移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
Quem e Quem
     サービス業関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
翻訳・通訳業: 神戸 保さん

翻訳・通訳業: 神戸 保さん (2003/04/11)
000058.jpg
氏名神戸 保
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業翻訳・通訳業
生年月日1964年3月7日 血液型 B
出身地愛知県
渡伯年月日1988年


2003年1月

※ どうしてブラジルに来られたんですか?

 日本ブラジル青少年交流協会という日本の大学生をブラジルに派遣している会社があって、それを通じて大学の4年のときにこちらに来たんです。まあ、モラトリアムですね。就職したくなかったんです。
外国学部でスペイン語を勉強していたんで、留学というオプションがあったのでそれで、どこかにいけたらと漠然に思っていたところに交流協会でブラジルに行けるということを知って、試験を受けてブラジルに1年きたんです。

※ 別にブラジルに来たいという強い希望があったわけではなかったんですか?

なかったです。どこでも外国だったらよかったんです。勉強好きな人は結構国費留学でメキシコ行ったり、スペインに留学したりしていましたが、俺はあんまり勉強もしなかったし、それで、まあブラジルに来たわけです。

※ それで、ブラジルが気に入ったわけですか?

まあ、そうですね。流れで。

※ブラジルのどういうとこが好きなんですか?

あんまり人目を気にしないというか、肩をはらずにいられるところが良かったんですかね。それで、さっきもいいましたけど、モラトリアムで就職したくないし、何したいのかよくわからないし、どうしようかなー、と思っているときに、ブラジルに1年きて、居る間は、めちゃめちゃ楽しかったですね。研修生という形できたので、責任もなにもないし、会社においてもらって、言葉を覚えるために大学行ったりして、非常に無責任に過ごしたわけです。それで日本に帰って、じゃーどうしようかということになったんです。その頃、うちのかみさんとこっちで知り合い、研修中に婚約したんです。
 
※ ご結婚は?

 来て1年目くらいに24歳で結婚しました。

※ 年齢的に早く結婚しすぎたなんて思ったことはなかったですか?
 
年齢的なことだけいえば、結婚してなかったら、全然違う国に一人旅でどんどんいちゃったりしたかもしれません。そういうことからいえば、結婚したからサンパウロに腰を落ち着けたというのもありますね。
でも、子供ができたのが最近でしょ。結婚してから12年間子供がいなかったから、だからそういう意味では結構好き勝手にできました。

※ 学生相手の4年間は大変だったんじゃないですか?

年齢も同じくらいだし、最初は俺も仕事というよりは遊びみたいな感じでした。仕事としての責任感というのは、あまりなかったですね。自分がガキだったというだけですね。なんとか組織は上手く動いていたという感じです。今の方が組織はしっかりしています。
いつも学生と飲みにいってました。あんまり苦労したことは覚えていませんね。

※ こちらではどういうことをしていたんですか?

交流協会というのは日本にあるんですが、サンパウロに事務所があるんですよ。学生を派遣して、引き受け先の連絡とか、事務など、こちらでの受け入り管理があるんじゃないですか。それをやっていました。88年にこっちに派遣されてきてたんです。駐在員といっても、もともと移住するつもりだったし、だから交流協会で派遣してもらって、4年くらいやっていました。こっちに、思いつきみたいな感じでやってきたんです。
もともとラッキーな星の下に生まれているのか、必要なときに仕事とかポッポッて生まれてくるんですよね。例えば、ブラジルに来たいなと思ったら、ブラジル交流協会の人から「おまえ、ブラジル行きたいんだろう。この仕事どうだ」って言われて、あんまり考えずにふたつ返事でハイって受けたんです。それで4年働いている間、交流協会だけでは食えないので、半日南米銀行で働く生活をしていました。
俺と同じくらいの年代の駐在員がきたりすると、一緒に飯食ったり遊んだりするじゃないですか。そういう人と接していると、自分がなんか追い抜かれていっちゃったような気がしたんですよ。当時すごく、こんなことをしていていいのかなーなんて、あせりを感じて、交流協会をやめたいなーと思っていたんです。ちょうど潮時だと思ったんです。それで就職活動をして会社にはいったんですけど、大学を行っておこうと思って行ったわけです。もともと語学生で専門は語学じゃないですか、で語学なんか、ここでは飯の種にはなんないし、それ以外に専門を身に付ければいいなーと思ったんです。それで大学に入りました。

※ 仕事は何をされたんですか?

 最初は、なんでもいいから会社に入りたいと思って、たまたまそのとき、某日系商社に入れてもらったんです。

※ どこでも現地雇いは厳しいという話をよくききますが。例えば、現地の方と日本人の間に入って大変だという話をよくききますが。

 俺は、全く現地の人と同じ扱いだったから、板ばさみにはならなかった。

※ 昼間、仕事をしながら学校に通ったわけですか

そうです。昼間会社で働いて、夜学校に通いました。ただその会社は2年で辞めたから、その後広告代理店に入ったんです。

※ こちらの大学生活は日本と比較してどんな感じですか?
 
