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     工業関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
日本間設計施工: 大塚 次郎さん

日本間設計施工: 大塚 次郎さん (2003/04/11)
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氏名大塚 次郎
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業テーブル販売及び日本間設計施工
生年月日1937年
出身地愛媛県
渡伯年月日1961年


2001年8月

※農業移民で来られたんですか?

 私の場合は個人的に知り合いがいて、農業移民できたけれども実際は山には入ってない。オーディオの修理に入ったの。日本でもメーカーにいたからやっぱり自分で作るというのが好きだったです。やっぱり修理ではどうしても満足できなくて自分で作り始めたわけ。かれこれ20年間電気屋さんをやりました。その後テーブルを作ったり日本間を作って現在に来ています。

※またなんでブラジルにきたんですか?

そりゃ、わからんね。若さの到りというもんじゃろ。昭和32、33年ごろは、まだまだ日本は悪かったものね。当時、ブラジルは日本でも明日の大国とかと言われていたでしょ。それがどんどん変って行って明日の国が明後日の国になっていったけどね。当時は日本でも随分と宣伝もあったよ。来たのはちょうど24歳かな。特別これだ、という気持ちを持って来たわけではない、だからやっぱり若さの到りですね。

※ステレオを作って随分売れたという話を聞きましたが。

 そんなこともないけど。作れば作るほど売れたよね。当時は私のように小さくやっていても音で負けなかった。最初の頃はああいうものを作っていたのは小さいところだったの。大きいところというの2つほどで彼らは、販売所をがっちり握っていて専門店があったわけ。だから小さな販売店が買いに来て結構売れました。ただ日本のメーカーがくると、あらゆるところに売っていった。資本の違いもあるでしょ。それで太刀打ちできない。で、内容もどんどん変っていくし、それにくっついていくには資本もいるしね。我々のような小さな様町工場ではやっていかないわけよ。でも当時はお客さんから誉めてもらえれば嬉しかったね。デザインは負けなかった。その頃の小さいものは、私がデザインしたものが主流になりましたよ。それだけは自慢できる。もともとデザインが好きなんだよ。大工は本職じゃないんだけど、和室を設計してもよそには負けない。大工の力で負けても、雰囲気は負けないという自負はもっているよ。

※ステレオの性能はどうだったんですか?

 ステレオの主な部分は日本製を使っていたので性能はよかったよね。日本のものは故障が少ないし、不良品がなかった。ブラジル製は7割が使い物にならなかったからね。
 ダメになったのはオイルショックで部品がはいらなくなったのと回収率が物凄く悪かったこと。買ってもお金を払ってくれんのよ。一番払わないのがアラブ系、こっちが製品を送ったら待ってましたオブリガードっていう感じでそれっきり。
 もともとは親父の名前(大塚伝)を取って大伝という名前をつけたんです。それが大電になったけどね。親父の名前でがんばりましょうというわけ。でもその当時は勢いがよかったよ。月産300位いったかな。ブラジル製の部品がなかったから昼間は部品探しで歩き回っていたよね。

※どうしてまたテーブルを作り始めたんですか?

小さなステレオ作って一般に販売しはじめたんですが、オイルショックで輸入規制になって日本から部品が入らなくなったの。それで在庫品のバランスをくずしてどうしようもなくなったんです。そうです。それと、部品集めや集金なんかで時間がなくなって、以前のようにこんなモノを作ってやろう、って考える時間がなかったわけ。ある日、電気専門誌をみたら、もう内容がわからないんだよ。日本の雑誌でも言葉はほとんど英語でしょ。半年も目を離していると意味がわからなくなってきたの。これじゃいかんわ、と思ったね。以前のようにこんな音をだそうという方向から、どんなにしたら安くできるかっていう方向になってね。それで進んでやっていこうと気持ちにはならない。今までも、作る方にのめりこんで商売の方は二の次になっちゃうんだよね。それじゃないと職人は続かないけど・・・・
当時スピーカーなど木工の部分があったんです。友達がエンブイアという木の産地にいて、私が趣味で作っていたテーブルを彼が見てそんな箱を作るんだったらこれをやらないかと勧めてくれたんです。それまではどうしようもない段階に入っていたから、77年に77で縁起がいいから行ってみようかということになったんです。山に入って切ってきてみんなに見せたらいいんじゃなかということになって、それから現在まできたわけ。
良かったのは初めて早々に日本から進出企業がブームのように入ってきたんです。例えば日本人学校に生徒が1200人ほどいましたから。そんなわけで彼らが喜んでブラジルの記念品として買ってくれたんです。それがブームに乗ったんですが、コーロル大統領以降どんどん落ちていったわけ。

※最初は木の知識もなかったわけですよね?

