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     文化・芸術・スポーツ関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
日本語教師: 章子 栗原 渡辺さん

日本語教師: 章子 栗原 渡辺さん (2003/04/11)
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氏名章子 栗原 渡辺
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業日本語教師、日本語講座コーディネーター
生年月日
出身地サンパウロ州 サンパウロ市
渡伯年月日


2001年2月

※今のお仕事はどういうことをされているのですか?

日本語教師とアリアンサの日本語講座のコーディネーターをしています。

※日本語を教え初めてどれくらいになるんですか?

アリアンサでは22年です。サンパウロ大学を卒業して、大学の文化研究所で働いて少し教えました。その後日本に留学して、帰ってきて大学で勤めながらアリアンサでも教えていました。全部いれたら23か24年です。

※どちらに留学されていたのですか?

東京学芸大学の方に2年間留学しました。

※どうして日本語の世界に関わっていこうと思ったんですか?

最初なんとなくだったんじゃないかなー。高校は師範高等学校を出ていましたから、そういう教育関係の仕事はしたいと思っていました。会社勤めもしたんですが、つまらなかったですね。州立の小学校でも教えたんですが、給料が凄くやすくて、ストばっかりやっている時期で嫌気がさしてそれもやめまして、結局は日本語教師が一番向いているなという感じです。

※そすると、もう日本語教育ではブラジルでは第一人者ですね。小さい頃からやっぱり日本語環境の中で育ったんですか?

そうですね。両親がすごく日本語教育に熱心で、子供の頃は周りがブラジル人ばかりのピリツーバという小さな町にいたんですが、それでは子供たちが日本語を話さないということで、日本人が多いところに引っ越して日本語学校に通いました。

※おとうさんが有名な方とお聞きしましたが

俳句を長い間やっていまして俳句仲間では有名です。俳句の方の名前は義人堂といいます。日本政府から勲章ももらっていました。去年なくなりました。

※ご両親は日本語の教育は厳しかったんですか?

 そうですね。母は2世ですから、ポルトガル語も普通に話していましたが、私たちとは意識して日本語を話していました。本は必ず買っていました。読もうと読むまいと置いておけば読んでくれるだろうという感じで日本語の本はずっとありました。

※お父さんはどういうご職業をしていたんですか?

ピリツーバではお店をやっていたんですが、小さな日本人村に引っ越してからは養鶏をやりながらサンパウロに週3回出かけていってフェイラ(市)で卵を売ったりしていました。

※今の生徒さんはどんな感じですか?

私が入った頃、20数年前は600人くらいいたのかな。それからどんどん増えていって、最高3000人近くなりました。それからまた下り坂で。1985年~90年ぐらいまでよかったんですが、2、3年前に400を切ったんじゃないでしょうか。今ちょっと持ち直してきています。生徒の質とか学校に求めるものも変わってきています。短期間に実用日本語を覚えたいという層が多いですね。前みたいに、趣味的に文化的に、教養を高めるためというのはほとんどなくて実用的な会話を話せるようになりたいというのが多いです。そういう講座にあった教科書作りをやっていかないとだめですね。またそういう講座も設ける必要があると思います。

※日本語を教える喜びっていうのは?

日本語だけでなく、何かを教えるというのはやっぱり生徒が覚えてくれることです。日本に行ったとき使えて嬉しかったとか、家でお客さんが来たとき誉めてもらったというような報告を聞いたり、また実際に全然何も話せなかった子供が話せるようになったり、読めるようになったりするのを見るとやっぱり嬉しいですね。

※日本語を教える独自の難しさはありますか?

文法的には日本語はそんなに拘束がない言葉ですよね。言葉というのは文化を反映していますから西洋文化と東洋文化の考え方は全部反対でブラジル人にとっては日本語はつかみ所がないんです。数学みたいにきちっと答えが出ないものですから、ある程度感覚とか勘でつかまないといけない部分があります。英語なんかポルトガル語に近いから感覚でこういう表現はこういうふうに言えばいいんだなとわかるんですが、日本語は全然つかみ所がないと言うんですよね。こういうものだなという感じでつかめた人は3年くらいで急に伸びる人もいますが、つかめなかった人は昇級した段階でダウンして辞めてしまう人もいます。
 
※今は日本語の先生も指導しているわけですか?

