは許されない、と考えていました。どうしても銀行で働いて、大学に通って、しかも他の学問もしたかったのです。さて、どう切り抜けたのでしょうか?規律です。午前7時から7時半までの間は、仕事場のトイレでエロドト・バルベイロ教授の専門書を読みました。隠れてですよ。これは規律という考えです、またミスを犯さないようにとの考えでもありました。一方で、規律というものは大事でしたが、他方で、負けてはならない、という気持ちは優れているものとはいえませんでした。現在でも、負けてはならないという欲求にかられることがあります。この、負けてはならないという気持ちは、子供達には受け継いで欲しくはないものです。受験に戻しますが結局二回目で合格することができました。
 さて、大学の資金ですが、これはコロニア(日系社会)の協力を得られることができました。日本人は、道徳面で非常に進歩的な習慣があります。それは、「たのもし」と呼ばれる無尽です。無尽は金融的な活動である前に、社交的でもあります。参加者が一定の掛け金を出して、毎月抽選を行なうのです。貰った者は、他者が必要であると思えば、そちらに権利を回す。この習慣は、先ほど申しました通り、非常に道徳面で進んだ社会にしかできないものです。何故かと言えば、誰か一人が無尽から抜ければ、全員が損害を被るからです。そこで、道徳という概念が持ち出されるのです。今日、如何にこのことが重要で、決定的であるかが分かります。相互協力の無尽は、現在ある社会問題の多くを解決できることでしょう。結束力が必要です。その根底にあるのはモラルで、日本人にはその徳が備わっていた。「日本はどういう風にブラジルの役に立っているのでしょうか」と質問されるときに、私は、私たちにとって重要とされる価値の設定に大変な助力をしたと言います。
 第一に、広義の道徳というものです。人々は、日本人が誠実であると知っています。不誠実な日本人というのはまず珍しい。不誠実な人は例外です、やはり標準は誠実です。日本人は社会の構築に決定的な要素を持ち込んでくれたのです、それは道徳に他なりません。
 第二に、労働、規律、根気。大学に受験における日系人の合格率をみてください。それをみて誰かが、日系人は理数系に優秀であるのは、文化的背景か、或いは遺伝によるからである、と発言します。しかし、それだけではありません。規律、道徳、秩序の観念、根気というものが兼ね備わっていなければ、可能ではないのです。数学は、厳密な方式に支えられているものですが、それは、社会学における直観とは異なります。数学は、論理だったものの考え方が支配し、規律が基本です。自らが自由に作り出す文学とは違って、出発点からの因果関係があります。
 つまり、日本人はある種の態度の表し方で貢献しています。時の経過と共に、それは徐々に薄れて行きますが、根元は残ります。これはいわば日系人のトレードマークになったのです。私自身も人間関係の中でそれに気がつくことがあります。多くの人は、私のこれまでの人生に、私の原点、または「コロニア」として表される一面がどれだけ有益であったかを知らないのです。ですから、私は社会全般に対する責任のみならず、コロニアにおいても、二重に責任を感じるのです。
 昨年、サン・パウロの沖縄県人会で、沖縄から市長や知事の御一行が会議を開きました。私は次のように言いました。「沖縄の貴方達の目には、私がコロニアの出身で、日系社会の最高地点に到達した者であると映っていると思いますが、『果たして彼は日系社会を代表するに相応しい人だろうか?』と常に疑問視しているとも思います。しかしながら、ご安心ください。私は期待を破るような真似はいかなる場合も致しません。」
 あの場で、出席者が抱いていた不安に何らかの答えを出さなければならなかったのです。その価値は、私にとっては神秘的なもので、原点そして、今日、私がいるポストにあるものなのです。もしそれらの価値がなければ、ルラ大統領にも一生呼ばれることがなかったと思います。
 また日系人自身も、この様な大切な遺産に対する自覚がありません。時折、「まったく、今時の若者は、ブラジルの社会心理学の構造に、彼らの両親や祖父母が果たした役割の意味を分かっているのだろうか」と考えます。彼らはその意味が分からないのです。若者は、時として、溶け込むために、原点を否定することがあります。これは自然な現象でもあります。異なる文化を統合するということは、様々な争いを生ぜしめた差別を乗り越えなければならない難しい挑戦であるからです。

具志堅大臣とのインタビュー
オ・エスタード・デ・サン・パウロ紙(2004年7月26日特集)

セルソ・イワオ・キンジョウ記者は日系二世で、1918年に沖縄から渡伯したキンジョウ・コウセイの6人の子の末っ子である。母、ウト・ミヤダイラ・キンジョウは、ブラジルに笠戸丸が上陸して最初に生まれた日系二世である(1908年11月29日)。


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