移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
Quem e Quem
     サービス業関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
美容サロン社長: 飯島 秀昭さん

美容サロン社長: 飯島 秀昭さん (2003/04/11)
000051.jpg
氏名飯島 秀昭
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業美容サロン社長
生年月日1950年
出身地埼玉県
渡伯年月日1979年


2001年4月

※ブラジルに来た理由は?

 東京で一流といわれていたサロンで、美容師兼講師として働いてました。一年でほとんど10日くらいしか休みが取れない状態で、昼、美容師をやりながら夜は教えていましたから、帰るのは、普通12時、1時、週に2日から3日は遅くなって帰れずホテルに泊まるという状態でした。
ある日、子供に会ったら、うちの息子に「おじちゃん」と呼ばれたんです。それが人生が変わるきっかけになったんです。その当時美容師としてはある程度の地位でしたし、給料も(20数年前)約100万くらいもらっていましたから、経済的にも悪くなかったし、業界での知名度もありました。でもその子供の一言で、もっと家庭のためにもっと時間を費やせたらな、という気持ちだったんです。もう東京はいいと思い、女房が長野だったんで、そちらの方でお店を探してたんです。
その頃たまたま僕らの時代のアイドルだった矢沢永吉のショウを見たんです。彼は僕よりも一年上なんですが、凄いパワーのある舞台を見て、家族のため、自分のためになんか方法はないだろうか、と考えたです。小さい頃から大人になったら外国に住んでみたいという気持ちがあったから、ひょっとしたら外国に出ることによって、自分の夢も可能になって、同時に家族的な部分も余裕が出てくるんではないかと思ったんです。とりあえず外国に出てみようってことでブラジルに来たわけです。ただその頃の流行はパリであり、ロンドンでありニューヨークであったんですが、でもそういうんじゃない新しい美容師の生き方があるんじゃないかと思って今のトップじゃなくてセカンド、サードにあたるブラジルを選びました。

※美容師になるきっかけは?

父親が床屋だったから、父に接する時間も一緒に共有する時間もなかったんです。だから子供の頃は日曜日休めるお勤め人になろうと思っていたんです。だんだん大人になるにつれ、自分の知らない世界が怖かったということもあったんでしょう、ほんとうは、人に接するのがあまり好きじゃなかったんですが、結局親がやっている床屋に入るのが一番無難かなということになってしまったんです。だから美容師が好きで入ったというのではなくて一番無難な所で過ごしやすい環境がたまたま美容師だったわけです。
美容師学校行って、最初は住み込みという形でやっていたんだけど、お店の掃除をしてから出かけて、3時頃に帰って店を手伝うんです。そうすると一年のうち学校が休みになる以外はほとんど年中無休なんです。給料はあの頃5000円、コーヒー1杯が180円の時代だったので決して多い金額ではなかったです。そうしてやっているうちに結局自分が選んだ職業だしこれが天職だと思ったらどうかな、と思ったわけです。天職と思ってやってたら、そんなに辛いことはないから。

※ 一度もやめようと思ったことはないんですか?

私は不器用なんです。30数年間やってきましたから、天職と今も思っているんでしょうね。だから変えようと思ったことはないですね。ただこの仕事が凄く楽しいと思ったことは一杯経験しているし、面白い職業だと思っています。

※ ブラジルの美容業界ではSOHOは一番大きな会社ですよね? ということは南米一ということですか。

お客さんの数や売上では多分一番でしょうね。これは、はっきりしたデーターがないから言い切れないですけど。月間に6万人~7万にやるわけだから、こんなサロンは日本でもそんなあるわけじゃないしね。ましてやブラジルではまずないでしょう。今は自称ですけどブラジルでは№1だと思います。

※ そんなに大きな社長さんですけど全然社長さんらしくありませんね。その辺はやっぱり自分のスタイルみたいなものがあるんですか?

結局ライフスタイルというか、これが自分のフィロソフィー、意気込みなのかもしれない。よくいわれますよね。あなたSOHOの社長でしょう、どうしてそんな格好(ショートズボンに半そでのポロシャツ)をしているのって言われますけど、自分は美容師としてこれしかないという生き方をしてきたわけです。それと同じように洋服もそうなんです。この服装が行動的だし、24時間フルタイム動く行動派というか、動きたいものですから。ネクタイをしたから動けないというわけではないですが、これが一番ライフスタイルにあった洋服だと思っています。

※ 自分の人生哲学というか自分の心情とかいうものはありますか?