普及センターに養成講座というのがありまして、そこの責任者です。

※というと先生にも、生徒にも教えているわけですか?

教えるのは好きです。教えていないと生徒がどんな感覚をしているのか、何を求めているのか、どの程度のレベルになっているのか実際に教えて肌で感じないとわからない部分があるんです。教えていないと、いい指導というのはできないし講座もまとめはできないと思いますから。
それこそ一生現役でいたいと思っています。

※かっこいいですね。CD「日本語で話しましょう」というのを作られたと聞きましたが。

思惑違いが最初ありました。最初は自然な日本語それも対偶表現をふんだん使ったものにしたんですけど、やっぱり半年ではとても口がまわらないんですよね。例えば「なになにしていただけませんか」というような長い表現はなかなかできません。だからそういうのは一切省きました。あと、機械オンチですからこんなこと機械でできないのとか、そういうのがいろいろありました。

※できあがってみて満足度はどうですか?

思ったより、できがよかったんじゃないかと思っています。櫻田さん(インタビュー記事あり)が随分丁寧にやってくれましたから。

※反響はどうですか。

CDの方はまあまあです。ちゃんと、浦和の図書館にも入っていて使えるようになっているそうです。
CDを使ってインターネットにからませて通信講座をやるというものだったんですが、そこまではちょっと行ってません。ただ男の声だけでやっているので女の声も入れて改訂版を作らないとだめです。 
発声が違うから日本から来て間もない人で声がきれいな人を使いたいですね。

※今後はどういうことをやりたいですか

講座をもうちょっと変えて、生徒の要望が、会話中心のものというのでしたら、それも考えていかなければならないと思います。あと、定年退職した方の中には、ちょうど若い頃戦争時代で日本語を勉強できなかった方が多く、勉強したいという人がいます。そいう方は聞き取りができますから、読み書きを中心にした講座はどうかなと思っています。後、カラオケで日本語を覚えるなんていうのも考えています。

※ブラジル人はゼロから始めるわけですが、いろんな部分で違いますか?

日系の人もたくさんゼロから始める人がいますが、いろんなところで日本語を聞いてなんとなく耳が慣れているんですね。それに対してブラジル人まったく聞いたことがないという人達でしょ、だからスタートラインが同じでも日系の方が伸びが速いです。だけど、努力するのは非日系の方がします。日本語を習いたいという気持ちで入って来るわけですから。一方日系の方は顔が日本人だし喋れないと恥かしいから、とういうので気軽に勉強してちょっと習おうかなという人が多いんです。宿題なんかも出さないのはたいてい日系です。

※現在の家族構成は

結婚はしていますが、子供はいません。

※ご主人は?

日本人です。東京農大を出てこちらに来ています。友達に紹介されて、主人がこちらでポルトガル語を習っているときに知り合いました。
主人は現在サントスのゴンザーカの海岸に面したところで「寿司スバル」というレストランやっています。主人に言わせると私があまりにも料理が下手だから作るようになったのがきっかけだといっています。

※じゃあ今は旦那さんが料理をされるのですか?

そうですね。サントス行ったときはほとんどやってもらっています。自分ではあんまり作らないですね。

※いいですね、休みの日はサントス(海岸)で過ごすというのは。

よくないですよ。仕事するんですから。サンパウロにいるときは日本語教えて、向こういったらウエイトレスやっています。

※やっぱり日本人の方と結婚しようと思っていたんですか?

そういうことは特にないですけど、両親は絶対日系人がいいと言ってました。だから私たち兄弟はみんな日系人と結婚しています。母の兄が非日系と結婚して、別れはしなかったですけどあまりうまくいかなかったようで、うちにきては母に奥さんのことをこぼしていました。だから母が「絶対ダメよ異文化は」と言っていました。

※日本についてどう思われますか?

経済的にはもう少し持ち直して欲しいですね。本家本元が元気を出さないとこちらの生徒も増えませんからね。それと日本語をもっと大切にして欲しいです。日本語が乱れているとは思いませんが、やはり外来語の使いすぎというのは、自分の国の誇りを持っていないのかなと思ったりしてしまいますから、もっと誇りを持ってもらいたいですね。


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