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     ニュース・出来事  (最終更新日 : 2008/08/25)
笠戸丸移民の父親の三線を保管する宮城清信さん [画像を表示]

笠戸丸移民の父親の三線を保管する宮城清信さん (2007/11/12)
宮城清信氏.jpg
亡き父・伊八さんの三線を手にする清信さん
 「グランデ・イモーショナル(大きな感動を受けました」―。笠戸丸移民だった父親、故・宮城伊八氏の四男にあたる宮城清信さん(七二、二世)は、二十八日に行われた「ブラジル読谷村人会のあゆみ」出版記念祝賀会の席上で、こう語った。自ら会場に持参した父親の形見である「三線」を、同編纂委員長の知花真勲氏が舞台上で弾いたことへの感想だ。ブラジル読谷村人会(知花良信会長)はもとより、宮城さんにとっても記念すべき一日となった。
 同記念誌によると伊八氏は、一九〇八年の渡伯後、奴隷扱いだった配耕先のコーヒー園を夜逃げしてサントスへ辿りつき、港湾人夫などの職業を転々と重ねたという。一五年には、第三回移民の比嘉カメさんと結婚。サントス近郊で野菜農園を営み、約二十年にわたって同地で暮らした。
 宮城家は、現在までに五世までの誕生にいたる家族史が形成され、親族は総勢七十人にもおよんでいる。
 伊八氏は六二年、七十三歳で亡くなったが、一九歳でブラジルの土を踏んだ時には沖縄から「三線」を持参していた。サントスで生まれで、現在沖縄県人会本部の補充監査役である清信さんは、百年以上にのぼる歴史あるその「三線」をこれまで大切に保管してきた。 今回の記念誌編纂にあたり、編纂委員の宮城あきら氏らは今年三月に偶然、清信さんが笠戸丸移民の子弟で、父親が読谷村出身であることを知った。さらに、伊八氏が持ってきた三線のことを聞き、「これは、すごい」と急きょ掲載することになったという。
 二十八日の出版記念祝賀会で、知花氏の三線を弾いている姿を見詰めていた清信さんは、「親族以外に三線を弾いてもらったことはなかったが、本当に感動している」と満足した表情を浮かべていた。(サンパウロ新聞2007年10月掲載)
 
 


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