生き方としては自分に満足した人生を送りたいですね。だからやりたいことは全部やりたい。でも最終的には自分の幸せよりは他人が何人自分と関わって幸せになれるかという可能性を追求しています。今800人の従業員がいますが、その子たちが笑顔で働いて、お客さんが笑顔で帰ってくれるような環境作り、それが俺の仕事だと思っています。
社長として、人生の先輩として、常に感動できる自分でありたいし、夢を持てる自分でありたいし、また夢を与えられる自分でありたいですね。だから夢を実現するためのお金は必要だし、従業員は僕をしたってきているわけだから、それを裏切れないですね。
 どうしてそんなに大きくするんですかときかれますが、リオやカンピーナスなど遠い所からわざわざ来てくれるお客さんがいるわけです。安いコストでできるだけお客さんの近くに行ってあげたいというのがまずひとつです。もうひとつは、従業員がどんどん増えていきますから働く場所を確保しなければならないというがあります。

※ 夢を全面的に出せる人は凄いと思います。

ロマンですからね。自分が凄い車を持って女をはべらかせてというのはないですね。そりゃ、男だからいい女がいたらそういう気持ちにもなるよね。だけど、それをやったメリットとデメリットを考えたら、ついてくる若い従業員たちのことを考えたらデメリットが大きすぎるんじゃないかという考えがあります。

※ 今、奉仕とか掃除とかされていますよね。

最終的には、世界平和だとか、人類愛とかいうことになるんでしょうね。これからやっぱり時代が進んでいくと共生ということ、今グロバリゼーションといわれますが、最終的には共生だと思うんですよ。人種、宗教、国境を越えて、供にお互いが協力しなければ、このままでは環境は悪くはなってもよくはならないですから、協力することによってせめて、この環境を保護し、よくしなければというのがあるんです。できる、できないは別にしてできるキャパのなかでやらせていただいています。たまたま選んだ職業が美容師だから、その技術を持って社会に何か貢献できないかと思っています。
だけど貢献という言葉の中に利害関係が入ってくるのは好きではないですね。800人従業員がいて彼らを養っているわけだから、それは立派な社会貢献じゃないですかというけれども、その根本に利害関係はないのだろうかと考えると、彼らが生産するんでだから儲かっている。それは交換条件で単なる労働に対して報酬をあげているということです。ですからSOHOという会社または自分自身が、利害関係なくして社会に何らかの形で貢献できないかと思っています。それは誰でもできることだと思っています。個人ですから大きなことはできないでしょうが。例えば今アクリマソン公園に行って朝掃除をしてるわけです。そんなのやってもすぐ汚くなるわけです。でも、そういうきれいな所をみたら絶対嫌だと思う人はいないわけです。10年20年続ければいつかは汚さなくなってきれいになるのではないでしょうか。
やっぱり最終的にはボランティアは最高の贅沢なことですし、幸せなことだと思います。肉体的にも精神的にも、社会的にも健康でないとできないし。人によっては売名行為だという人がいますが売名行為でもいいんじゃないかなと思っています。だって、その場所がきれいになったり、誰か一人でも喜んでもらえばそれでいいじゃないですか。よく偽善、偽善といいますが、偽善も3回やれば善だと思います。やっぱり続けること。ボランティアにしても社会貢献にしてもそれが大切なことだと思います。

※ 盛和塾の方はいかがですか?

やらせていただいています。今の自分があるのは、つまり精神的な向上、魂の向上ができたのは盛和塾の存在があったからだと思います。今まではそんな余裕なかったしね。金持ったからじゃなくて、精神的な余裕がなかったからそれをする暇がなかったと思います。仲間意識もなかったし、本を見るチャンスもなかったから。盛和塾が何をしてくれたじゃなくて盛和塾を知ることによって自分が凄く変わってきました。結局価値をつける、つけないは自分だと思います。例えばブラジルだからできないのかブラジルだからできるのかというのは精神的な部分だと思います。「のに」だとか「たら」だとか言っていたらいつまでたっても何もできません。言い訳を探している人間は感動も成長もないだろうし。
 今までの経験の中で10年前に目が潰れちゃったことがあるんです。もうほとんど見えない状態でした。これははっきりいって肉体的には凄いリスクです。そのとき、自問自答を繰り返したわけです。最初の頃は本当に自殺を考えるわけです。どうやったら完全に死ねるかと。これで完全に死ねないでいろんな障害がおきたらこれは大変なことです。99・9%死ねる方法はあるけど100%というのは無いんだよね。しばらく考えていたらそれは違うよ、死ぬ以前に生きることを考えてみよう、と気が付いたわけです。何故起きたのかのかという必然性とか必要性を考えました。それまでは非常に視野がせまかったわけです。その日、その日に生きていると、どこで何が起きているかも把握ができないわけです。そのときにそろそろ髪を切っている時代じゃないよ、みんなを生かすことをしなければいけないんだよ、ということが自問自答のなかで分かったんです。ああそうなのか、だから目を潰したのだな、と分かったら、ばーっと明るくなって片目が見えるようになりました。両目を開けたら現場に戻るだろうということで片目だけしか見えないのだと感じています。

