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     サービス業関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
情報サービス業: 高山 直巳さん

情報サービス業: 高山 直巳さん (2003/04/11)
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氏名高山 直巳
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業出版及び情報サービス業
生年月日1954年4月19日
出身地青森県八戸
渡伯年月日1977年


2000年8月

※移住はどういう形でこられたのですか

 農業移民です。青森県出身だから一応書類にはリンゴの技術者としてきました。全拓連(全国拓殖農業組合)が、サンパウロ州の教育省と結んでいた農業高校移住制度というのがありましてその制度にのとってきたんです。その制度は、農業高校に通いながらポルトガル語だとか、生活習慣を勉強し、こちらの農業の知識を身につけさせて、独立農家として育成していくというのを目的に作られたものでした。ところがその制度がおかしくなってぼくなんかは半年くらいでやめました。それでサンパウロに出てきて勉強してたわけです。当時は人文研に、奨学金を与えながら後継者を育成しようという制度があって、それに応募して奨学金をいただきながらしばらく勉強させてもらいました。

※どうしてブラジルに来られたのですか?
 
 大学が東京農業大学だったので、学校の雰囲気がブラジル志向でしたからね。だからすんなりきました。
 当時は人文研の奨学金といってもそれで生活できるような金額ではないから、やはり仕事もしなければなりませんでした。夜学に通いながら仕事ができるところというわけで、商工会議所に就職したわけです。それで、昼間は働きながら夜はゼツリョウバルガス大学の大学院の中にある3年間のビジネスコースで勉強しました。卒業後、三菱銀行にはいり、92年までやって、今までやった経験をいかし、日本企業に対してコンサルタント業務や情報提供の会社を立ち上げて現在までやっています。

※大学では結構大変だったんじゃないですか

 大変でしたね。入学するのも大変でした。僕らと一緒に来た連中は農業移住だったんですが、実際は農業する人は非常に少なかったんです。勉強するためにまずその制度で来て、社会上昇していくためにがんばっていました。資本もない、人脈もない何もない連中が社会上昇していくためには教育を身につけるしかなかったわけですよ。みんなが大学受験しました。途中で挫折して日本に帰っていった人もいますが、医学部はいったり、工学部入ったりした人が多いですよ。みんなが刺激しあって情報交換しながらがんばりました。

※高山さん自身がブラジルに来られた理由には何か目的があったんですか

 ひとつは、日本とブラジルの経済や文化交流に関する仕事をしていきたいなという気持ちがありました。志はありましたが、現実問題は難しい点がいろいろでてきますけどね。いちおう精神面では、使命感みたいなものが頭の片隅にいつもあります。その本筋はできるだけふみはずさないようにと思っています。

※今まで苦労されたことはありますか

 あんまりないですよ。来たころは金もなく貧乏でしたが、金のないことは全然苦しくはなかったですね。むしろそれを緊張感として張りがあったという気がします。昔は日本食もそんなになかったし、酒も飲めなかったですが、たまに飲むビールが非常おいしかったすね。そういう些細なことに対する喜びがあった思います。今は飽食の時代にあって、そういうありがたみが欠けてきているよね。
 文化に対する渇き、活字に飢えるということもありました。本1冊も買えずに邦字新聞を買って帰ったこともあります。そいうときは一字一句がスポンジに水が入るように入ってくるわけですよ。面白かったなーと思います。

