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ブラジル沖縄県人会
     100周年記念事業  (最終更新日 : 2008/12/21)
「写真で見る百年史」資料呼びかけで、笠戸丸移民資料など集まる [画像を表示]

「写真で見る百年史」資料呼びかけで、笠戸丸移民資料など集まる (2008/02/20)
写真で見る100年史.JPG
集まりつつある笠戸丸移民の日章旗など貴重な資料
 沖縄県人会(与儀昭雄会長)は、「写真で見るブラジル沖縄県移民百年史」の第10回編集委員会(宮城あきら委員長)と記者会見を18日午後3時から同県人会館で開いた。同委員会では現在の段階で、笠戸丸移民が下船の際に振っていた日章旗や、44年当時、敵性国民としてサントス港で立ち退き命令を受けた時の通行証明書など、写真とともに貴重な資料が少しずつ寄せられていることを報告。6月末の締切を前に、更なる協力を呼びかけている。
 この日の会議では、現在の段階で集められている写真の説明について委員から、単なるキャプションだけでなく、時代背景なども入れてはどうかとの提案があり、委員会として実現する方向で話を進めた。
 集められた写真の中には、1953年当時のパラナ州セルタネージャ市での沖縄角力(すもう)風景をはじめ、40年に国防献金を目的とした聖州チエテ移住地での棉摘み作業や、サンパウロ州プレジデンテ・プルデンテ市から17km離れた黎明(れいめい)植民地での「雄弁大会」などがあり、それぞれについて各委員から説明が行われた。
 18日現在、集まっている資料および写真の点数は定かでないが、この日、沖縄県人関係者から預かってきた貴重な資料として、笠戸丸移民の沖縄県人代表を務めた故・城間真次郎氏が、サントス港で笠戸丸から下船する際に振ったという日章旗が持ち込まれた。
 また、城間氏の娘婿で同じ笠戸丸移民の宮城加那(かな)氏が所持していた1919年当時の馬車の運転免許書や、宮城氏が44年当時に敵性国民としてサントス港で立ち退き命令を受けて所持していた伯国内の通行証明書なども公表された。
 会議には編集委員だけでなく、一般会員も参加して、写真を提供。この日持ち込まれた資料として、笠戸丸移民で聖州ソロカバナ線イツー駅郊外のフロレスタ耕地に契約移民として入植し、その後、ジュキア線のペドロ・デ・トレド市で米作などを行った故・松田太郎氏家族の写真なども提供された。
 委員会側では、「少しずつ貴重な資料や写真が届けられていますが、更なる協力をお願いします」と沖縄県人関係者を対象に呼びかけを行っている。
 写真の送付先、問い合わせは県人会本部事務局長の与那覇朝昭氏まで。電話=11・3106・8823。
住所=Rua Dr.Tomas de Lima,72 Liberdade Sao Paulo-SP CEP=01513-010
Eメール=www.100nen.com.br.okinawa(2008年2月20日 サンパウロ新聞掲載)
  


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