カイロプラスティック師: 雨沼 光男さん (2003/04/10)
| 氏名 | 雨沼 光男 | 住所 | サンパウロ州 サンパウロ市 | 職業 | カイロプラスティック師 | 生年月日 | 1950年代 | 出身地 | 埼玉県 | 渡伯年月日 | 1983年渡伯 |
2001年5月
※ブラジルに来た理由は?
日本カイロ師会というカイロプラスティックの団体があるのですが、そこから3年間の契約で派遣されたわけです。ブラジルに行きなさい、という先生の一言で決まりました。
※やっぱり先生の言葉は絶対なんですか。
そうですね、この世界は。先生は手取り足取り教えませんからね。見て盗むって感じです。修行ですから。だから患者さんを最初は触らせてもらえません。はじめは掃除からです。厳しいです。あれから18年たっていますけど今もそういうとこですね。
※どうしてまたカイロプラスティックをやろうと思ったんですか?
最初に針灸の方からまず入ったんです。親戚の方に針灸をやっている人がいたこともあって、うちの親が手に職をつけなければいけないという考えの人間だったんです。鍼灸の学校を卒業してからカイロの方の学校に行きました。通算22年になります。
※ブラジルはあんまりカイロプラスティックというのはないですね。
私が来た当時はほとんどなかったですね。ですから雑誌やら新聞に出て広めていったんです。あとロータリークラブで会合があったりすると、そこに行って説明したり、実演をしたんです。こちらでは、マッサージと一緒になっているところがありますね。
※マッサージとは簡単にいうとどこが違うんですか?
カイロというのは1895年、アメリカでできた治療法なんです。背骨がずれると、神経を圧迫するんです。そうすると神経の伝達が80%になったり、50%になったりするわけです。その神経をみつけて圧迫している骨を手によってもとの位置に戻し、神経の伝達を100%に持っていくのがカイロプラスティックの治療なんです。ですから本来は予防医学なんです。よくボキボキと音をさせるのはマイプレーションといって音をさせるだけなんです。
※触るとずれているところが分かるんですか。
分からないといけないですね。ここまでいくのに最低10年はかかります。レントゲンをみなくても分かるようになります。
※歩き方だとか、体型をみたら分かりますか?
分かります。普通、骨のズレは3ミリ前後なんです。ですから5ミリ以上ずれることはほとんどなく、そうなると動けなくなります。まず、痛み、麻痺感などを感じます。これが長く続くと神経が細くなっていろんな症状が出てきます。姿勢は大切ですね。
※ブラジル人と日本人と比べて違いますか?
もちろん骨格が違います。横からみたときにブラジル人の女性はお尻が上がって、角度がちがいますからね。最近は少し欧米気味になってきましたけど、日本人はどちらかというと平ら気味です。治療法はほとんど同じです。
※一日多いときで何人くらい治療されるのですか?
全部予約制なんです。目一杯はいれないようにしているんですが、一日20人弱ですかね。ひどいときは、朝8時から夜8時までぶっとうしでやっていました。今は90%がブラジル人のお客さんです。治安が悪いですから、うちは宣伝もしないのですべて口コミです。紹介がないと予約もできません。
※先生はなぜブラジルに住もうと思われたんですか?3年で帰る予定だったんでしょ。
そうです。2年目にカイロプラスティック・クリニックというのを造ったんですよね。それがだめになって閉めることになったんです。その時点で帰ることもできたんですが、永住権があったんでもうちょっとがんばってみようかと思って続けました。あの当時はそんなに治安も悪くなかったですから。子供も2人が日本人学校に行ってましたし、家内も同じ仕事だったんでもうちょっとやってみようか、ということになったんです。
※子供さんはいかがですか?
最初は日本人学校に入れようと思ったんですが入れなくて、半年現地の学校に入って、それから日本人学校に入れて卒業してアメリカンスクール入って、アメリカの大学行って、今日本で働いています。一人こちらで生まれました。
※すごく見た感じがお若いですよね。
身体を鍛えるのが好きなんです。
※今もカイロプラスティックを教えたりしているんですか。
一時やっていたんです。サンパウロ州のシンジカット(組合)で、通算3年間ぐらい教えていました。器用さが必要なのですが、やっぱり、日系人の生徒さんの方が器用です。それに勉強熱心ですね。でも、なかなか育ちません。難しい・・・。ブラジル人はテクニックばかり教えてくれというんです。ですから理論よりもまずテクニック。早く骨をボキボキやってお金もうけしたいという感じです。これじゃ育たないですよねー。
※奥さんも一緒に来られたそうですが、2年たった段階で帰ろうよ、ということにはならなかったんですか?
ならなかったです。もっと居ようよ、とい感じでした。 ブラジルに一生いる気はないですけど、今のところはもう少しブラジルでがんばろうと思っています。年をとったら日本でのんびりくらしたいな、と考えています。
※今後の目標は?
そうですね。建物を大きく造っちゃったんで、もう少しいろんな治療、例えば歯医者さんなんかに場所を貸したり、西洋医学の先生にも入ってもらったりして、やっていきたいですね。
※今の日本の若者たちに対する提言がありますか。
我々の若い頃も「今の若いモノは」っていわれてきたんですけど、子供だけでなくて親にも責任があると思うんですよね。日本の親は全然子供との会話がないと思うんです。こちらに来てよかったと思うのは子供に接する時間があったし、会話がありました。父親をバカにするというか、例えば親父狩りだとか、あれは非常に悲しいことですよね。親ももう少し子供と接する時間をもたなきゃいけないと思います。なんでああいうふうになったんですかね。
※やっぱり子供さんは厳しく育てられたんですか?
そうですね上2人は厳しかったです。かなり。親も年をとるとそんなに厳しくはできないんで一番下には甘いかもしれません。
※家では日本語ですか?
日本語を忘れてしまいますから、家では日本語です。そのせいか学校のポルトガル語の成績はちょっと落ちますね。
※今後の夢は
うーん、カイロの名人になりたいですね。やっとカイロが少し分かってきた感じですけど、まだまだ・・・。私の先生は名人の域に達していますが、やっぱりうまいですね。たった1回の治療で何年も患ってきた人を治しますから、あれはもう名人ですね。
※やっぱるウマイ、ヘタがありますよね。
カイロでも針でも100%治るということはないと思うんです。だから、カイロで治せるか、治せないか、見極めることが大切です。
※最後にブラジルに来てどうでしたか?
日本にいたら、もしかしたら子供はガンクロだとか茶パツだとかになっていたかもしれませんが、ブラジルに来てイジメとかもないし、そういう点ではよかったです。外国に来て視野が広がったこともそれ以上に良かったと思います。ブラジルの治安と政治がもう少し良かったらもっと良くなると思います。
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