※独立するのに何か契機があったのですか

 銀行マンというのは、僕なんか日本にいたらとても考えつかなかったような仕事なわけですよ。きちっと背広きて。本来そういう仕事が嫌で、自分で好きな道を選んできたのに、どういうわけか銀行マンになっていて、このままでいいのかなというようなことを考えていたわけです。当時38歳だったんですけど、このままサラリーマン生活をいくべきじゃないなと思って辞めたわけです。
 80年代には日本の銀行は、ブラジルにいろんなひどい目にあっているわけです。さらに銀行はバブルの後どんどん縮小縮小で、今もそれが続いています。経営に対しても積極策をうちだしていないし、ブラジルに対して及び腰で撤退方針がでるくらい悲観論が支配的だったわけです。千人くらいいた行員が一挙に2百、3百人まで縮小されたり非常に沈うつムードだったわけです。僕としては30代の後半で働き盛りでもあるし、こういうところにいつまでもいちゃいかんなとひしひしと感じていたわけです。
 サラリーマンの間、日本企業のビジネスマン達がブラジルで経営展開していくうえでネックとなるような情報の収集だとか解釈だとか非常に困っているなと実感していましたからね。そういったものを提供していくようなことを始めていこうと思ったわけです。今はブラジル政治経済の週間の情報だとか、法律、税務関係の情報を提供したり、企業経営講座の講演会だとかをしながら、総合的に日本の経営者にブラジル政治経済等を理解してもらおうとお手伝いしています。


※今やられている仕事について、もう少し具体的におききしたいのですが

 私のところはブラジルの中のビジネス情報をかなり突っ込んだものの提供ということで特化しているわけです。例えば、新聞の見出しをたんに翻訳しているというわけではなくて、さらに経済解説や分析を盛り込んでいってそれを商品化しているわけです。専門家やエコノミストに分析してもらい解説してもらって、洗練された情報を受けて、そこから始まっていきます。
 専門分野の人達が書いたものをただ翻訳しても、専門用語が入ってきますからなかなか分からないわけですよ。基礎知識があってそれを読めばわかりますけどね。日本からきたビジネスマンはほとんどなんの知識なしにくるわけで、そういう人たちに読みやすくするために解釈したり編集したりすることが大切なんです。そうなると書いた人たちと同じようなバックグラウンドがないと解釈しきれないわけです。そこにまた難しさがあるわけです。

※ブラジルでの日本企業はどんな感じでしょうか

 70年代、80年代のブラジル政治経済の構造が、90年代は根本的に変わってきたと思います。これは日本の企業にも声を大にして発信していることです。世界全体もベルリンの壁が壊れて、社会共産主義が自由経済構造に変わっているし、グロバリゼーションはどんどん進んでいるし、IT革命が起こっているし、本当に潮の目が完全に変わってきているんだけども、それに対して日本人の意識構造はグローバル化していないような状況にあります。しかも中南米に対しては、本当にもう、無視しているような状況です。90年代に入っての欧米の進出ラッシュはものすごいですよね。それに対して日本はアジア志向どまりです。特にサンパウロなんかは日系人口がこれほどあって、築き上げてきた基盤もあって、企業としては進出しやすい状態にあると思います。それにもかかわらず、日系人の人材に対しても対応が消極的で、日本語ができることに対しても評価が低い。だから日系人にしても日本語を勉強していこうという意欲がないわけですよ。どちらかというと日本語を勉強すれば親とか祖先の文化を知るうえで役立つというような精神面の方が強いですね。そいう意味もあって日本の企業にはもっと現地化だとか、国際化を考えて欲しいと思います。これはここの日本企業にいってもなかなか難しいことですね。本社の意識を転換するようなことをしないとね。

※日本の企業でブラジルで成功しているところは少ないですよね

 ほんとに片手で数えるほどしか安定してやっているところはないでしょ。それだけブラジル経済が変動経済だということ、80年代に悪いイメージをうえつけてしまったということ、銀行がとくにひどい目にあって、情報の発信元である銀行さんから中南米に対する良い情報が流れていかないとことですね。
勿論、距離的にも、ポルトガル語という部分においてもなかなか目が向いていきませんね。

