サンパウロ新聞社重役室顧問: 小園江 みのる オリンピオさん (2003/04/11)
| 氏名 | 小園江 みのる オリンピオ | 住所 | サンパウロ州 サンパウロ市 | 職業 | サンパウロ新聞社重役室顧問 | 生年月日 | 1953年 | 出身地 | サンパウロ州 プルデンチ・ベルナーデス市 | 渡伯年月日 | |
2001年4月
※ご両親はどちらの出身ですか?
福岡県の久留米出身です。
※やっぱりお酒はお好きですか?
好きです。ははは。父は20年以上前になくなりましたが、あまり飲みませんでした。しつけの厳しい人でした。
※日本には行かれたことがありますか?
まだまだ。ひとつの夢です。来年日本でゲートボール大会があるので、新聞社の関係で行く予定です。
※今までどういうお仕事をされてきたんですか?
若いときから、テレビやラジオの修理をずっとやってきました。23年くらい。プラノレアルの政策で行き詰まったときに、政治家のジュンジ・アベ氏と知り合い2年半ほど一緒に仕事をやりました。
※えっ、修理屋さんから突然政治家と一緒に働いたのですか?
はい。 僕はね1980年ごろからカラオケを始めました。一番最初は歌手になろうかと思って、一生懸命がんばったんですが歌の方はダメだなと思って、司会の方をやることにしたんです。その頃、いつも歌を聴かないで司会の方をいいなあーと思ってみていたんです。それでだんだん進めてきて、今はもう10年以上司会だけやっています。 昔、セアザ(市場)でフェスタ・ダス・コロニア(コロニア祭り)といっていろいろな国の人が集まって、踊りやら、食べ物やらを出品して大きなフェスタがあったんです。そのときに僕に司会やってくれないかと頼まれたんです。僕はカラオケ大会は慣れているけどそんな大きな司会は慣れていないので、やらんほうがいいだろうといったんです。6000人ほども来ますから。じゃー、舞台の進行役をやってくれないかということになり、引き受けたんです。司会にラジオのプロを雇ったんですが、その日にこなかったんです。それで僕がやることになったんです。胸がびくびくしたんですが、とりあえず受けたんです。そのときにジュンジ・アベの知り合いになった訳です。 その後プラノレアルになって、修理の値段も落ち、輸入の解禁もあり、直すよりも新しく買った方がいい状態になったんです。それで彼に話したところ、秘書として働くことになったんです。
※よっぽど気に入られたんですね。
そうですね。僕は政治について何も知らなかったわけです。何か新しいことをやりたいという気持ちはありましたが。まあ、僕は話をしたり、人との付き合いをするのが好きですから、そういうこともあり、ジュンジが彼の代わりに日曜日は毎日いろんなところを歩いてくれということになって、それが非常に経験になりました。よかったと思います。そのときの経験があったことから、今サンパウロ新聞で働いています。
※修理屋さんやっていたなんて想像もつきませんね。
あの頃はTシャツにジーンズという格好でした。ほんと、人生がコロリと変りました。いつも家で家内に話していたんです。いつか事務所で働きたいなーって。それが夢だったんですが自然とそうなりました。今の会社も大切に扱ってくれますんでがんばっています。
※自分で選挙にでようとは思いませんでしたか?
どうして出ないのかって、僕の知り合いたちがみんな言っています。でも凄いお金がいりますし、大変ですしね。僕の知り合いも去年でましたが、ダメでした。4年後に市会議員の選挙があるんですが、そのときは多分でるでしょう。ははは。
※がんばって出てもらいたいですね。どんどん日系人の政治家が少なくなっていますから。
そうですね。この間も30人くらい出ましたが、誰も通りませんでしたしね。票が割れたんでしょう。だから日系仲間で集まってみんなで勉強してやる必要もあるでしょうね。でも難しい。
※奥さんはなんと言っていますか?
家内はいつも僕のことを応援してくれていますからね。僕が何かやろうとするとヤレヤレってすぐ言ってくれます。 司会の仕事で土曜、日曜もないんですが、彼女は分かってくれるからありがたいよね。
※日本の若者を見てて何かありませんか?
うーん、別にありませんね。 今息子が日本に出稼ぎに行っています。まあ若いから仕事もできるでしょうが、難しいと言っています。
※息子さんは日本に行ってどうですか?
凄く変りました。18歳で行っているんですが、それまで僕と合わなくて、彼は僕の考えが古いって言ってね。喧嘩をよくしていました。彼はあんまり勉強が好きでなかったこともあって、家内が日本に行った方がいい、って言ったんです。それで日本に行った訳です。一緒に話もできるようになって人間として成長しました。
※夢はなんですか?
さっきもいいましたが、日本に1回くらい行きたいですね。それと日系人のテレビ番組を作りたいです。でも、ブラジルは何でもやるときはお金が必要ですから。テレビは特に高いから難しいですね。
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