※ 今の一番近い夢はなんですか?

うーん一番近い夢・・・ 世界1の美容サロンの会社を作ることかなー、一番近い夢で最も遠い夢かもしれませんが。今のSOHOのシステムですばらしいなと思うのはお客さんが喜ぶんでくれることです。そして会社が喜ぶ、こんな会社があるのかなーって思います。従業員が凄くいい顔で働いてくれているんです。ブラジルでできたんなら、世界でもできるんじゃないかなって思っています。すばらしい仕事をきれいに早く安く提供してかつ美容師が喜ぶ、そういうことを早く実現したいな、世界に伝達したいなと考えています。確固としたデーターをまず持つことが大事ですから、今はデーター作りをしているところです。
 来月うちのスタッフが日本に行ってショウをやるわけです。去年はローカルでやらせてもらったんですけど、今年は東京と大阪でやることになって、そういう面でも夢の現実化ができています。

※ 僕なんかがみていると飯島さんは宗教的な感じがするんですよね。将来的にはそっちの方に進まれる感じもするんですが。

宗教心はありますよ。だから自分が生きていることに対してよかったなと思うし、自分が生きていられる自分でありたいですね。というのは世の中が必要としない自分であるならば、多分抹消されるでしょうし。世の中が必要とする自分でありたいなと、それは社会に認めてもらいたいというのではなくて、俺がやらなければならない使命感を持った人生を送ってみたいということです。多分使命感がなくなったときに、神様は「あなたはもういいお疲れ様でした。次の来世でがんばってちょうだい」というときがくるんだと思います。だから、死ぬまでに自分の使命が消化できるだろうと考えています。使命感を持たない人間はいつ死んでもしょうがないのかなという気もします。

※ 今の日本の若い人たちに何かメッセージがありますか?

日本人に分かって欲しいのはこれから世界は農耕的思想じゃないとダメだということです。農耕民族がすばらしいというのは親戚だとか兄弟だとか隣組だとか皆で協力しながらやるところです。グロバリゼーションというのはその世界だと思うんです。今まで狩猟民族は略奪なんです。獲物を全部捕り尽したら他の地に移る移動民族でしょ。世界というのはそうじゃないと、この小さい地球を食いつぶしたら我々はどこにいくんだ、と思うわけです。そうすると、いわゆる儒教というか農耕民族的思想、これが全世界を支配しない限りは地球は終わってしまうと思います。だから、日本の人にはもう少し本質をしってもらいたいと思うわけ。
アメリカの実力主義のシステムは素晴らしいと思います。でもあれも、私が見る限りでは狩猟民族的な経営であり、思想であるわけです。いわゆる弱肉強食の世界で、強いものをどんどん強くして弱いものは捨てていくという、使い捨て的というか物質的なシステムだと思います。でも、そうじゃないと思うんです。狩猟民族的なアメリカの思想を農耕民族的思想の日本に植え付け様としても絶対ひずみがでてくるわけです。これが今のひずみだと思います。だから今の若い人に、日本の環境をもう一度見直して欲しいです。
今までの歴史の中で日本人のスピリットは高いレベルにあると思います。自然を大切にしながら、隣を大切にし、両親を尊敬し愛しながら過ごしてきた、これからそういう時代じゃないかと思うし、魂的には東洋的に戻りつつあるような気がします。例えば医学的治療にしても、薬草や針が見直されてきていますよね。すべてが今東洋的な方向に来ているような気がします。これから21世紀をどう生きるべきか、何が世界で必要なのか、日本人の役割というか、使命感を考えて欲しいです。日本人にもう少し世界を知って欲しい、世界を知ることによって自分を知ることができると思います。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

© Copyright 2024 K&S. All rights reserved.