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     工業関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
製紙業: 金高 繁登さん

製紙業: 金高 繁登さん (2003/04/11)
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氏名金高 繁登
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業製紙業
生年月日1933年10月
出身地広島県
渡伯年月日


2000年7月

※またどうしてブラジルにこられたんですか

来ることを決めた動機は私のほんとうに個人的な理由なんです。海外に飛躍しようなんてそんな大きな夢できたわけではありません。
 1960年にヘミングウエイという作家が猟銃自殺をしたんです。それがきっかけになって急激にヘミングウエイに興味を抱きはじめたわけです。それで南米にあこがれを抱いてきたのかもしれません。ヘミングウエイがこちらに来るきっかけになったことはたしかです。

※日本にいるころは文学青年だったんですね。

日本に広島文学というのがありまして、そういうところに投稿したりしていました。また自分でも同人誌をだしたりしていました。こちらに来てからもコロニア文学に参加したりしました。

※何歳のときに来られたのですか。

28歳です。当時の私達の世代は団塊の世代でありロストゼネレーションなんですね。生まれたときが戦争、生まれる前が戦争でしょう。そんな中で育ったわけですから実際に、人間形成時においての時間というのは失われているようなもんなんです。

※広島出身ということは原爆を体験されたわけですか?

そうです。広島で文学をやっていると原爆体験というのが基礎になるわけです。広島というと必ず原爆体験をしたんですかときかれるんですよね。これはアメリカに行ってもそうですし、どこに行っても聞かれます。何もないですよ、こんなにピンピンしていますよ、と答えますと相手はきにいらないんです。みんな原爆の悲惨な先入観が強いんですね。ただ自分が生きていく体験の中にそういうものを織り込んじゃうと自分というのがなくなっちゃうんですね。
 戦争の体験で一番ショッキングだったことは人間の死というものに鈍感になるということです。感じなくなちゃううんですよ。あんなすさまじいものを通りすぎちゃうと。できれば味わいたくない、味わいさせたくない体験ですね。

※ブラジルでどういうお仕事をされてきたんですか

叔父が鉄工場をやっていたんです。そこで腰をおちつけて手伝っていました。はじめて1年くらいしてからですかね。物書きやっていたんでパウリスタ文学賞に応募したりしていました。

※どうだったんですか

賞はもらいましたけどね。そんなことで、鉄工場でごちゃごちゃするよりも自由にやった方がいいんじゃないかと思いまして、ベレンからいろんなところをまわってにサンパウロにおりてきたこともありました。サンパウロに落ち着くまでに1年くらいかかったと思います。

※その後はどういうお仕事をされたのですか? 社長さんをやられていたということですが。

そうです。日本の企業がジョイントで製紙会社を作ることになったんです。でそれを引き受けてくれないかということになったんです。それまでもブラジルの製紙会社を7つくらい作っていましたから、引き受けることになったんです。
 当時ナショナルバリキャリアというアメリカの会社がアマゾンでユーカリの植林を始めてどんどん生産量を伸ばしていったんです。私はちょうど叔父の仕事の関係で、製紙機械やパルプ工場の建設に携わっていたんで、植林からパルプ製紙事業、紙という領域に足を突っ込んじゃったんですね。それ以来30年やっています。

※お仕事で大変だったことはありますか。

それは苦労ばかりでした。今、ブラジルは工業国のようですが、当時の工業界は今のような恵まれた状態ではなかったです。例えば計器やネジがなくて苦労しました。あってもアメリカネジ、ヨーロッパネジで規格がちがうんです。ようするにインチやセンチの単位の違いですね。こういうことがあっちこちにあってかみ合わないんです。こんな問題がいろいろありました。

※今の若い人たち見てどう思われるますか

世界中がそうだと思うんですが、実際にできあがった成果にしか答えをだしくれないというのがありますね。5年くらい前は日本の状態について聞く人が多かったんですが、最近は非常に少なくなりました。今はもう日本が相手にされないんですよ。そいうことにからすれば立ち遅れ初めていると思いますね。やっぱりもっとがんばってもらいたいです。そうしないと外国にいる日本人は胸を張って生きていけなくんってしまいますから。経済的な問題はとくにそうですが2歩も3歩もアメリカに遅れをとちゃった感じですね。がんばってほしいですね。とくに若者ががんばってくれないとね。

※ブラジルから発信するホームページを作ろうという話があるそうですが。

日本語普及センターの高橋さんには言っているんですが、ホームページを立ち上げて呼びかけるということですね。私も応援したいと思っています。可能性はあると思います。例えば、コロニア文学や短歌、俳句をやっている人達は、物を書いたりすることは結構できる人達だから、ブラジルから何かを発信したら誰かが答えてくれるはずです。まず何かをやってみませんかということです。それを広げて音楽や芸術などやっている人達にも呼びかけたら、ひとつの動きができるのではないでしょうか。
 
※好きな言葉はありますか。

私の求めるものはありますね。団塊世代の充実した人生の追求ですかね。戦争を体験の積み重ねと考えるか大きな時間のロスと考えるか人それぞれですが・・・。結局、結論としてヘミングウエイが言っているように大きな体験の中に生きている人間としてこれらの経験を土台として何かを作り上げるようにがんばろう、というこじゃないですかね。

※今一番大切なものは

家族です。私は人間3代に責任があると思うんです。子、孫、そこまでは自分の責任として自覚していきたいと思います。

※好きな食べ物はなんですか?

残念ながら好きな食べ物はないんですが、サラダにして食べられる野菜がすきですね。

※趣味は?

今はもう趣味がなくなちゃいましたね。まだね囲碁だとか将棋が趣味の間はいいですよ。どんどん仕事にうちこんじゃうと遠ざかっちゃう。遠ざかちゃうと進歩しないでしょ。そすると嫌になっちゃう。
本来は飽きっぽいのかもしれませんね。

※書くほうはどうなんですか。

書くということは私にとって早くからまとわりついてきたことなんですね。これは恩師のせいかもしれません。彼が私に書くということを植付けたんですね。その方から、文学にしろ、社会学にしろ、学ぶということは人間形成だ、ということをおしえられたんです。人間形成されない仕事や学問はなんにもならない。形成されるということは死ぬまで続くということです。だから書くということは私にとってひとつの形成なのです。


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