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     ニュース・出来事  (最終更新日 : 2008/08/25)
花城淑子さん100歳誕生祝賀会 [画像を表示]

花城淑子さん100歳誕生祝賀会 (2008/05/10)
花城淑子さん100歳誕生日 108.jpg
満足した表情で誕生ケーキの火を吹き消す淑子さん(中央)
 「思いがけない皆さんの歓迎に、びっくりしています」―。08年4月15日に100歳の誕生日を迎えた花城淑子(よしこ)さん(沖縄県名護市出身)の一世紀の節目の年を祝う記念パーティーが、同20日正午から聖市パウリスタ大通りのホームズ・クラブで開催され、沖縄県系、日系社会関係者ら約700人が出席した。100歳になった今でも目や耳が不自由なく、心身両面で元気な生活を送っている淑子さん。この日、家族たちに囲まれながら大好きな琉球民謡を口ずさむなど、充実した1日に満足した表情を浮かべていた。
 祝賀会では、レキオス芸能同好会による太鼓に合わせ、10数人の孫、曾孫たちに車椅子を押されながら淑子さんが登場。その元気な姿に会場からは拍手が送られた。
 沖縄独自の祝いの曲「かぎやで風」の合同演奏に引き続き、親族を代表して甥の屋嘉比康広(やかび・やすひろ)さんが淑子さんの略歴を披露した。
 それによると淑子さんは、1927年に沖縄県立第3女学校を卒業後、ジアデーマ市のブラジル沖縄文化センターの初代理事長で、第5代沖縄県人会長を務めた故・花城清安(せいあん)さんのもとに嫁ぐため、28年8月、「まにら丸」でブラジルに渡っている。 
 その後、ジュキア線イタリリで22年間、ホテル業や雑貨商を経営。その間、子弟の教育面を考慮して、40年1月に家族7人で日本に帰国したものの、戦争勃発により祖父母に4人の子供を預け、9年間にわたって実子たちとの生き別れを経験した。
 49年、日本に残した子供たちとの再会をブラジルで果たし、翌50年にサンパウロに転住。沖縄県人会や婦人部活動に貢献し、88年には外務大臣表彰も受けている。
 現在では8人の子供、20人の孫、9人の曾孫たちに囲まれ、充実した日々を送っている。
 来賓祝辞として、今月24日の東京での移民100周年記念式典出席のために訪日している与儀昭雄沖縄県人会長の代わりに、松堂忠顕副会長があいさつ。自身が渡伯当時に花城家に世話になったことを振り返り、県人会のエレベーターが故障した際、毎週月曜日に民謡に習っている淑子さんから「早く直しなさい」と指摘されたことを説明。その上で、「今はエレベーターも動くので、今後も後輩たちにご指導のほどよろしくお願い致します」と述べ、さらなる協力を求めた。
 与那嶺真次・沖縄文化センター理事長の祝辞に続き、県人会側から表彰状が淑子さんに授与。出身地である名護市長からも祝いのメッセージが代読された。
 淑子さんは「1人の男性(清安さん)を頼ってブラジルに来て寂しい思いをしましたが、(琉球民謡の)歌を励みに今日まで生き長らえてきました。今日は子供たちの言うままに連れて来られて、思いがけない祝いにびっくりしています。ブラジルに来て自分の言葉を忘れずに、こういう生活ができることはありがたいこと」と、はっきりした口調で感謝の意を表した。
 100歳記念のケーキカットでは、舞台上に花城家の親族たちが登壇して淑子さんを見守り、松堂副会長の乾杯の音頭で祝杯をあげた。
 会場では、琉球舞踊・民謡芸能関係者による舞台が披露され、淑子さん自ら婦人部たちとともに「てぃんさぐの花」「19の春」などを合唱。100歳の誕生日の1日を充実した思いで過ごしていた。(08年4月 サンパウロ新聞掲載)


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