農業: 松江正行さん (2003/04/11)
| 氏名 | 松江正行 | 住所 | サンパウロ州 メゾポリス市 | 職業 | 農業 | 生年月日 | 1936年 11月2日 | 出身地 | 群馬県 高崎市 | 渡伯年月日 | 1955年 5月21日(アフリカ丸) |
1998年9月4日(金) アリアンサにて
*あのブラジルはいつ来られたんですか?
1955年、5月21日です。
*日にちも覚えていらっしゃいますか。印象に残ってたんですか?
いや、別にそういうわけじゃないですけど。
*日本を出られた日にちも覚えてますか?
確か、3月31日だったと思います、神戸が。4月3日か4日に横浜でしたね。
*おいくつでいらしたんですか?
18才です。
*どういうかたちで?
叔父が来るもんでね、構成家族が足らんから、一緒に行ってくれって。
*構成家族って言うのは、何人ぐらいいないと来れなかったんですか?
働き手が3人って言うんだったですね。農業経験者じゃなきゃって言うことでしたけど、僕ら全然農業経験なかったですよ。
*その当時は農業しかなかったわけですよね。
ええ、雇用移民って言うんですか。 それで入ったところは、カフェランジェアの平野植民地です。
*カフェランジェアって言うのはどの辺にあるんですか?
ノルエステのバウルから先。平野植民地って言ったら、日系で一番最初の植民地です。
*その当時の話、聞かせてください。どんな感じでした?来て?
まあ、まず来た動機って言うのがね、親父を戦争で亡くしてるから、勉強したくも出来なかったし、それと当時日本で片親で教育無いって言ったら前途は知れたものですよね。どうせ。 だから、まだ若かったしね。漠然としてたけど、日本にいたってたいしたことないんだから。それで、最初に思ったのがね、サントスにパトロンが僕らを迎えに来たんだけども、どうせこの人らもたいしたことなくて来て、これぐらいになるんだったらって、
*自分だったらもっとスゴくなると。
スゴくなるとは思わないけど、何とかやれるだろうって。
*現在のお仕事は?
ずっと農業してるんだけど、ピーマンはもう36、7年作ってるんです。
*ピーマン一筋?
じゃないです。綿作りしてたんだけど、一作で半年遊んでるんでその副作で始めたのがおかげさまで、副作が主作になって。
*作付けはどのくらいですか?
10アルケール、日本で言うと24ヘクタールぐらいです。出来高が、大体ヘクタール当たり、一箱11kgで3500箱、ぐらいです。
*今年はどうですか?
出来はおかげさまでいいんだけど、値段のほうは先様任せだから。 レアルプランに入ってからは大体悪いですね。
*人も相当使ってやってらっしゃるんでしょ?
60人から70人ぐらいいますね。
*どうですかブラジル人、使い易いとか使い難いとか働かないとか?
でもまあ、こっちも働かないんだから。(笑)でもおかげさんでいいですよね。ちゃんと登録して使ってるし、裁判沙汰もだいぶやったけど負けたこと無いし。ちゃんと払ってる分僕自身にも大して儲けないですよね。 でもこんな時間にこんなこと言ってられるんだから、まあいいですよね。
*この前からコンピューター始められたんですけども、動機みたいなものあります?
大体、僕は好奇心強いほうでね、勉強してないけど、本読むのが好きでね。 月に14、5冊ぐらい読むんですよ。ジャンルは問わず何でもね。それで世の中の流れみたいなもの見ると、コンピューターも、もう必需品でしょ。
*どんなことにお使いになろうと思ってらっしゃいます?
うん、大体、農場の管理にね、領収書作るとか、在庫管理とか出来たらと思ってるんですけどね。インターネットも是非覚えて見なきゃいかんと思ってます。
*新しいことも取り入れてお仕事もまだまだ現役の松江さんですけれども、人生を振り返ってみていかがですか?人生観とか?
