魚養殖コンサルタント: 鴻池 龍朗さん (2003/04/11)
| 氏名 | 鴻池 龍朗(こうのいけ たつろう) | 住所 | サンパウロ州 サンパウロ市 | 職業 | 魚養殖コンサルタント | 生年月日 | 昭和27年6月7日 | 出身地 | 東京都 | 渡伯年月日 | 1979年 |
2001年4月
※ブラジルにはどのような形できたんですか?
大学卒業後に大阪の商社に就職したんです。その商社がこちらに会社もっていましたから、そこに派遣社員としてきました。
※やっぱり水産関係だったんですか?
商社だったんですけど、サンパウロの奥地にファゼンダ(農場)を持っていたんです。社長がスッポンを好きだったで、そういうものをブラジルで養殖すれば、温かいところだからよく育つだろうということで始めたようです。私が入る5,6年前からやっていました。でも商社は水産関係に全然素人だったんで、5万匹だか稚スッポンを送ったらしいんですけど、ほとんど全滅です。これは甘くないぞ、ということで専門の人間を雇えということになって東海大の海洋学部を卒業した私を入れたわけです。
※来たばかりの頃のブラジルの印象はどうでしたか?
私は学生時代から外に出たかったもので、いろんなところに行っていたんです。ですからやっと夢かなって来れたなという印象しかないですね。普通だったら、広いだとかそういう印象を抱くでしょうが、目の前でスッポンがぼんぼん死んでいましたし、それを止めなければいかないということで、頭が一杯でブラジルがどうのこうとという印象は残っていません。 私が来たときには既に弱くなっていましたから、養殖形態をすべて切り替えて死なない状態にしました。それが第一号の親亀になりました。
※来たときから永住覚悟だったんですか?
最初の半年は何も考えていなかったですが、1年くらいしてからは、日本に帰ろうという気はほとんどなかったですね。会社が養殖を止めることになったときには完全に永住ということを考えました。その頃も永住権を取るのが難しくて確か4、5年不法滞在しています。もちろん結婚して取るということも考ました。一度なんか韓国人のおじさんが、おまえにどうしてもいい娘を紹介してあげたい、っていってくれて、凄い美人を紹介してくれたこともありました。一時期本気で考えましたが結局やんないですんじゃいました。
※ご長男なんですか?
そうです。親父は2、3年で帰ってくることを期待してたようです。だから死ぬ寸前までおまえは嘘つきだといわれました。最後の遺言は、私が聞いたわけではなくて甥っ子だったんです。彼は私に似ているんです。「龍朗帰ってきたんか、おまえは嘘つきだ」と彼にいっていって死んでいったそうです。だからどうしようもない(親不孝)ですね。嘘をついたつもりはないですけど、はじめから永住だっていってたら出してくれなかった思います。でも、私の性格からいったら、きっと出ちゃっていたでしょうね。まずは海外で暮らしていたいと思っていましたし、かっこよくいえば、世界を股にかけてという気持ちもありましたし。自分は仕事のあるところだったらどこでも行こうというような気持ちでいましたから。
※その後は?
会社がやめちゃったでしょ、それでスッポン養殖で仲間と独立するんです。その当時ちょっと売れたもので日銭欲しさに、種にとっておいたスッポンまで売るはめになっちゃったわけです。 これをやれば絶対いけるという確信をもっていたので、一世一代の大勝負だというわけで、退職金からなにから全部つっこんで種のスッポンを買いに日本に帰ったんです。それで200キロくらいスッポンを持って帰ってきたんです。その当時アグアブランカ(水産庁みたいなもの)で働いていた人が輸入許可をとってくれるという話だったんですが、結局許可がおりなくてそのまま取り上げられてしまったんです。種の半分くらい売ってこちらの運営資金にするつもりだったんです。それで文無しになちゃいました。浮き沈みは、まあ誰でもある話ですが、飛行場を降りてほんの小銭しかありませんでした。それでも友達とかに助けてもらってなんとか乗り切りましたが・・・・。まだほんの少しだけ亀が残っていたんでほそぼそとやっていましたが、どうにも立ち直ることができませんでした。 その後、酵素を作る会社で働いたり、動物の餌を販売しました。そのうちに女房と知り合って、それと同時に北伯の方で大きなエビの養殖の計画があるから来ないかということになったんです。
※今は、どんなことをされているんですか?
いろいろありましたが、やっぱり養殖の仕事が好きですから、3,4年前からコンサルタントの仕事をしています。ちょうど釣堀が流行って、いろんなところで魚の問題がおきたんです。それを手伝っているうちに商売になったんです。 5、6年前に友人からピラルクを紹介してもらって、それから今もう夢中ですね。 注)ピラルク アマゾンに生息する世界でも最大級の古代魚。
※ピラルクの魅力はなんですか?