※簡単に最近のブラジル経済の流れを説明していただけますか

70年、80年代の経済と90年代を比較すると非常にコントラストが強いんです。前者はひつ月80パーセントくらいのハイパーインフレーションがあった時代です。物価もあがるんだけど所得もインフレに連動してあげていくというものでした。インフレと経済成長というのを共存させた時代だったんです。これがいろんな経済のヒズミを作っていったわけです。90年代はショック療法をとっていくんですがことごとく失敗して、94年のレアルプランによって沈静し、政治も経済も安定基調になっていきました。
 特徴としては、かつては国家主導型経済ということで鉄鋼、石油、電力などの公社がインフラ構造を支えてきたわけですが、現在はこれらの公社も民営化していって民営主導型経済に変わってきています。さらに、市場保護ということでブラジルの貿易黒字をあげるために、関税を設けていたんですが、90年以降はオープンにして関税をどんどん下げてきたんです。このおかげで、外車やコンピュータなどの外国製品が入りはじめ、貿易の自由化が進んでいきました。そして外資に対する導入政策、金融投資だけでなく、直接投資、外資をどんどん入れてスペインやポルトガル、アメリカなどの欧米勢が入ってきています。こいうふうにブラジルの経済は様変わりしているんだけれども、日本の人達はこのへんの認識が行動に現れてきていません。ブラジルというと海外債務が一杯あって、インフレが凄い、というイメージが圧倒的に強いようです。最近は治安問題とかが問題になっていますね。これは所得格差につながっていくんですが、これらの構造的な問題は政策がかわったくらいではすぐには変わっていきませんから。そのへんは何十年単位で考えていかないとだめです。

※今後のブラジル経済はどうなるのでしょう。

 世界の動きとしては、社会共産主義の崩壊があって、これが自由経済市場に大きくシフトしてしまい、人、物、金の自由な行き来が可能になってきたわけで、その中でも突出しているのが情報です。IT化の中で情報は瞬時にして世界中をかけめぐります。こういった中で、PT(労働党)のルラや左派系のシッコ・ゴメスが大統領になったとしても、すでにブラジルが自由主義経済の世界の潮流となかでうごめいているときに逆行するのは非常に難しいと思います。だからブラジル経済は誰が大統領になろうとこのまま推移していくと思います。今やブラジルの経済を担っているのは外資なんです。だから欧米勢はブラジルの主な産業の中核を担っています。金融もそうです。外資を抜きにしてブラジルの経済はなりたっていかないということです。これを無視したような政策や政治はもう国民自体も指示しないわけです。

※今ブラジルに来て満足されていますか

 半々というところですね。というのはビジネスとか経済的には問題もなく順調にきていますが、治安だとか若年層の暴力、麻薬、セックスの氾濫をみると考えてしまいますね。去年この辺で3回くらい拳銃強盗にあっているんです。僕だけでなく家族もみんなやられています。身近な人達も大変な目にあっていますから、そういうのを考えると自分が信じてやってきたブラジルで、選択した人生がこんなものでよいのかなと考えたりしますよね。自分はまだ好きでやってきましたけれど、それにひっついてきた女房もいますし、子供はここで生まれてブラジル人になっていますし、こういうところでこのままいっていいのかなという疑問はありますね。

※今後の展望は

 会社を今まで以上にいろんな活動をできるようにやっていくことです。日本とブラジルの経済と文化交流の一助となるような仕事をしながら、日系社会の中でも社会的な意味での貢献を意識していきたいなと思っています。

※現在の日本についてどう思いますか

 日本もねー、このままブラジルで生活していくということに対して僕自身あんまり楽観的な見方はしていないわけです。かといって日本に帰るかというと、今のいじめの問題や、殺伐とした事件などの日本の現状を見ると、子供達を連れていって外国人として学校に編入させたときに、うまく適応できないんではないかなという心配もあります。どこもにも行けない人間になってしまったんじゃないかという気もします。

※日本に対する期待は

 今の世界の経済の中で動きをみていくと、物とかハード部分は国の経済を決するという時代ではなくて、ソフトの部分、人間のインテリジェンスとか人間が国家経済の財産なんですよね。日本の場合は、知的水準だとか、いろんな国民意識だとか、知的財源をたくさん持っているわけですよ。これほど知的水準のレベルが高い国はないと思いますし、ITに関してもアメリカの次に来るエネルギーをもっているわけですよね。21世紀は、人が富みの源泉となるような国というのが伸びていくのはまず間違いないと思いますから、十分日本の経済は伸びていく可能性はある思います。

※趣味は

下の子は、42歳のときに生まれた4歳の男の子なんですけど、この子をあっちこっち連れて旅行しています。


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