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     ニュース・出来事  (最終更新日 : 2008/08/25)
沖縄県人会ビラ・カロン支部創立50周年記念法要・式典 [全画像を表示]

沖縄県人会ビラ・カロン支部創立50周年記念法要・式典 (2006/09/13)
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記念式典で式辞を述べる高安支部長(松本浩治撮影)
 沖縄県人会ビラ・カロン支部(高安宏治支部長)の創立五〇周年記念式典および敬老会が二十七日、聖市同地区の支部会館大サロンで開催された。午前中は同支部で初めての仏式による先没者慰霊法要が行われ、この日のために過去帳が作成された。午後二時からの記念式典・敬老会には、会場が超満員となる約四百人が詰め掛け、半世紀の節目の年を祝った。
 ビラ・カロン支部は一九五六年、上田幸明氏、上原清吉氏(ともに故人)が中心となり、小橋川浦助氏を初代支部長として、当時わずか二十七人の会員により創立した。
 縫製業、スーペルメルカード、パイテイス業、金物業、化粧品などに従事しているウチナーンチュが多く、現在の会員数は四百五十家族、二千二百五十人と全伯一のマンモス支部として様々な活動を実施している。
 第四代支部長で午後からの式典で功労者表彰を受けた長老格の山田義秀さん(九三)の話では、六九年、七〇年の支部長時代にはまだ会館がなく、「その頃の会員数は二十人に満たなかった」という。ビラ・カロン区で初めてパステイス業を導入したという山田さんは、「現在の会館前のカンポ(運動場)は、以前は湿地帯の水溜りで、カミヨンで四十台分の岩や土を運んで埋めて地ならししましてな。私らは五八年に(聖州)ツッパンから移って来て、会に入ってすぐにペンニャやタツアペに寄付集めに行かされましたが、その当時は車を持っている人もおらず、歩いて周りました」と当時を振り返る。
 また、縫製業に機械化の導入を行った同地のパイオニアである高良米三さん(七〇)は「その頃は新しいミシンなどを買える人も少なく、ミシン修理もよく頼まれてやったよ。自分の(縫製の)仕事もあるから修理を始めるのは夜の十一時くらいから。朝まで修理をして、そのまま、ぶっ通しで次の日の仕事をすることも多かった。そういう生活を十二年も続けたよ」と語り、目に涙を溜めていた。
 午前九時からの支部初めての慰霊法要は、野村流古典音楽保存会ブラジル支部、琉球筝曲保存会ブラジル支部による献楽の儀、留学生OBによる献花・献茶の儀により開始。高安支部長が追悼の辞を述べ、先人たちが異国の地で困難に遭遇しながらも、「いちゃりばちょーでぃ(会えば皆兄弟」の気持ちで指導してきてもらったことに感謝の意を示した。
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午前中に行われた同支部初の先没者慰霊法要(松本浩治撮影)
 引き続き、同支部創立者の一人、故・上田幸明氏の子孫代表で前ビラ・カロンの副区長だった上田エドワルド氏が、自らの祖先の歴史を振り返った。
 曹洞宗佛心寺導師の読経により、出席者全員が焼香を行い、慰霊法要は閉会。午後二時から開始された記念式典には、与儀昭雄沖縄県人会長、与那嶺真次沖縄文化センター理事長、清水オリジオ・スダメリス銀行専務のほか、母県から西原篤一沖縄ブラジル協会会長ら来賓も出席。今回、出席できなかったものの、「CHARM SCHOOL」代表の久保田照子氏、比嘉辰浩琉球新報社社長、富田裕次海洋博覧会管理財団理事長の三人から、沖縄を象徴する「首里城」を描いた幕が同支部に寄贈され、舞台上には首里城の赤色が映えていた。
 高安支部長、新垣信光老人会会長、知花春恵婦人会長による式辞、来賓祝辞、母県から稲嶺惠一県知事、翁長雄志那覇市長の祝電が代読されたあと、功労賞・感謝状が贈呈。功労者として前出の山田さん、上原武夫さんが表彰されたことをはじめ、歴代支部長、歴代婦人会長、スポーツ・文化部門、区長五年連続勤務者、特別協力者、海外特別協力者など合計四十人にそれぞれ記念品と賞状が手渡された。 
 式典後は敬老会となり、今年は八十歳以上の高齢者九十九人の名前が一人ずつ読み上げられた。この日は最高齢者の仲間節子さん(九九)も元気な姿を見せ、祝賀演芸会を楽しんでいた。(サンパウロ新聞 06年9月5日掲載)
 



 


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