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(最終更新日 : 2010/05/24)
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23/05/2010
200年以上前の三線を公開 沖縄にもない名器7丁
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200年以上前の三線を公開 沖縄にもない名器7丁 (2009/10/12)
写真上:先祖伝来の三線と感動の対面を果たした親川さん
写真下:逸品揃いの三線を手に取る参加者ら
沖縄県人会(与儀昭雄会長)は09年9月12日、同県人会会館でブラジルにある貴重な三線についての第3回目の話し合いを行ない、2百年以上前の物と見られる三線7丁と、譜面が書かれている100年以上前の工工四(クンクンシー)教本を公開した。会員や琉球古典音楽関係者など38人が参加し、1つ1つの三線について、その歴史を紐解きながら手に取るなどして丹念に見入っていた。
笠戸丸移民、宮城伊八氏が所持し愛用してきた三線は、「海を渡った100年の三線」として日本全国で報道され、人間国宝昭喜名朝一師が弾奏しながら紹介したという。持参した息子の宮城清進さんは、「決して他人の手に渡してはならぬ」と、言われて育ったというエピソードを披露。
和宇慶朝幸家の家宝とされてきた三線は、平仲知念型と見られ、母県の沖縄にも残存せず文化財に指定する必要があるとされる名器。朝幸氏の孫息女、大城敏子さんによると、朝幸氏は、死別の前日に弟子の大城盛忠師範を呼んで、三線曲のテープを聞かせ、その正誤について問い、正答した同師範にこの三線を譲り渡したのだとか。
琉球王朝第2尚氏王統第3氏尚眞王に祖系を持つ親川家に伝わる三線は、八重山クルチ(黒木)のウジラミー(渦状)模様。知念績高愛用といわれ、「夜ひとりでに鳴る三線」としての逸話も有名だが、ブラジルに持参した徳太郎氏弟、徳昌氏の孫マルコス・デニス親子は、この逸話を祖母から直接聞いているという。
1926年にマニラ丸で着伯した瀬名波衆伍氏が持参した三線は祖父から受け継いだもの。衆伍氏は、戦後の「勝ち・負け」抗争の中で、沖縄戦災救援のためにリンス・アリアンサ地区で、同郷者らと共に少女歌舞団を組織。この三線は公演活動の際に大いに活躍したとされている。
具志堅永昌氏が1928年の「もんてびでお丸」で持参したのは、小学校教師の祖父虎太郎氏が愛用した三線で、前述の少女歌舞団公演の活躍も光った。永昌氏逝去後、妻のウシさんは、「この200年になる三線は『めおと三線』でオトコはあんたが、オンナは妹に預けて家宝として守って」と、長男嫁の具志堅嬉久さんに譲ったといわれている。
野村流音楽協会ブラジル支部第5代支部長、宮平源善氏愛用の三線は1930年に「らぷらた丸」にて持参された。長男のジョゼーさんは、「どんなにお金に困ることがあろうとも、決して売ってはいけない」と譲り受け、家宝として保管している。
「心」の部分に「写―西平開鏡」「佐久本盛信-作」と記録されているのは、銘苅清昌氏が沖縄を探し歩いて入手した三線。カーザ・ベルデで三線製作にも携わっていた清昌氏が、1978年帰郷した際、「良い三線を」と、一戸の家屋敷を売り払って買い求めた逸品。
沖縄県浦添市の内間安久氏の妻カメさんが、父の形見にと、長男安林氏に預けた工工四は、内間家の仏壇で大事に保管されてきた。
この工工四は、現在の野村流音楽協会や同古典音楽保存会の歌曲配列と異なっているため、非常に研究価値のあるものとされ、史料館展示用にと同県人会に譲渡されている。
西原篤一在那覇ブラジル名誉領事は、「ブラジルでは簡単に買い替えなどできない。先人が家宝として大事に保管してきたのがわかる」と述べ、「このような素晴らしい三線があることを誇りにしてほしい。楽しいとき、苦しいとき、三線と共に人生を過ごしてもらえれば」と、来場者に呼びかけた。
『写真で見る沖縄県人移民史』の編集委員長を務める宮城あきら氏は、「10か月の調査でこれだけ多くの貴重な三線が出てくるとは」と驚いたことを明かし、「素人判断ではなく、鑑定士を呼んできちんと見てもらうべき」と、強調していた。
先祖伝来の三線を初めて手にした親川デニスさんは、「対面できて嬉しい」と、感激の表情を浮かべながら弾奏。感動に包まれた会場では大きな拍手が起り、中には記念撮影をする人も見られた。
同会では、今後も研究を継続し、母県にいる九人の専門鑑定士を呼び寄せ、全伯に赴いて鑑定や登録作業をしていくこと等が話し合われ、満場一致で承認されていた。(サンパウロ新聞 2009年9月23日掲載)
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