たくさんあるんですよ。まずは食べておいしい。白身で食べやすい魚です。ほんの50年くらい前まではアマゾンの方では一般的な魚で、みんなに好まれていた魚です。今は幻の魚になちゃって、いない、いないって言われていますけど。 1年くらいで10キロくらいまで成長しちゃうんです。空気から直接呼吸するんで酸欠には強い魚なんです。養殖していてこんな楽な魚はいないし、誰にでもできるし、餌を肉に変える率が非常にいいし、総合してもこれ程養殖向きの魚はいないと。今いうと法螺吹きのように思われるかもしれませんが、21世紀には世界中に蔓延するのではないかと本気で思っています。ごく一般的な魚になる可能性は十分あると思います。ただ今の段階ではまだ研究があまりされていなし、いろんなロスがありますが・・・。
※一番最初にピラルクに会ったときはどうだったんですか?
友達にピラルクの話を聞いて完璧にバカにしていましたね。魚は豚や鶏みたいに餌さえやってればどんどん太るものじゃないって、野生のもんだよ、っていう感覚でした。魚は家畜じゃないですから。ところがピラルクは家畜になるんじゃないかと思います。食用の肉で鳥といったら鶏、肉といったらウシとほぼ決まっていますよね。21世紀後半は魚といったらピラルクっていうことになるような気がします 現に、せまいところに押し込んで大きくなっているという話はマナウスの方いくとたくさんあります。この間ペルーに行ったときも2メートル半くらいのが小さな所で飼育されていました。私のところで養殖として何匹かまとめて飼っているのが1メーター20くらいになっていますよ。今のところなんにも影響なく育っています。その辺のところをもうちょっと長い目でみて今後どういうことが起こっていくかということを調べたいですね。
※将来的にはどんなことを考えているのですか?
できることなら、みんなにピラルクの良さを教えたいですね。まだ皆ほとんど気がついていませんし。かなり専門的な人にピラルクの良さを説明してもあまり信用しないですね。でも、この成長の良さというのは世界の淡水養殖の人々は目をつけています。 この魚はせまいところに入れても、非常に性格がおとなしいので、そういう長所を伸ばしてあげたらいけるんじゃないかと思います。
※日本でもいけますか?
欠点として一番大きいのは、熱帯魚ですから温度の低いところでは飼育できません。
※ちなみに、最大どれくらいになるんですか?
これがいろいろと言われているのではっきりわかりません。一番でっかい話では5メートルあったという話もあります。ダーウインの進化論を出した頃、ワーレスという人がアマゾンを調査したことがあるんです。そのとき見つけた一番大きなものが、確か4メートルいくらかだったという文献が残っています。今現在確認されているものは3メートル50くらいのものがあります。
※何年くらいしたら食べられるのですか?
現地の人達は50キロくらいから食べているようです。それ以下はおいしくないようです。味はあっさりした白身の魚です。淡水のタラだといわれていますが、あれは塩につけて送られていたためだと思うんです。
※山で例えるとピラルクの段階はどの程度まで行っている思いますか?
まだ麓で道を探している段階じゃないですか。というのは私もう5年もこの魚に夢中になってやっていますが正式に養殖の許可がおりなかったんです。それがやっと許可がおりて、水産庁と一緒にやれることになったんです。正式に発表できることになったんでやっと土台についたというとこだと思います。
※趣味はなんでか?
魚ですかね。
※常に飼うというよりは養殖ですか?
北伯にいるころは、家中水槽だらけでしたから、そういうのも嫌いじゃないです。それよりも食品として、水産業としての養殖が頭から離れないですね。
※今の日本をみていてどういう風に思いますか。
テレビも新聞もみないし、私はわからないです。この前、父が死んだときに、若者の茶髪を見てびっくりしました。なんか外国に紛れ込んでしまった感じです。
※お話を聞いていると、ひとつのことをやりだすとそれしか目に入らないタイプの方のようですね。
そうですね。人の迷惑をあんまり考えないんですね。ははは。
※コロニアについてどう思われますか?
今までこうやって暮らしてきて、コロニアとはあんまり接触がなかったんです。サンパウロの奥地や北伯に入ったところはほとんど日本人はいませんでしたし・・・・。ここ2,3年サンパウロに出てきて遅ればせながらやっと会うようになった感じです。
※なかなか一代では難しい仕事だと思うのですが、息子さんについでもらいたいと思うようなこともあるのですか?
まったくないです。うちの息子もまだ12歳ですから、分からないでしょうが、私自身が父のことを考えながら生きたということがまったくなくて、自分のやりたいことをやりっぱなしでやってきたという感じなので自分の子供もそうだろうと思っています。それが一番いいと思っています。子供がなにに興味持つか分からないですけど、もし万が一子供が私のやっていることに興味を持って一緒にやるということになったら感無量でいいかもしれませんが・・・・。そういうことはまったく考えたこともありませんね。起きるとも思わないし。
※ブラジルに来てよかったですか?
ピラルクに会えたことはよかったですね。これは21世紀を待っていた魚だと思います。それを目の当たりに見れて、自分の手で育てることができたということはよかったです。さっき山にたとえましたがひょっとして道がみつけられたら、感無量じゃないですかね。やっぱりブラジルに来たからこそこれができる。 ピラルクは1億年前から地球上にいる古代魚なんですが、かわいくてねー、私のことを1億年待っていてくれたんじゃなかろうか、と思うときがありますよ。
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