まあ、そんなたいして野心も無いし、でも、振り返ってみて幸せだと思ってますね。 どっちかっていったら、酒も好きでうまい物も好きで、あんまり人間が真面目なほうじゃないから、ブラジルとっても住みいいとこですよ。呑気なことしてても何とかなるしね。
*まあ、ご自分の生活をしっかり築かれて来られた松江さんだからおしゃれることだとは思いますが。こちらは福祉もしっかりしてないしね。
でもまあ、自分の生活は自分で守ると言うのはどこ行っても同じですよね。
*松江さん、お子さんは?
上二人女の子で、男の子が一人。孫は四人で、みんな混血です。
*お子さんがブラジル人と結婚されることについて抵抗ありましたか?
あんまり無かったですね。それは僕の欲から言ったら日系人と結婚してくれたらと言うのはありますけど、(純血と言うのも)時間の問題だと思うんですよ。
*お孫さんとはブラジル語で?
全部ブラジル語です。子供らは小さい時日本語しゃべってましたけど。周りは外人だしもうほとんどしゃべらないです。日本語は家内とぐらいですね。
*そう言うのに関しての寂しさみたいなものは無いですか?
別に無いです。で僕は本好きだから、自分の楽しみは自分のであるし。結局、 息子や娘って言っても、まあ、縁があって親になったんだけれども、考えてみたら他の人生でしょ、一時期僕と交差してるけれども。
*じゃあ二十歳過ぎたら勝手にやれみたいな感じですか?
そういうことでもないですけどもね。息子は僕の仕事継いでくれてるし、娘らも、日曜日っていっちゃ孫つれて遊びに来るし。だから全然無いわけじゃないけど、寂しいなんてたいして無いですよね。 戦争からこっち、ろくなこと無かったですよ親父は死ぬは、貧乏はするは食うや食わずで色々あったけど。ここへ来てやっぱり。 人間と言うのは望まんと出来ないですよね。昔の仲間見てもそうですね。
*でもここまでなるには相当努力もされてきたわけでしょ。その努力の原動力みたいなものと言うのは?
人生相手があるし、絶対思うとおりにはならんですよ。でもいつも前向きに物考えてそれであれですね、いつか僕はなろう、と思えばなりますね。で、だんだん欲も膨らんでいくけど、程々と言うのも大事ですね。調子がいい時はいつまでも続かないと。
*はい、はい。最後にね、今の若い人に対して何か言いたいという事ありますか? 特に日本の若い人に対して。
うん、もうあんまり世代が変わっちゃてるから、あれですね。でも10年ぐらい前にこういうことあったですよ。サンパウロの高野書店に研修生が来ていて、マットグロッソ知らないって言うからね僕は友達もいるし連れて行ったあげたんですよ。 そこの人達も皆良くしてくれて。そうしたら帰りにその学生が言ったことがいいんだね。 どうして皆、何の興味(利益)が自分にあってこう良くしてくれるんだろうって。 それで、お前あんまりのぼせ上がらんほうがいいよって言ったんですよ。 お前みたいな若造に何の興味がこっちにあるんだって。ただせっかくブラジルに来てサンパウロだけ見て帰られたんじゃね。やっぱりブラジルの良い所見てもらいたい。 こっちも懐かしいとかあるでしょ。こう思ったら良いんじゃないですか。こっちとしてはそういうことが出来るようになったんだから幸せだって。別にお礼も何にもいらないですよね。若い人にはね、ブラジルの違う側面を見ていってもらいたからね。 その人は今、大学教授になってるそうだけど。その人の同級生の大学教授もこっちに来たりして、ブラジルはインフレでひどいって聞いてたけど、皆さん毎日こういう良い生活してるんですかってビックリしてましたよ。 別に先生方が思ってるほどこっちは困ってないですよね。(笑)
*面白いですね。その方たちもインターネットでこれを見てるかもしれませんね。 今日は本当にありがとうございました。
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