全然違います。というのはここは専門技術を教える学校という感じ。日本は一般教養からはじまって、例えば、学校にいかなくて代返なんかしたりしますが、ここそういうのはほとんどありません。俺は、コミニケーション学部の広告学科で4年間勉強したんですが、どんどん進んでいくとコピーライターとか写真の技術を教えたり、結構実践的なことをやるんですよ。
この業界も就職が難しいから競争激しいんですよ。そういう意味ではみんな一生懸命やっています。私学だから結構高いんですよ。やっぱり金払っていますからみんながんばります。広告業界やテレビ、映画にあこがれて、勉強している人達だからやる気がありますよね。授業とか物凄い熱気がある。ばんばん手が上がる.先生がしょうもないことをいったりすると、それは違うだろう、みたいな感じですね。
日本みたいに大学の同窓という感じでいつまでも仲良しというのはあんまりないです。授業が終わったら、みんなすーっとかえるしね。ただつまらない授業だったりすると、みんなで近くで飲んだりするし、夏休みにみんなでキャンプに行くとかそういう風な話は聞きますけど、でも卒業したあとはあんまりつながりないですね。でも面白かったですよ。

※ 試験とかは大丈夫でしたか?

めちゃくちゃ大変でしたよ。いろいろ読まないといけないし。かみさんに読んでもらって、要約したものを教えてもらったりしました。 

※ 入学試験はどうでしたか?

エタッパっていう予備校行って、勉強しました。当時は交流協会で働いていたから、交流協会で、やたら飲み会があるから誘惑が多いわけですよ。だから結構サボっていましたね。後半10月頃からちょっとやばいんじゃないうかということで一生懸命行き始めて、受験が12月にあるんですが、そのときに一夜漬けで、勉強しました。
 3つ受けたんです。ひとつはサンパウロ州立大学、2つは私学。サンパウロ州立大学の試験は難しいですよ。目から血が出るかと思ったほどですから。1日4時間の試験を5日間やるんです。すべてポルトガル語の筆記試験で頭クラクラしてきてこれはダメだと思いましたね。私立の方は1回こっきりで日本と同じだよね。科目数が少ないですよ。

※ 今はどういうことをされているんですか?

今は、通訳と翻訳業ですね。それをもう5年くらいやっています。それと友達と一緒にカラオケボックスと居酒屋を経営しています。結構いろんなことをしています。あとは、ボランティアなんですけど交流協会の事務局の仕事をしています。

※ 今の仕事を始めたきっかけは

 広告代理店が嫌になって、もう会社勤めは嫌だと思ったんですよ。そのときに、次なにをしようと思って辞めたわけではないんです。とにかく辞めたかったんですよ。で、うちのカミさんが翻訳していたんです。うちのカミさんもちょうど、日本語教師からいろんな仕事をした後だったんです。これなら俺もできるかなーと思って、俺もやるからっていって会社を辞めたんです。あとから聞いたけど、そんなにスッパリ急に辞めるとは思っていなかったらしく、会社辞めてきたっていったら、びっくりしていましたね。

※ 12年ぶりに息子さんができたそうですが、どういう育て方をしたいですか。

 言葉は両方できるように、うちでは日本語話していますよ。今、幼稚園行っているんですが、幼稚園ではポルトガル語ですが、今は夏休みでうちにいるので日本語をたくさん話すようになりましたね。でもね、ブラジルで育てられるっていうだけで十分幸せだなと思っています。ここの方が子供自体楽しそうですから。日本は厳しそうじゃないですか。受験戦争とか、学校の校則とか。だからブラジルで育てられるというだけであいつは幸せだと思いますね。やっぱり俺はここ好きだし、でいろんな人種の人がいて結構好きにやっているじゃないですか。住み易いところだし。
 いろんなところに住んだ駐在員の人にときどき話を聞きますが、やっぱりここいいよね、っていう話をききますもんね。

※ 日本の若い人たちに感じていることや、メッセージがあればお願いします。

 日本に行くと無気力な感じがしますよね。特に携帯電話をもって、チカチカメールやっている人が凄く多いし、なんか伏目勝ちの人が多くて。で若者を見てて、みんな凄くおしゃれなんですよね。ファッショナブルな人が多くて、電車の中でまつげをずっといじっていたり、男子トイレに入ると髪の毛にジェルなんかつけて自分の姿にほれぼれしたり、ああいうのは、そればっかり時間かけているようでね、他にもやることがあるのにもったいないなーっていう気がします。一言でいうと若い人たちが、格好良くてマンガの中の主人公みたいな気がしますね。格好良すぎて、それに時間かけすぎじゃないって言う気がします。俺らの頃は格好悪かったでしょう。格好悪かったからね、彼らが凄いバーチャルな感じがするんですよ。生身の感じがしないの。ああいうのを見ていると、説明できない不安を覚えますよね。日本を出たのが88年ですからその頃と比べると随分と変りましたね。だから、若いときに日本を1回出て、そこの人たちがどういう生活をしているのかを見てきたら、自分の人生において変るんじゃないかという気がしますね。

※ 今後は?

 今の仕事は凄く気にっていて、交流協会の仕事というのも今いった若者の延長線上っていうかね、同じ考え方の根っこで続けていきたいんです。20代前半くらいの歳でブラジルで1年修行させてもらえるというのは凄く貴重な体験だと思うし、その人が自分の親なり、兄弟、恋人なりにそういう自分の体験なりを語っていけば、本当に微力ながらも何かが変っていくかもしれないと思っているんです。だから交流協会の仕事は末永く続けていきたいと思っています。あとは、何ができるかわかんないですけど、何かお役に建てることができればと思っています。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

© Copyright 2019 K&S. All rights reserved.