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     工業関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
彫金家: 多田 和文さん

彫金家: 多田 和文さん (2003/04/11)
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氏名多田 和文
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業彫金家
生年月日1967年
出身地静岡県
渡伯年月日1975年


2001年8月

※ブラジルに来た動機はなんだったでしょうか?

 うちの父が変り者だったからですね。放浪癖というか、日本にいたくないというだけで来たみたいです。うちの母方がモジダスクルーゼスにいたこともあってブラジルを選んだようです。来たのはちょうど私が14歳のときでした。

※お父さんは何をやられていたんですか?

父は調理人をやっています。今現在はとんかつ屋をやっています。

※14歳というといろいろ大変だったんじゃないですか?

言葉は未だに困っています。ははは。来るにあたっては、あんまり深く考えなかったですね。その頃ちょうど栃木県から千葉に引っ越したころだったんです。学校でよそ者っていう感じであんまり居心地もよくなかったこともあってね。

※ブラジルに来ての印象はどうでしたか?

 言葉もなれないし、学校行っても面白くないし、とんでもないところに来てしまったと言う感じでした。それと普通の学生だったらともかく14歳からすぐ仕事をしていたから・・・。ブラジルに来て父がすぐ日本食の食堂を開けたので手伝っていました。当時、親の手伝いをしなければならないのは、移民にとって仕方のないことだったから。

※料理人の腕も相当なものだと聞きましたが。

うちの父がずっとやっていましたから、私も見ようみまねで14歳の頃にはそれ相当にできていました。刺身くらいは十分切れました。

※ブラジルの学校はどうでした?

日本に比べたら自由で規律がないという感じでした。ブラジルには差別がないとよくいいますが、いじめ、差別はありました。ただブラジルの方が日本みたいな陰険なイジメはないでしょうが・・・。
モジは日本人が多いところだったんで、よく新移民とよばれたりジャポン・ノーボていわれました。まあ、いじめというほどではないけどね。

※学校を卒業したその後は?

学校はあんまりまじめに行ってなかったしね。こちらに来てからまた小学校1年からやりなおして、飛び級で4年生にあがって中学を卒業と同時にうちの父がサンパウロに来たんです。
地方で結婚式やパーティで日本食や刺身の要望があると呼ばれて刺身を切ったり料理をしに行ってました。独りで包丁1本もって、北はバイアからマットグロッソ、パラナ、サントス、サンパウロ近辺を月に1、2回行っていました。それを20歳くらいまでやっていました。あの頃は刺身を切る人もいないせいもあったしね。ホテルでやるときなんか、隣で刺身を切ったりするとコックに思いっきりいやがられたりね、18歳くらいまでは、ちゃんとした板前呼んだと思ったら、こんな小僧が来たっていって思いっきりバカにされましたね。

※その後どうされたんですか?

 20歳くらいになったとき、こんなぶらぶらしていてもどうしようもないからしっかりしたことをやりたかったんです。板前といっても所詮ちゃんと修行したわけでもないしね。自分でもまだまだ満足していなかったし。だから、このまま、板前続けてもこれでいいのか、という疑問があったんです。その後、カイロプラティックがブラジルに入ってきて、ちょうどスタッフを募集していたので、そこで一年間修行していました。1年たったときカイロの方で、もと板前の人間がカイロをやるのはふさわしくないということでクビになりまして・・・。
また板前に戻ればよかったんだけど、さっきも言ったようにこの先不安があったしね。

※どんな不安があったんですか?

日本食がその後ブームになって、金銭的にはよかったかもしれないけど、自分個人としてはこのまま板前は続けたくないと思っていました。基本的に自分が小さい頃から親の手伝いをしていたでしょ、家族を巻き添えにするという職業が嫌だったし、それと人を使うというのが嫌いだったんです。今の金属加工業、この仕事に一番の魅力を感じたのは、自分ひとりでできるということ、人を使わない、使われない、ということ、自分の技術だけで生きていけるということです。

※その頃はもう結婚されていたのですか?

まだ20歳か、21歳だったから、まだです。

※大人だったんですね。
 
大人というか、移民というのはそういうことに直面するからね。明日の生活とかそういうものも子供の頃から直面させられてしまうから。

※その後金属加工業の道に進まれたのですか?

もともと板前やっていたことから手先の方は自信があったし、学歴もないし、コネもなければなにもない。あとは技術系で何か生かすことができればと思ったんです。それで日本へ家族会研修制度で2年間行ってきて、今の職業を修行してきたわけです。
特にブラジルは宝石の本場でお土産として需要があるんですが、枠を作ったり加工する人の技術が劣っているという話を、知り合いの宝石関係の人に聞いたのが、この道に入ったきっかけでした。
 研修制度の後、師匠から、もう少し修行をきっちりやるべきだと言われて、後3年間トータル5年間修行したんです。日本だとどうしても5年を1周期と考えますから、まあ、5年たっても一人前とはいえなかったけどね。ははは。

※そのとき初めて日本に帰ったんですか?

