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     文化・芸術・スポーツ関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
群馬県人会管理人: 大矢 みどりさん

群馬県人会管理人: 大矢 みどりさん (2003/04/11)
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氏名大矢 みどり
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業群馬県人会管理人
生年月日
出身地群馬県
渡伯年月日1959年(ぶらじる丸)


2003年2月

※ 何歳の頃来られたんですか?

 18歳のときに、父と母が行くというんで一緒に来ました。本当は来ないつもりでおったの。私は東京の有名なそば屋で働いていました。

※ どうしてまたブラジルに来られたんですか?

うちはあんまり裕福じゃなかったんで、ちょっと行って一儲けしてこようか、という感じで父と母が決めたんです。3年くらいしたら帰るつもりで来たんですが、ブラジルに来て、もう43年。水も電気もありますよっていうことで来たんですが、水も何にもないんですよ。ランプと湧き水を使っていました。最初に入ったところはパラナのオリニュウスに入りました。私たちは養蚕移民できたんです。3年くらいやったのかな。半々で全部歩合でやったんです。群馬は養蚕地帯でしたからね。

※ 3年してどうだったんですか?

よくなかったよ。もうムダンサ(引越し)が多かったのよ。夜逃げといったらおかしいけど、本当にもうムダンサばっかりっだった。パパイとママイと兄貴と弟と私と5人でね。悪いことばっかりだよ。仕事になれないでしょう。日本だったら小さいでしょう。でもこっちは物凄く大きいでしょ。だからやることがまるっきり分からなかった。当時18歳で何もしらないし、クロンボを見たら怖いとかそんなんばっかしよ。ねえ。全然いいことがなかったですよ。

※ 18歳といったら、当時はもういくらでも嫁に来てくれというのがあったでしょう?

 あったけどね、歳が若いからだめだよって、いわれていたから結婚しなかったです。ブラジルに来てからどろぼうにあったり、ひどい目にあったり辛いことがいっぱいあったのよ。もう泣きの寝入りしかなかったですね。

※ その後は?

 うちのパパイが55でなくなったの。だからあとは本当に大変だったの。だって真っ暗になっちゃったよ。親方がいなくなったわけでしょ、何したらよいかわかんないでしょ。兄さんはおったけど、私よりもウブで、世間のことがわからなかったのよ。私はが、いつもばーっていうほうなのね。今でもそうだけど。だからうちの兄貴はあんまり頼りにならなかったよね。家族は私をすごく頼りにしていました。
 父がしんでから、もう、どうすることもできないでしょ、私らの同船者の方に、49日が済んだら迎えに来てくださいっ、ていう手紙を出したんです。ちゃんと迎えにきてくれて、そこの家で一緒にくらしたんです。その間に、長男に嫁さんを紹介したんです。それで、みどりさんには恩があるっていってね。本当に私たちのことを良く見てくれました。やっぱり同船者ってうれしいですね。温かみがあるのよ。普通そんな温かみはないでしょう。今でもあったら、おー元気かって言ってくれて、来たらいいよ、って言ってくれます。

※ その頃は何をしていたんですか?

トマトとか野菜を植えていました。それから結婚して、サンパウロにきたんです。今は1人息子が日本に住んでいます。もう孫は2人いるんですよ。東京でがんばっています。一緒に住もうって言ってくれるけど、だけど1人の方がいいじゃない。若いものを集めて、バカ話ばかりして、楽しいです。
結婚してフェイランテ(日曜市で野菜等の販売)をしていました。でも大変だった。あの頃は何でも安かったから。トマトときゅうりとたまねぎを売っていました。私、そういうことが好きなの。でもいろいろありますよね。息子が言ってくれますよね、ママ、歳なんだから無理しちゃいけないって。うちの嫁がまた凄くいいのよ。外人なの。日本語はよくわかるしね。でも、最初は結婚するって言われたとき、哀しくって涙が出た。どうしてかっていうと、こんなんに大きくして外人と結婚するなんてねーと思った。情けなかったですよ。うちの息子が外人でも日本人でも気持ちは同じだよって、いったんですが、ママがっくりしちゃったねー、ていったものです。9年、うちの息子は彼女とつきあったんです。もうなんともいえないでしょ。それで結婚したよね。まっ、凄くいい嫁さん。もう日本語ベラベラ。結婚してすぐ日本いちゃったでしょ。今年で15年いるのよ。息子は会社の社長さんにも凄く気に入られて、だから幸せよ。もうブラジルに帰ってこないって言っているんで、ママが行くよねって言っています。お嫁さんも、日本は治安がいいからいいって。

※ 旦那さんは?

