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     文化・芸術・スポーツ関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
舞踊家: 小原 明子さん

舞踊家: 小原 明子さん (2003/04/11)
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氏名小原 明子
住所サンパウロ州 ミランドポリス市
職業舞踊家
生年月日1935年6月7日
出身地東京都
渡伯年月日1961年


2001年11月

※ ブラジルに来た動機は何だったんですか?

ブラジルに来たのは26歳の時でした。
子供の時から踊るのが好きで、本格的に踊りを始めたのが中学二年の時だったんですが、そのままずっと踊り一筋でやってきたわけです。将来有望な新人として舞踊界にデビューしていましたが、このまま波に乗って日本の舞踊界で生きていくことに疑問を持ちまして、何かが足りないと思い始めたのです。
アフリカの奥地の部落の中に入って、何もかも忘れて一度思いきり踊ってみたいなあ、なんて考えたりしてました。今の若い人だったらそういうこともできたでしょうが、海外への自由渡航はだめ、外国へ簡単に行ける時代ではなかったんです。たまたま亡くなった主人と仕事を通して付き合いがありましてね。彼は舞台美術の方もやってましたから、もちろんダンスの方の装置もしてました。
その彼がブラジルに行くと言うんです。大きな養鶏場があって共同生活をしているところがある。そこを紹介してくれる方がいるという話をしたんです。そして私もその農場主から彼宛に来た手紙を読ませてもらったんです。手紙を読んだ瞬間に、私も一緒にブラジルに行こうと思ったんです。これはいまから思うと運命的な出会いだったと思います。
こちらに来て農場主の弓場さんと話していて、弓場さんもおっしゃったのですが、それは一つの神の啓示だと。あれこれ迷ってああしようか、こうしようかなんて考えなかった。ひらめきってありますよね。そのひらめきに似たものが、私をブラジルに寄こしてしまったのです。ブラジルがどういうところかもまったく知らず、弓場農場がどんなところかも知らないで彼と一緒にブラジルに行くべきだ、一瞬の決断でしたが若かったからできたのでしょうね。

※旦那さんはどういう事をされていたのですか?
 
主人は芸大を出て彫刻家として石彫ををやっていました。モダンアートです。化粧品会社の嘱託をしながら彫刻を発表していました。モダンアート展などに出品して、新人賞などをもらっていました。
日本にいると失うものが多すぎると言ってました。
彼はブラジリアに首都ができた話を聞いて「原始林のまっただ中に超近代都市をぶっ建てた。こんなとてつもないことをする国にはきっと自分の居場所があるはずだ。近代と原始がぶつかり合ってるブラジルで、自分の彫刻家としての可能性を試してみたい。」というのが彼のブラジルに来た理由だったんです。
「自分は三年間それに賭けてみる。そしたら君もブラジルに来てくれるか。」と言ったんですが、三年の間にはお互い何が起こるかわからないですよね。出発するなら一緒に出発したいと言いました。

※明子さんは見るからに上品な方ですが、日本の家族の方はブラジルに来られることに反対されなかったんですか?

まったく反対しませんでした。
家族は六つ年上の兄、八つ年下の妹と両親の五人家族で父は大学教授で工学系の学者です。母は専業主婦でしたが、アートに関する理解はあって、娘のやることにいつも応援してくれていました。
母はともかくとしても、何ごとにも綿密な計書を立て、石橋を叩いて渡るような父はおそらく反対するだろうなと思ってました。反対されても黙って行ってしまおうと思っていたのですが。結婚を申し込みに来た彼に、「君はブラジルに行くそうだが、ブラジルに行くなら二人一緒に行かなくてはだめだよ。」と言ったんです。思いもしなかった父の言葉でした。
意外なことのなりゆきにびっくりしましたが、嬉しかったですね。その父がヨーロッパへ出かけた帰りに弓場農場へ寄ってくれたんですが、弓場勇さんは私の父が来るということで戦々恐々だったようです。
娘さんがこんな田舎のボロ屋に住んでいるのを見たら、お父さんはどう思うだろうとびくびくしていたらしいのです。
父が来て一緒にお風呂に入りながら弓場さんは「雨漏りのするようなボロ農場に娘さんが住んでいるのを見て、お父さんがっかりなさったでしょうね。」ってきいたそうです。父は「とんでもない、私はあの子があんなに生き生きしている顔を初めて見ました。」と言ったそうです。それを聞いて弓場さんはとても喜んでいらっしゃいました。
日本にいた時はまったく畑違いの所にいる父と話すということがなかったのですが、アートの世界でも人の足を引っ張ったり蹴落としたりしますでしょ、そんな世界で娘がやっていくことをあまり好ましく思っていなかったみたいですね。ボロ屋に住みながらも、小原明子の世界を広げていってるのを見て、父も嬉しかったようです。
「決してあせってはいけないよ、のんびりゆっくりやりなさい。」と言って帰っていきました。

※弓場農場で明子さんはどういうことをされて来たのですか?