まあ、日本を発って7年くらいだったから、そんなに変ったものはありませんでした。ただ問題は自分個人の問題でした。14歳で来て読み書きも日本語だったし、自分は日本人だというアイディンティティのもとでブラジルにいたんだけど、日本に帰ったらブラジルにいる間に自分は日本人ではなくなっていたんです。普通の日本人と考え方が違うし、周りの目がブラジルから来た人間だという感じでした。苦労という苦労はなかったけど、日本人からみたら日本人じゃない、かといって自分はブラジル人じゃないしね。ちょっとした考えの違いで、周りの人にはあいつは日本人じゃないからねっていう言い方をされました。

※日本に帰って嫌だったことはありますか?

とにかく昔の同級生たちに会ってみたんだけど、もう考え方も合わなくなってるし、そこで自分自身もああ自分は日本人じゃないんだっていう感覚がでてきちゃいました。
自分が将来のことを考えて技術を身に付けようとしているときに、昔の友達は大学生で遊んでいるでしょう。自分の考え方がみんなから見ると、おかしいとか重苦しいという感じにみられるしね。

※修行の方はどうでしたか?

 日本の徒弟制度で厳しかったです。厳しすぎて、技術をそんなにボコボコ教えてくれることはなかったですね。ろくな仕事をさせてもらえなかったので、自分が5年たってブラジルに帰った時、最初は不安でした。でも、やってみると日本の技術制度のよさでちゃんとできるんだよね。「見て覚えろ」というのがありますが、教えてもらっているわけじゃないけど、先輩の後ろ姿を見て、身にしみて技術を覚えていたし、先輩に厳しく言ってもらったことがずっと頭に残っていたしね。

※日本にいる間ブラジルに帰りたいと思っていました?

うーん、日本のいずらさもあったしね。でもいるときはこのままずっと日本に残ろうという気持ちもあったんだけどね。5年たって親のことなどがあって、それと自分に中途半端さがあって日本になじめないし、どうしたらいいかわかんなくなちゃってブラジルに帰ってきたんです。

※現在の仕事の内容はどういうことですか?

宝石を取り巻く枠を作る仕事です。
日本で5年、こっちでもう13年やっています。

※じゃあ、もうベテランですね。

面白いもので技術がついてくると、見る目も上がってくるから、自分の作っているもので満足のいくものは未だにないですね。
我々は芸術家でないから、限られた日数と予算というものがあってなかなか完璧なもを作れない悲しさがあります。

※この仕事をやっていて楽しいところは?

人にもよるでしょうが、はっきり言って自分は作って楽しいと思ったのは最初の1、2ヶ月で、後は自分の満足できるものができないという苦しみに変わっています。自分が本当に満足できたっていうものは今までに1個あるかないかというところです。
陶芸の先生なんかは自分の気に入らないものはぶっ壊していくでしょ、でも自分らは商売が前提になるから、できの悪いものでもお客さんにわたさなければいけません。お客さんの要望に対して自分が作るものなんです。これが芸術家だったら自分が好きなものを作ってお客が気に入ったものを買うっていう感じですよね。その逆なんです。そこに自分の個性を織り込んでいくっていうのがポイントです。例えば、よそでできない技術を入れるだとかね。だからお客さんの気に入ったものを作るというのが前提です。

※高価なものを扱うわけですが、何か危険なことにあったことはありますか?

取られたことは一度もないですが危険な目には何回もあっています。金を買いにいったときに襲われるっていうこともあるしね。強盗も金を買う場所を知っているからビルの中には入らないけど、出たところを襲われることがあります。今のところはそういうことをかわしてきたけれど、この先は不安です。そういうことを思うとブラジルにいるのが嫌になるね。

※日本の若者に対して何か提言がありますか?

人にそんな偉そうなことをいえる立場でもないし・・・、よく今の若者はっていいますが、それは大昔から言われて来たことだし、自分も言われてたわけですから今の若い者がどうのっていうこともおかしいことだと思います。人間はそれなりにしっかりしていくもんだと思います。

※今後の目標は?

あまりないね。この職業で後10年はがんばりたいです。その後は、あんまり予定なし。というか、集中力が何年続くかっていうことです。自分でも不安があるし。

※ブラジルに来てどうでしたか?

困らずに生活もできるし、満足しなきゃいけないんでしょうけど、自分でもよく分からない。来て良かったのか、悪かったのか、ヘタすれば残っていた方がよかったのか。
日本で5年修行してその後迷ったんです。そのとき友達や同業者もひきとめてくれたんですが、自分はブラジルに帰ってこの仕事をやると決心したんです。絶対日本に帰らないと誓いをたてて、こちらにしっかり根を張ってがんばろうと決めたんです。もし、そのときこっちでうまくいかなかったら日本に帰ろうなんてふらふらした気持ちでやっていたら、うまくいかなかったと思います。


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