フリーライター: 紺谷 充彦さん (2003/04/11)
| 氏名 | 紺谷 充彦(こんたに みつひこ) | 住所 | サンパウロ州 サンパウロ市 | 職業 | フリーライター | 生年月日 | 1965年 | 出身地 | 富山県 | 渡伯年月日 | 1991年 |
2001年4月
※日本ではどういうことをしていたんですか?
証券会社に勤めていました。今はなき山一証券です。自分にあってなかったし、ああいう商売はよくなかったです。 物じゃないものを売っていたから、いろいろ一杯嘘をつかなければいけないんです。おばさんに泣きつかれたり、ビールかけられたり、土下座したり、耐えられなかったです。 会社をやめて、最初の頃はアジアを回って、その後南米に来て、ああブラジルいいなと思って開発青年を受けたわけです。
※ブラジルの魅力って何ですか?
やっぱりのんびり暮らせるところじゃないですか。
※今は?
サンパウロ新聞で記者をしています。もともとこういう仕事をやりたかったんです。
※やっぱり書いたりするのが好きなんですか?
会社を辞めた後、一人でプー(無職)の生活をしていたときに自分のいらないものをいろいろ捨てていったんです。バイクとか、車とかも人にあげて。結局何が残るんだろうなと、思っていたら、本とかそういうものしか残らなかったんです。何もしてないときにはいつもシコシコ書いていたんです。それで、これが僕にとっては一番好きなことかなと思いました。
※開発青年で来たときにはどこに住んでいたんですか?
北伯マラニョン州のサンルイスです。フィン・ド・ムンド(最果ての地)といわれるようなところです。 特に日本食が食べれないことが大変でした。
※開発青年も辞めたんですよね。
半年でやめました。
※契約で来てて辞めるということは結構勇気がいることですよね。
そうね。このままいてもと思ったからね。やっぱり嫌なことはやらない。
※今のサンパウロ新聞での仕事はいかがですか?
結構気に入っています。取材費とかはあんまりでないけど、好きな取材や好きな事ができるし。
※主にコロニアの取材ですよね。コロニアについてどう思いますか?
コロニアの定義について、昔からいろんな文献があって、いろんな人がいろんな事をいっているけど、例えば邦字紙を読んでいる人がコロニアだとか、村社会がコロニアだとかね。いろんなことを言われているけど、コロニアっていったい何だったろう、って思います。
※今、どんどん日本語を読める人口が少なくなってきていますが、作る側はそれに対してどういう風に思っていますか?
ある程度、努力をしていかないとだめですね。将来的にはインターネットを使ったりして南米の情報発信基地にして、その情報を日本に売り込んでいくようなことをしたいと思っています。例えば、テレビの特派員だとか記者だとか経費がかかっているわけだから、そういうのを代行できるようなデジタル的な会社にできれば、生き残りが可能であろうと思っています。 現在サンパウロ新聞のほとんどの情報がインターネットでみられますし、検索システムもあります。
※個人的には将来はどういう風に考えていますか?
先ほどいったように情報の発信基地を作って、もしサンパウロ新聞が潰れたら、それはそれで独立してやっていこうかな、と思っています。退職したら、マットグロッソの山奥でファゼンダ(農場)をやりながらシコシコ書き物をやる生活をしたいと考えています。
※今の日本の若者たちにいいたいことがありますか?
そうね。日本で鬱積を晴らすよりも、海外に出て放浪とかしてみると、いいんじゃないかな、何か見えるんじゃないかって思います。臭くなるかもしれないけど、僕が思っていたのは、いろんな人と会って、自然と遭って、自分に逢うじゃないかなって。自分自身を見つめなおせるんじゃないかなって思います。好きな事をやればいいんじゃないでしょうか。
※ブラジルに来たいと思っている人になにかいいたいことはありますか?
基本的には人のことには干渉しないタイプだから、来たかったら来ればって感じです。
※今の日本を見ていてどう思いますか?
別に何もおもいません。
※ブラジルに住んでどうですか?
日本にいるときよりはいいんじゃないですか。もしかしたらどこでもよかったのかもしれない。でもとりあえず、今は好きな仕事やっているし。サンパウロ新聞と心中する気でやっていますから。
※注 紺谷氏は現在、記者は辞めて、フリーライターとして活躍中。(2004年3月)
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