植木栽培業: 木下 善雄さん (2003/04/11)
| 氏名 | 木下 善雄 | 住所 | サンパウロ州 ジャカレイ市 | 職業 | 植木栽培業 | 生年月日 | 1934年 5月26日 | 出身地 | 山口県 | 渡伯年月日 | 1956年 11月7日(ルイス号) |
1998年 4月10日(金) 木下さん宅にて
* 木下さん本日はお休みのところお邪魔いたしまして申し訳ございません。
いやいや
* 早速ですがこちらに来ることになったきっかけというところからお話いただけますか。
実はね、山口県の県人会長さんが日本に講演に来られたの。
* それはブラジルの山口県人会の会長さんですね。
そうそう。それで話を聞いておるうちに、これは私の持っている技術はね、ブラシルに行って役に立つだろうと、おそらくブラジルの人達の注目の的になるだろうと、よしこれは日本人の農業のやり方を持ってブラジルに新しい芽を出そうと、こう思うてね、山口県人会第一回呼び寄せ移民として会長さんの家に入った訳です。
* そこから、こちらでの生活がスタートする訳ですね。
そう。ところがまあわしは会長さんに嫌われてね。三人いた中で一番嫌われた。
* それはまたどうしてですか?
わしはね、仕事をする時はなりふりかまわずブチやって、やらんときはボカっとやらないというような突拍子もないところがあってね。それと剪定のことなんかで自分の意見と合わないと相手かまわず反抗するのね。人の意見を聞かずにバババとやってみせる。そんな訳で人の紹介もあって会長さんの家を出ることになった。まあ若かったんじゃね。
* ちなみにその時おいくつだったんですか?
23才だったね。
* それで会長さんの家を出られて次に行かれたのはどういう所だったんですか?
それはね、仕事がうまくいかんでつぶれかけた苗木農家で、行って話を聞いて、居ようかどうしようか迷ったね。それでもまあその日は泊って、次の日草刈りをやれといわれたんでバババとやって家に戻った。そうしたらパトロンが奥さんと話してるのが聞こえたのね「今度来た若者はよう働くで!お前は休んどれや!」それを聞いてね、わしはブラジルに来て初めて誉められた。認められた。その嬉しさが胸にグッと来てね。よし!この家でやるぞ!それでその家がブラジル一の苗木屋になるまで頑張った。
* そこでの何か面白いエピソードなどありましたらお願いします。
ミカンの苗を作るのにレモンの種が必要で山にレモンを爺さんと婆さんとわしで拾い行っちゃ搾って種を取っていたんじゃね。これが手が痺れるんじゃ。こんな事しとったら大企業にはなれんなと思いながらやっとったよ。 それがある日、サンパウロでソーダというものを初めて飲んだ。それがレモンの味がするもんじゃから、この工場に行けばレモンの種があるはずじゃと思ったね。それですぐそこに行ってみるとあるある、レモンの種が山のようになって捨ててあったよ。 そこでそれを貰って帰って植えてみると全部なった。これでもうミカンの苗はいくらでも作れるようになったね。
* やはり木下さんというのは目の付け所がいいんですね。儲かったでしょ。
パトロンは儲かったけどわしは給料は貰ってなかったからね。
* じゃあ歩合制だったんですか?
いや、歩合制でもなく食事や生活用品だけ支給してもらってた。
* えっ、それだけ活躍なさってただ働きだったんですか?腹が立ちませんでしたか?
いや、わしは腹は立たなかったね。はじめに給料はいりませんと言っていたし、まずその仕事が好きだったからね。それにそのパトロンには庭作りのことなんか色々教えてもらったから、まあ、いい経験をさせてもらったと思っていますよ。
* それでもまあその後、そこを出られることになる訳ですが、何かあったんですか?
