翻訳家兼ルポライター: 美代 賢志さん (2003/04/11)
| 氏名 | 美代 賢志 | 住所 | サンパウロ州 サンパウロ市 | 職業 | 翻訳家兼ルポライター | 生年月日 | 1970年 | 出身地 | 大阪府 | 渡伯年月日 | 1994年 |
2002年10月
※ どうしてブラジルに来られたんですか?
最初に来たときは、ビザは違いましたが、気持ち的には移民です。 小学生のときからカナダに住みたかったんです。何も無いところで自給自足をしたかったんです。たまたま学生時代にブラジルに来て、そのときマットグロッソの大自然を見まして、それでこういう所もいいなと感じたわけです。
※ 仕事はどんなことをされているんですか?
今は翻訳が中心になっています。その前は日本語の新聞社で働いていました。
※ 8年くらいでポルトガル語の翻訳までできるようになったんですか?
英語が通じないですからね。英語が通じないとどうしても必然的に覚えないといけないですね。
※ 奥さんはブラジル人ですよね。初めからポルトガル語で恋愛を始めたんですか?
そうですね。向こうは日本語を話さないですから。だから最初は友達に翻訳してもらって、それを書き写して話しました。
※ 奥さんとの生活でブラジル人を感じることはありますか?
日本人と結婚したことないですから、分からないですね。ただ家庭に関する考え方は日本人もブラジル人もないのかなっていう気がします。
※ 結婚して困ったこととかありますか?
無いですね。逆に便利ですね。言葉の問題がありますから、いろいろ頼めますしね。逆にいえば、日本人どうしでブラジルに住むよりは、いいんじゃないですかね。
※ 奥さんと日本には行かれたんですか?
兄の結婚式にいきました。日本は大好きだったみたいですね。でも結局、日本人がブラジルを好きというのと似ていますよね。深いレベルまで理解して、どういう社会問題があってとか知って、それでもなおかつ好きなのかというところまで行っていないと思います。例えば、ブラジルは本当に差別がなくていいですね、っていう人が日本人にも多いですけど、ブラジルを見ているのかっていう気がします。ブラジルを見れば見るほど、社会的な階級が凄く分かれていますから。だからうちのかみさんが日本を好きだというのはまだそういうレベルだと思います。
※ 最近、ブラジルに住みたいという問い合わせが日本からあるんですが、日本からやってきて仕事はできるものですか?
どうですかね。僕の場合は呼んでくれる人がありましたから。 最初は旅行者で来て、マットグロッソを気に入って、ちょうどそのとき、ブラジルの情報をもらったり、世話になったのが日系の新聞社だったんです。日本の新聞社とかに入って南米支局で派遣してもらおうと思ったんですが、話を聞いていると何十年もかかったり、かなり運に左右されるということだったんで、それだったらこっちに来て直接新聞社に就職した方がてっとり早いという感じで全部やめてこっちに来ました。
※ 今美代さんはホームページを作っているんですよね。どうですか反響は?
日本の人を対象にしていることもありますが、日本の人に読者が多いですね。いろんなところで国際交流とかやっていますが、僕なんかからすると最後は人と人の付き合いだと思います。そういう視点からブラジルを伝えたり、交流とかを考えています。
※ どういう風な情報を欲しがっていますか?
ひとつは日本にいるブラジル人の普通の生活とか、考え方とかがどうなのかとかということです。僕は今日本にいませんから、逆にいえば、ブラジル人がどういう風な考え方を日本でしているかという元になるブラジルの文化や、どういう風にブラジル人が形成されるのか、ということを伝えることが多いですね。
※ 読者は意図的に日伯の文化交流のようなものを考えているんですか?
それはないと思います。僕自身のテーマも交流じゃなくて、意識しないでやるのが本来の国際交流というのがあって、意図的に交流しようっていうんじゃないです。ただ普段の友達の中に気が付けばブラジル人がいるとか、そういうのが僕らの考えている交流じゃないかと思います。
※ ブラジルの面白いところはどういうところですか?
僕自身はブラジル人の考え方とか、社会の成り立ちとか、日本人が生活するにおいての過ごしやすさ、やりようによっては何でもできるとこなんか。例えば取材なんか規制があってもこっちのカメラマンとか記者は簡単に入っていきますよね。自分がやりたければやるという世界です。そういうのは今の日本に無い楽しさというか、日本人にかけているところだと感じます。
※ ブラジルに住んでいてブラジルの良さというところはどういうところですか?