12月、ナタールの一週間前に着いたんです。ユバでは毎年ナタールになると合唱をしたり、簡単な劇をしたりしていたので村でもユバのナタールは有名だったんです。あの頃は美空ひばりや江利ちえみなどの巡回映画を見てそれをお手本にして自分たちで踊りを創っていたんです。
「明子さんはバレリーナだ、みんなで創った踊りを観てもらったらどうだ」と弓場さんおっしゃって、娘達の創った踊りを見せてもらい、うまくいってないところをなおしました。そこから私のユバでの暮らしが始まったんです。
弓場さんは農業だけしていたんではだめだ、ここに人間の文化が育たなければだめだ、映画だ、芝居だとおっしゃって子供達に絵を描かせたりピアノを弾かせたりしていらしたんです。
子供が三十人近くいたんですが、その子供達にナタールに踊る簡単な踊りを数曲つくりました。ナタール間で一週間しかなかったんですが、真夏の炎天下、野外で踊りを振り付けていきました。その様子を弓場さんがご覧になって、これは大変な人が来た、子供達が別人のように変わっていくと言われました。日本にいる時は私、あまり子供って好きではなかったんです。でもユバに来てこんな可愛い子供初めて見たと思いました。パンツ一枚の裸で、裸足で真っ黒で目がきらきらして、本当に可愛い子どもたちがいっぱいいたんです。次の年から本格的に踊りを教え始めました。

※ユバ農場の最初の印象はどうでした?

そうですね、恐ろしいところに来たと思いました。農場に着いたのがちょうどお昼のカフェーの時間で、食堂に皆集まってきたのですが、来る人一人ひとりそれぞれがすごい面魂をしているんですよ。真っ黒に日焼けしてランニングシャツにショートパンツから出ている手足はごつごつに痩せていて、あら、あの人ガンジーみたいな顔してるわって感じ(笑)どの人も一癖も二癖もある個性の持ち主っていう感じでした。この人達の生活、これは本物だと思いました。
すばらしい音楽聞いたり、すばらしい絵の前に立ったとき、震えるようなすごい感動を受けますよね、それと同じようなショックだったんです。
これは本物だ。この人達の中では自分をごまかして生きていくことはできないと瞬間に思いました。大変なところに来たと思いました。それでよーしと思ったんです。この人達と真っ正面から向き合ってみようと思ったんです。弓場さんとは毎晩遅くまで話しました。午前二時、三時頃までずーっと弓場さんは本質論を話すんです。「私、弓場さんとは心中しませんよ、変わらずに平行線で行きます。」って最初に言ったんです。若かったですから多少の反発もありましたね。「弓場さんの生き方と私の生き方、目指すものは同じかも知れません。だけど方法は違います。同じ理想を持って共感を持っていても弓場さんが左を向けと言っても私は弓場さんの言うことに従わないかも知れません。」って言ったんですが、弓場さんは「それでいいんだ、明子はあくまでも明子でいいんだ。」とおっしゃってました。
弓場さんが亡くなる一年くらい前ですか、俺のことを一番理解してくれているのは明子さんだとおっしゃったことがあります。
ふと気がつくと、弓場さんと同じ事をやり始めているなと思うことがたまにあります。でも弓場勇という人はあまりにも偉大な人でしたから弓場勇の境地まで私は到達できないなあと思います。

※弓場さんという人は明子さんにとってどういう人だったんですか?

どういう人だったんでしょうね。私の中にあるものを引き出した人だと思います。もともとそういう素質があっても自分で気がついてない部分を弓場勇という出会いがあって、いつの間にか引き出されていたと言うことでしょうか。だからといって、これ非常におこがましい言い方かも知れませんが弓場さんに影響されたとは思いません。
私、大変負けん気が強い方ですから(笑)絶えず弓場さんに負かされてたまるものかとやって来ましたから。
尊敬していたなんて簡単に言えるものじゃないですね。心を開いて何もかもお話しできる方でした。そういう意味で私にとって親を越える存在でした。とにかく弓場さんは偉大な方でした。

※ユバは田舎ですし、その中で埋もれていく自分というものがあったと思うんですが、その辺はあせったりしなかったですか?

失っていくものもあったかも知れませんね。他から見れば、そう見える部分もあったのでしょうが、どっちに転んでも本質は変わらないと思いますしその事であせった事はありません。

※弓場での生活はいかかがですか?(弓場での生活はいかがでしたか?)