ここに居る嫁さんをもらったのね。この嫁さんは若い時分口紅をして白粉をしてアイシャドーまでしてた、それをパトロンが気に入らなかったのね。それで言ったよ、ああいう女と一緒になってるとお前は成功せん、別れろ。それが出来なきゃ出てってくれって言うもんだから、はいそうですかって出ることになった。
* ずいぶん感情的なパトロンだったんですね。でもそれからいよいよ独立なさる訳ですね
そう。それで養鶏やって農業融資というものを知らずに普通融資の借金が返せずにずつぶれた。 それからカーネーションをやって、始めは儲かったね。ほれみい! そうしたら皆が作るようになって値崩れしてつぶれた。 その時考えたね。根がないものは人が値を付けるこれじゃ儲からん。だったら自分が値を付ける根のある物を作ろう。それでバラの苗を作った。これも儲かったね。でもやっぱり皆が真似して来たのでやめさせてやろうと思ってインフレの中1ドルから絶対に値を上げんかった。それでやっぱりつぶれた。 これはね人をつぶそうと思った心遣いが悪かったな。人の邪魔をしよう自分だけ良くなろうというような心じゃ絶対に成功せんな。
* そういった経験を経て木下さんは現在の成功をおさめられた訳ですね。
それでもね、実を言うとねわしは今生活は苦しい、それはね、やったという気持ちがいかんね。NHK見て、うまい物食ってね、そういう所から絶対にアイディアは出てこないねだから今、寝床に入ると初心に返れ、初心に返れ、自分に言い聞かせてるね。
* お仕事のお話は尽きないのですが、この辺で話題を変えさせていただいて・・
これからまだ三時間ぐらい話があるんじゃがね。
* はあ、すみません。ブラジルの良い所、悪い所ということでお話していただけますか。
あのね、ブラジルという国はね何の産業でもうんと遅れてる訳ですよ。だから先進国から新しい技術を持ってくると必ず成功するということがある訳です。いつでも新しいところをポンポンとつかんでいくとねブラジルで儲かる。それが良いところですね。楽しいね。
* まさにそれは木下さんが実践なさってきたことですね。それじゃ悪いところは?
悪いところはね、1979年以降泥棒が多くなったね。それとね近頃になって税金がうるさくなったね。以前は税金というのはブラジルにはあんまりなかったね。
* 最近はおいしくなくなってきた訳ですね。
そうそう、最近おいしくなくなってきたね。
* それではもう一つ、最近の日本について何かご意見がありましたらお願いいたします。
あのね、日本の今の人はね、暖かい布団に入って暖かい風呂に浸かって、あんまり苦労もせんと、なんて言うかな、努力するとか考えるということがなくなってるね。 会社の中でもそうだけど自分の与えられた仕事だけ覚える、昔はね全体を覚えてた訳ですよ。全体を把握するということが今なくなってきたね。 それとねもう一つ考えなきゃいけないことは昔は日本の国のためにということを皆考えてたですよ。今の人は自分のことしか考えないそういう人には他の国のことを考えることも出来ないね、非常に視野が狭くなってる。
* もし今の日本の若者がブラジルに来たら視野を広げて何か出来るようになるでしょうか?
出来ない。と言うのはね、苦労を喜ばないから。昔の人間はね苦労を喜んだですよ。 わしなんかね終戦からブラジルに来るまで十年間金を貰って働いたことないですよ。全部ただ働きですよ。それでね、認められて誉められて満足したですよ。ありがとうございましたって言われてね、おいしいもの食べさせてもらってねそれで満足したですよ。 今の人間は金を貰わないと満足しないですよ。日本から何人も研修生なんか来るけどね、苦労して努力してね、何とかブラジルで一旗上げにゃいかんと頑張りぬく人間いないですよ。
* 一旗上げるって、それは金銭的に成功するということじゃないんですね。
金銭的なもんじゃないですね。やっぱり世のため人のためになって信用のある人間になって得をするということですね。 あのね自分のために生きると言うんなら犬だって猫だって自分のために生きてますよ。でもね人間はねそれだけでおさまっちゃいかんですね。世の中が明るくなって皆が幸せになるためには自分がどういう心遣いをしなきゃいけないかということをどんな小さな事でもいいから常に考えるということが大切だと思いますね。
* 今日は本当にどうもありがとうございました。
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