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(最終更新日 : 2008/06/10)
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移民先人の心忘れないで 金城山戸の写真胸に
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移民先人の心忘れないで 金城山戸の写真胸に (2008/06/10)
金城山戸の写真を手にする上江洲さん(左)と与儀会長
【神戸】50年前、沖縄からブラジルへ移住した上江洲清さん(69)=うるま出身=は28日、「笠戸丸」による移住者で日系歯科医第1号の金城山戸=南風原町出身=の写真を携え移民100周年記念行事に参加した。「100年前のこの日、神戸を離れ、故郷への思いを抱きながらブラジルで亡くなった金城や沖縄県人をしのんだ」。現在、滋賀県に暮らす上江洲さんは、自らの移民体験と重ねながら、ブラジル移民の街・神戸で苦難の移民史と現在日本で懸命に働く出稼ぎ日系人に思いをはせた。
1981年、上江洲さんは県内で発刊されていた雑誌への寄稿のため金城を取材した。「その時の写真が貴重な1枚になった」。同じ「笠戸丸」移民で移民し、賭博師となったイッパチこと儀保蒲太と同郷で、さまざまな逸話を持つ金城は88年、移民80周年記念式典の直前に他界した。
「笠戸丸」から50年後の1958年5月、上江洲さんは那覇港から神戸経由でブラジルに渡った。「岸壁とつなぐ別れのテープが切れ、海に沈んだ瞬間、もう沖縄へは戻れないんだと思った」と振り返る。
ところが80年代以降、日本へ出稼ぎするブラジル日系人が急増。上江洲さんも6年前から国内で働くようになった。そこで見たのは日本の環境になじめずに苦しむ出稼ぎ者の姿だった。「ブラジルへ移住したまま行方知れずとなった日系人は少なくない。逆に今は日本に出稼ぎに来たまま音信不通になる人が多い」と上江洲さんは語る。
現在、滋賀県内でブラジル日系人40家族が生活するビルのマネージャーを務めている。2家族は沖縄県人だ。「ブラジル日系人は勤勉、正直という2文字を胸に働いてきた。その気持ちを忘れないでほしい」と上江洲さんは切望する。(琉球新報 2008年4月29日)
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