お客さんから知識も仕入れたという感じ。例えば、一本の木でもどちら向きか分かることを教えてもらったのもお客さんから。すべてを客さんから吸収したんです。やっているうちに凝り性だからいろんな木を集めて、いろんなことをしながら覚えていきました。
この仕事(テーブルを作る)は単純だから乾かすのが大事なんです。次は磨く。それから次第にまた趣味が講じて、知り合いに頼まれて茶室とか和室を作るようになって、そのうちレストランを作るようになった。それが面白くなって、今は大工としてもやっていける段階に入っています。ただ、いまは右から左へという感じではお客さんはいないよね。経済が冷え込んじゃっているから。じーっと我慢するしかないでしょ。

※このテーブルになる木の板は乾燥にどれくらいかかるんですか?

ざっといっても10年はかかる。強制乾燥してもそれくらいかかる。木を乾かすとうのは難しいんだよ。大分苦労して最初の頃はいろいろやってみたけど割ってしまうんだよ。日本に行って強制乾燥できるようなシステムを作ろうと1本40万から50万かかる真空管を買ってきた。結局作らんかったけどもね。なんだかんだやっているうちに、サンパウロ大学にいってそこで大分乾かしてもらったの。幹の方は割れやすいけど根っこの方はそうでもない、それで製品がなんとかできたわけ。

※この木はどこから取ってきたんですか?

 このエンブイアが自生するのは南の寒い地方、海抜700メートルから1200メートルくらい。知り合いの大工がいうには「刃物の利く」木だっていうんだ。家具に適しているんだよ。
 切った跡の山に入って切り株をずっと探していったわけ。150アルケールのファゼンダに入ったけどいくらもとれなかった。密集しているわけじゃないしね。ほとんど道の無いところだからトラクターで入って引っ張りださなきゃいけなかったし。今まで一番大きかった木が直径3メートル半あった。そうすると、ざっと換算しても2、3千年以上だよね。

※大塚さんのテーブルは非常に厚いですよね。

日本が薄いからその逆をとったわけだ。日本は真空パックのように塗装を厚くしているよね。木そのものを仮死状態にするわけ。日本の品物によっては生木をそのまま製品にしている。でも塗装で厚く巻いているからやっぱり見栄えよくないし、手触りも悪いよね。そのためには何年という乾かす期間が必要なんだ。まあ2センチの差があれば2,3年乾燥の期間が変るでしょう。そんなに簡単に乾くもんでもない。また磨くのが大変なんだ。

※今も切り出しはしているんですか?

もう10年以上やってないよ。後はここにある奴と山の小屋にあるだけかな。200~300はあると思うよ。この残ったものから本当に自分の気に入ったものが何枚できるかということだよ。多少は手を加えるけど、もともとの姿でできるだけ作るからね。すぐできるものもあるけど、作っているうちに投げるものもあるし、また気が向いて作るものもあるから何年とはいえないけど、最低ひとつのものを作るのに10年以上はかかるよね。

※今は、日本間を作ったり、日本食レストランを作ったりもしているんですか?

そう、毎晩線を引っ張ったりしているよ。やっぱり好きなんだろうね。図面といっても俺の製図は電気屋製図だから、大工さんに通じるかどうかはわからない。でも、まあ今まで作った店は悪い方じゃないよね。

※そうですね。明るい感じの店が多いですよね。

 嬉しかったのは、大塚の店には雰囲気があるっていわれたことだよね。それを一番基準にしているよ。ブラジルで日本的なものを作るということは、やっぱりそれだけプライドのあるものを作らんと。どこかに見せ場を作るわけや。ね。ブラジル人が見るということも考えないといけないから誰が見てもこれが日本だというものを作っていきたいと思っいるよ。

※今の日本を見て特に若者についてどう思いますか。

今、日本に行くと、どこに行ってもおかしなのがいるね。おかしな髪の毛をして何を考えているのかと思うね。
 我々は一歩離れた目で日本を見られるわけだけど、日本が真剣にやっていることで、おかしいなって思うことがたくさんある。例えば、森首相の問題もそうだけど、教科書問題、関係ないでしょ、って言う感じだよね。あれでは内政干渉だよ、補助金ぼこぼこやっている国にあんなにいわれるのはバカバカしいよ。

※今後どういうことをやっていきたいですか?

そりゃわからん。今が精一杯や。そりゃ夢はあるよ。でもそれは言いたくないね。実行もできんもんが何を言っているか、と言われるからね。やっぱり何かやったという足跡は残したいよ。虎は死んでも皮残す、っていうでしょ。ははは。

※ブラジルに来てよかったですか?

 日本にいたらそれなりの安定した生活はしていたやろ。それでは面白くないしね。私は部分的にはいいところもあったし、悪い部分が多いんだけど。それでも私なりに精一杯生きてきたと思っている。それだけがとりえだと思うし、自信を持っていえる。


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