ブラジル人が普通に外国人に接するというところですかね。この人外国人だからという特別の意識があんまりないし、かといってその輪に入っていくのが難しいという感じもないし、極普通に接している、そういうところですね。ブラジルという枠の中で好きなことができるというところです。
※ 差別というのはあまりないですか?
見えないだけで差別は凄くあるんじゃないですか。逆にいえば、向こうから差別されるというんじゃなくて、日本人が優遇されています。例えば、ブラジル人だったら、半ズボンでは入れてくれないようなちょっとしたところでも、日本人だったら入れてくれるとか、それは逆の意味での差別ですよね。信用というよりは、お金を持っているからいいんじゃないかという感じだと思います。それをまた日本人が気づいてないと思います。日本人ばかり出歩くとそういうのが見えて来ないですから。
※ 日本の若い人に何かアドバイスみたいなものはありますか。
僕がアドバイスしてもらいたいですね(ははは)。来たけりゃ来れば、っていう感じですね。何がなんでもブラジルにっていうことでもないし・・・。 大学にいたとき僕らの友達にいたんですが、社会学部に入って社会学部ってなんだろうかって、いう人がいました。今の日本人には先生が教えてくれなかったから知らないという人が多いですね。ブラジルで生きるということは、そういう雰囲気ではやっていけません。誰かが言ってくれたから、誰かが教えてくれないからっていうのとはまた別のもので、教えてくれないなら、自分から探しにいくという、そういうのに近い。つまり自分の生き方で生きていくという、その中で日本が物足らないなら、他で求めればいいし、それがブラジルならブラジルでかまわないし。僕はブラジルを楽しんでいますが、ブラジルは他の人にとっても楽しいかといえば、それはそうでもないと思います。それは求めてないということです。 僕のサイトでもそうなんですが、国際交流というのは何も外国に行って話をするだけではないと思います。日本にいても身近な外国人がいるわけで、そういう中から国際交流がいくらでもできます。自分を見つめていくというか、自分の周りから組み立てて力があれば、ブラジルだろうと日本だろうと関係ないと思います。その中で、もしブラジルというものに接したいというのであれば来れば楽しいところです。ただそうでなければ、行って帰ってきました、外国でした、というそれだけで終わっちゃうと思います。
※ 夢みたいなものはありますか?
お金もちになれば今の日系の新聞社を買い取るというのが一番の夢です。自分がオーナーになって書きたいことを書く。インターネットでもやっているんですが、紙媒体として、そういうことを残していくことが必要だと思います。 買い取って面白いことをやりたいというのは一つの夢ですね。
※ ライフワークのようなことを考えていますか?
今のところ、時間的な余裕がないですけども、いろいろやって行きたいですね。結果としていろいろ残るという風になっていくと思います。それが、企業ではできないと思うんですよ。そういう企業ができないようなことを、個人でやりたい人が集まって勝手にいろいろやっていって、気が付くとそれがひとつの流れに何かまとまっているというのが面白いと思います。
※ 今ブラジル100年祭でバーチャルでいろいろやろうという話がありますが、その辺はどうですか?
そうですね。別に100年にあわせる必要はないという感じはします。何かの節目にみんなが集まって何かをやるというのは大事なんですが、もっと普段の生活から何かできることがあってそれが形になる、それが100年の節目に形になってくるというのが、本当は一番大事じゃないかと思います。修好100年でもあったのは、国と国とのお祭りなんですがやって何も残らなかったですね。逆に民間から集めた基金が役にたっている、事実を見ていきたいと思っています。そういう中で自分が何か残したり、手伝ったり、やりたいことがあればやりたいですね。
※ 今後はずっとブラジルですか?
来たときからその気持ちですから、今も変りません。
※ ご両親は何もいいませんか? 最初来たときは勘当されて来たんです。就職して内定までもらって、親もこれで一安心かと思っていた矢先でしたから、行くんなら、もう帰ってくるなと言われました。だから、こっちに来たときは日本に帰れないという状況でした。神戸の地震のときに電話をかけても親父は電話に出ませんでしたから。ただ、結婚して帰ってからは、もう御和算でした。
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