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ブラジル沖縄県人会
     100周年記念事業  (最終更新日 : 2008/12/21)
沖縄県人移民100周年記念式典 [全画像を表示]

沖縄県人移民100周年記念式典 (2008/08/26)
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安里副知事(右)から表彰状を手渡された100歳の花城さん
 「ぐすようめんそーち いっぺいにへいでーびる(皆様お越しいただき大変ありがとうございます)」―。沖縄県人移民100周年記念式典が、8月24日午前10時半からジアデーマ市の沖縄文化センターで開催され、日本から安里カツ子副知事、高嶺善伸県議会議長ら約7百人の慶祝団をはじめ、北南米、アジア諸国など各国からの県系人を中心に約4000人が出席。1世紀の節目の年を祝った。式典後の芸能祭では、移民劇と琉球舞踊を交えた「100年の流れ」を表現。世代の移り変わりの中で、ウチナーンチュ文化伝承の重要性が改めて強調された。
 記念式典のこの日、前日の前夜祭とは一転した晴天に恵まれ、夏を思わせる暑さの中、会場ではウチナーグチ(沖縄方言)が飛び交い、約3000人が収容できる大型テントに入りきらない人々で溢れかえった。
 午前10時半から始まった式典は、ジアデーマ交響楽団による演奏とコーラスで日伯両国歌が斉唱された。
 開拓先没者への黙祷に続き、与儀昭雄実行委員長(県人会長)が挨拶。第1回笠戸丸移民781人のうち、325人が沖縄出身者だったことに触れ、先人たちの苦労の上の貢献により現在の発展があることにも言及。「新しい100年に向って日系コミュニティの将来、母県との関係について反省すべき機会であると思います」と述べ、母県や各国からの慶祝団や、移民を受け入れた伯国への深い感謝の意を示した。
 引き続き、安里副知事が仲井眞弘多県知事の挨拶文を代読。戦後63年が経過した現在、母県沖縄が世界のウチナーンチュの支援により発展を遂げたことに感謝、ブラジルと沖縄とのさらなる交流推進を期待した。
 高嶺県議会議長、西林万寿夫サンパウロ総領事、宮城篤実市町村代表、西原篤一沖縄ブラジル協会長、矢野敬崇県連副会長、神谷牛太郎市議、ジョゼ・フェリペ・ジアデーマ市長、パウロ・テイシェイラ連邦下議ら来賓祝辞に続き、県側からの目録が与儀委員長に贈呈。史料館建設費用として県、市町村、西原氏から計4000万円に上る寄付金が手渡された。
 県系人特別・一般功労賞、海外功労者、伯国44支部と、12人の百歳以上長寿者、177人の90歳以上高齢者にそれぞれ安里副知事から表彰状と記念品が手渡され、受賞者を代表して宮城調智元県人会長が謝辞を述べた。
 式典締めくくりとして翁長雄志那覇市長により万歳3唱が行われ、ブラジル、日本、沖縄の繁栄を願って「万歳、万歳、ビーバ」と3回ずつ計9回にわたって発声。会場は歓喜の人波で揺れた。
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舞台上での鏡割
 舞台上での鏡割りのあと昼食に移り、前日の夜から準備されたという7頭の牛と4頭の豚の丸焼きが出席者の胃袋を満たした。
 長寿者表彰を受けた花城淑子さん(100、名護市出身)は「自分は100歳まで生きるとは思っていませんでしたが、家族や皆さんが大事にしてくれました。今は何と申し上げてよいか分かりません」とはっきりした口調で喜びを表していた。
 「長生きして良かったよ。腹いっぱい食って遊んで歩くのが今の楽しみよ」と豪快に笑うのは、高齢者表彰を受けたサントアンドレ市在住の高江洲盛吉さん(95、糸満市出身)。1934年に「はわい丸」で渡伯し、カンポグランデ(マット・グロッソ州)でコーヒー栽培に従事したあと、48年にサンパウロに出てきたという。
 沖縄出身の人気歌手「BEGIN」からのビデオメッセージ「島人(しまんちゅ)ぬ宝」と沖縄県人移民の歴史ビデオ上映後、午後2時40分から行われた芸能祭では23団体の協力を得て、100年の流れをテーマにした劇と琉舞を交えた舞台が披露。戦前・戦後を通じたブラジル沖縄県人の歩みを1世と若い世代が一緒になって熱演し、フィナーレは健康と発展を願ってカチャーシーで締めくくられた。(2008年8月26日付け、サンパウロ新聞)

 
 


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