小原は男ですし、彫刻をやっているからいいんですが、私は東京で舞踊家としての道を歩んでいましたから、私たちを弓場に紹介した方があんなブラジルの山奥で、東京育ちの人がはたしてやっていけるのだろうか、と思ってらしたようです。その頃はコチア青年移民など、一年契約だったんですね。紹介した手前、何があっても一年は我慢してくれと言われました。一年三六五日ぐらいどんなことがあっても大丈夫ですよと答えましたが、それから四十年経っちゃったんです。
農場では子供達も卵を集めたり、年齢に応じてそれぞれの分野で働いているわけです。「私も畑に行く」って言ったんですが娘達はとんでもないって言うんです。そんなことをしたら、夜自分たちに踊り教えてもらえなくなる、明子さんが畑に出ても自分たちの三分の一も働けん、来なくていいよと言われてしまいました。
身近な仕事を探してマイペースでやってきました。とにかく着いた頃は一年近く、弓場さんと激論を戦わしてましたからそれが一つの仕事みたいなものでしたね。
そのうちふと気がつくと、通訳的な役割をしていたんです。弓場さんと子供達の間に入っていたんです。弓場さんの話すことは抽象的で非常に難しいところもあって若い人たちにはなかなか理解できないんです。反発もありましたしね。私が弓場さんを理解すると同時に、今度は若い人たちと一緒に弓場さんを理解する、そんな時期がありましたね。

※いまはどういう立場なんですか?

まず踊りを通して子供達と向き合い、クリエイトする大切さを教えています。若い人たちの気持ちも分かりますしね。話の聞き役になったり応援したり、力になったり、時には駆け込み寺みたいな役割をしたりしています。

※踊りを通してどういうことを表現したいと考えていますか?

まず踊りを通して弓場の子供達のパーソナリティーを育てる。踊ることによって自己表現する喜びを教えますが、踊りはただ体を動かせばいいというものではないですよね。
人間的にも育っていかなければならないわけです。
振付家は素晴らしいダンサーを前にしたとき、創造意欲をかき立てられる部分があるのです。自分がこういうものを表現したいと思うでしょう、ダンサーのパーソナリティーに引っぱられて作品を創っていくという事があるんです。いままでもそうやって随分作品を創ってきました。弓場で育った子供達の良さを表現できる作品を創っていきたいと思っています。四〇年も続けていると弓場の生活の中からバレエをとってしまうことができないものになっているんです。仕事の方がものすごく忙しいからバレエの方ちょっとお休みにしようということになって、しばらくレッスンも休みにしたことがあるんです。皆調子が悪くなりましたね。
私が来る前には、一週間に一度皆で同じ仕事する共同作業というのがあったんですが、今はないんです。いうなればバレエがそれに変わったのでしょうね。
バレエを舞台でやるときは踊り手、舞台裏と四,五十人の人が気持ちを一つにしてやらなければならないわけで、これは立派な共同作業です。「バレエというものは共同体の中で育つべき要素がある」と弓場さんが言ってらっしゃいましたが、バレエは一人ではできない作業です。チームワークがうまくいってないとだめなんです。

※日本の若者に対して何かメッセージがありますか?

まず自分をよく見つめることです。自分は何なのか、自分を本当に知ることが大切なことだと思います。それを知らないで、どんなことをしても他を理解することは出来ないと思うんです。
よく若い人たちに何をしたいの?って聞くんです。はっきり言える人は少ないですね。あれこれ迷っていてもこういう事をやって行きたいと言った人は弓場にいる間に自分を発見して帰るんです。
「迷っていたけど、とにかくやってみることだと思いますのでもう旅行をやめてすぐ日本に帰ってやってみます。」と言う青年が何人かいましたけど嬉しかったですね。
一時期、非常に生きていることに対して無責任な青年が多かったことがあります。「何で旅行しているの?」って聞いても「さあー?」って言うんです。もちろん色々考えてはいらっしゃるのでしょうけど。
物事に感動し、心から笑って涙を流せるって素晴らしいことだと思います。生きていることに感謝し、他人を思いやる心を持って、そんな若者になってほしいですね。
日本はだめだ、将来を考えるとお先真っ暗闇、希望は持てないなど言う若者が今多いと聞きますが、良くするも悪くするも自分たち一人ひとりの生き方にかかっているんだと言うことをしっかり考えてほしいと思います。他人事ではないんです。

※今後どういうことをやっていきたいと思いますか?

死ぬときに生きてきて良かったなと思えるように、死ぬときに悔いを残さない人生を送りたいと思います。

※最後にゆばと言う場所は明子さんにとってどういうところでしょうか?

命をかけて悔いのない場所だと思います。


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