 夫とは別れました。ノン・プレスタ(ダメな)の旦那とは別れた方がいいのよ。はははは。お酒は飲まなかったけど、あんまり好きじゃなかったんだろうね。男の人なんてすぐ女の人作るでしょう。悪いよね。あれ。で別れたんです。一人の方がよっぽどいい。自由になるでしょう。あっさりと、はははは。男の人はかわいそうだけど。みどりさん一人だったら一緒になろうか、っていう人もいたけど、もうシガー、シガー(十分)、っていって断っています。そんな人がたくさんいるけど、もう、嫌。

※ この会館でどんなことをやっているんですか?

 やっぱり管理ね。人が来たら、応対したり。
ここには、いろんな若い人が下宿しています。面白いですね。いろんな人が寄ってきてくれて楽しいです。やっぱり1世の人がいいね。どうしてかっていうと、こっちが聞くとすぐ答えてくれるでしょ、2世の人たちはそれが違うのよ。こっちが聞いてもなかなか返事が返ってこないのよ。日本語が分かっていても返ってこない。だから、あなたたちは2世だから無理もないけど、日本語をもっと勉強しないとダメだよっていっているんです。例えばおはようも言わない男の子もいたんで私が教えてあげました。同じ日本人だったら、おはようぐらい言ってもいいでしょう。

※ 今まで困ったことは?

 一番の苦労はうちのお母さんがなくなったときかなー。日本から苦労していたけど、あんまり感じないなー。小さいときから苦労しているから。他人のご飯食べたり、実際苦労をしているんだけど、あんまり顔に出さないようにしています。みどりさんあんた偉いね、苦労していると顔にだしたり、口に出したりするけど、あなたはそんなことないって。みんなに言われるけどね。嫌になっちゃったなっていうことはたまにはあるけど、自分が悪いんだから、しょうがいよね。

※ 日本に帰ろうか、って思ったことはなかったんですか?

ないのよ。私は死ぬまで帰れんと思っとたんよ。ほんとの話がね。そしたらうちの息子が往復の日本行きのキップを送ってくれたの。40年ぶりで(日本に帰ったのが)、涙が出たよ。96年に帰ったの。死んでも帰れないと思ったのが帰れたでしょ。小学校、中学校ともそのままあったし、日本は変ってなかったね。

※ ブラジルと日本とどっちがいいですか?

 やっぱりブラジルがいいよ。日本じゃ夏着、冬着だとか、そういうものがたくさんいるでしょう。ここはそういうものがいらなくて一枚で済むじゃないの。そういうところが好きなの。でも泥棒が多いでしょう。そういう所は嫌いだけど、誰に会ってもボン・ジア(おはよう)でしょう、そういう、人間の暖かいところは好き。日本だとすぐ近くに住んでいても、おはようございますっていっても挨拶してくれいないでしょう、日本の人は冷たい。日本に行ったとき凄く冷たく感じた。道が分からないから聞くと、そんなことわからない、ってこうだもの。ねえ。そんな感じませんか。私、凄く感じました。

※ 日本の若者について何かありませんか?

 今、日本から来る子はやっぱり冷たいよ。私感じるの。電話なんかでも、貸してくださいっていわれれば、私いやだとはいわないけど、夜11時半から1時くらまでかけるていたんで、あなたどこにかけていたの? って聞くと、どこだっていいじゃないの、いうんですよ。それであんた親にもそんな言い方をするのかっていったんです。で、だまちゃったんです。それで、私はあなたの親じゃないんだから、そういうことを言いっちゃいけないよ、っていたんです。今の若いものは物凄く口がたっしゃ。そして冷たい。うちの息子なんて親にそんなこと言ったことないもん。
 やっぱし、もう少し年上の人に対しいて尊敬の念をもたんきゃいけなわいね

※ 今後、どういうことをしたいと思っていますか。

 息子のところに帰りますよ。ママ帰ってらっしゃいって行ってくれるよね。まだまだだけれども、最後には日本に帰りまよ。やっぱり自分の生まれ故郷がいいじゃないの。電話かければすぐ飛行機代送って売れるから、って言ってくれるの。行けるところがあるから幸せよね。


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