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     文化・芸術・スポーツ関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
折り紙インストラクター: 金ヶ江 真理さん

折り紙インストラクター: 金ヶ江 真理さん (2003/04/11)
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氏名金ヶ江 真理
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業折り紙インストラクター
生年月日
出身地パラナ州 ロンドリーナ市
渡伯年月日


2002年7月

※ 真理さんは何世ですか?

 二世です。父は長崎、母は静岡です。父はブラジルに来て多分55年ほどになると思います。ずっと南米銀行で働いていました。

※ 今どんなことをされているのですか?

折り紙をと切り絵を教えています。切り絵というのは、中国で昔からやられていたものです。カッターで紙を切って、版画みたいな感じのものです。

※ 折り紙というのはブラジルでも「オリガミ」と言われていますが、かなり定着しているみたいですね。

ブラジルで初めて折り紙を教えた人は、日伯文化連盟で働いていた光田八千代先生です。先生は60年にアリアンサ文化連盟と日本領事館と一緒にあちこちブラジルで教えていました。
私が最初アリアンサに入ったのは、折り紙を教えるのが目的ではなかったんです。アリアンサが81年頃に子供用の学校を始めたんです。そのとき幼稚園の保母をやっていたのですが、そのことを新聞で見て、そういう学校で美術の先生をやりたいなと思ってアリアンサを訪ねたんです。ちょうどそのときには先生が決まっていたんですが、八千代先生が折り紙の授業をやるのでそこで手伝ってくれますかと誘われたのがきっかけです。最初は先生のお手伝いをしていたのですが、先生が音楽療法の方を始めたので、跡をついで私がやるようになったのです。

※ 折り紙の魅力ってなんですか?

紙1枚以外なにも必要ない。どこでも、誰でも、人種、貧富の差に関係なく誰でもできるということです。
あと、頭の働きをよくするということで子供にも老人にも楽しめます。

※ 折り紙を初めてどのくらいになるんですか?

79年からだと思います。サンパウロ大学で美術を専攻して大学の最後の年に研修に行くと、すごく貧しい子供ばかりいる州立の文化会館で教えたんです。みんな貧しくて何も持っていないんですね。それで、あるもので何かつくりましょうということで、折り紙をやり始めたんです。いつも捨てていた紙がおもちゃになったということが子供達には非常にうれしかったようで、家に持って帰ると、母親も喜んで、私に折り紙を習いたいというふうになったんです。そのおかげで私は子供だけでなく、お母さんや、家族とも良い関係を持つことが出来ました。折り紙を通して家族と付き合えるようになったことは凄いことだなと思いました。
折り紙を通して、子供やそのお母さんなどからいろんなことを学びました。

※ どうしてこれほど折り紙が拡がったのでしょうか?

 折り紙は、日本では一般的に子供の遊びとか幼稚園でやることと思われているんですね。こちらにいる日本人もそう思っています。だけど最近外国では子供だけじゃなくて、大人の仕事用教材だと思われています。例えば大学で数学や、生物学の教材としても使われています。日本の生物学の先生がビールスやDNAの模型をすべて折り紙で作っています。アメリカやイギリスでは、療養としても使われています。
ブラジルでも最近、教育や療養に使われています。また、いろんな会社でセマーナ・ヂ・サウージ(健康週間)といって、その週は健康のためにいろんなことをする週があるんですね。いつも折り紙が毎年招待されています。その会社に働いている心理学者が折り紙を勧めています。会社で働く、掃除をする人から社長までが同じ場所に集まって、誰でもできる折り紙をすることが非常に人気があります。偉い、偉くないは関係なく、同じレベルで折り紙をやれるのでみんな喜んでやっています。ただ残念なのは日本の会社は今まで一度も呼んでくれていません(笑い)。外国、ブラジルの会社の方がまじめに折り紙をみてくれています。

※ 今SESCで折り紙の展覧会をやっていますが反響はどうですか?

凄くみんな喜んでくれています。最初、場所を貸してくれるように申し込んだときは、あんまり乗る気でなくて、小さな場所しか貸してくれなかったのですが、他の国の作品を見たときにびっくりして、急いで他の場所を用意してくれました。本当は5日間だったのが26日間の展示になりました。SESCに行ったこともないような人が行って随分宣伝にもなったようだし、子供から大人までいろんな人が来てまた家族できて楽しめ評判がよかったからです。

※ 展示会は随分大変だったでしょう。

コッパ・ド・ムンドは2つの意味があるんです。ひとつはスポーツの競技、もうひとつはいろんな国の友好。日本の領事館からW杯と一緒にやるのに何かアイデアがありませんかといわれて、折り紙を中心にしていろんな国の友好をしましょう、というアイデアを出したんです。みんな参加してくれるかどうか分からなかったので凄く心配しました。
私たちが折っただけでなくて、いろんな国の作家が送ってきた作品を展示しました。その国の一番有名な作家も出展してくれ、例えばフランスの第一人者、リノエル・アルベルチノからはサソリが送られてきたのですが、到着が非常に遅れたんです。私はなかなか着かないので心配していたんですが、あんまりきれいに作っていたので本物と思われて税関にひっかかっていたようです。

※ 真理さんは折り紙の本を出していますがどうですか?

3冊だしていますが、2冊は10版目にはいりました。だいた4万冊ほどだしました。上級向けの本はアメリカ、ドイツ、フランスに送っています。
今度は折り紙の折り方じゃなくて、折り紙の使い方、例えば教育とかそういう風な本を出したいですね。
今年3ヶ月間日本に奨学金をもらって日本折り紙協会にいってきます。もっと折り紙を勉強してこようと思っています。
日本の加瀬三郎先生という盲目の折り紙の先生は学校で目の見えない人や精神障害の子供たちにも折り紙を教えているんです。そこでも実習してくる予定です。

※ 折り紙で生活できますか?

ちょっと難しいです。何人かやっていますが、辞めた人も多いですね。私の場合はまだできるからいいですけど・・・。私が折り紙を教えているというと、「いいですね。そういう仕事は、遊んでいてお金もらえるから」っていわれるんですね。だから仕事と思われていないんです。そういう考え方があるから難しいです。例えば、催し物に参加してくださいと誘われるのですが、プロとして頼まないんです。私は、遊びとしてもいいんですが、他の仕事と同様にもっとプロフェッショナルとして認めてもらいたいです。

※ 日本の若い人たちを見ていてどう思いますか?

84年に日本に留学したときに、先生にあなたは日本の女性よりももっと日本的だって。年上の人とは気があったのですが、若い人とはあまりあいませんでした。若い人はあまり話しをしてくれなかったですね。

※ これからの夢みたいなものは?

折り紙をもっと宣伝して、みなさんからまじめなものとして認めてもらいたいです。
折り紙にはただ折った喜びだけじゃなくて、折っているときは大変なときもあります。ひとつひとつの過程を乗り越えないとできません。人生もいろいろ迷いながら前進しますよね。だから、それがすごく大切なんです。ということは折り紙が分かる人には、人生哲学もわかると思います。それは凄くいいと思います。アメリカでもワークショップに参加したことがあるのですが、一人のアメリカの先生が、家庭内暴力の青年やコンプレックスを持った身体障害者に折り紙が非常に有効だったという発表をしていました。そういうようなことをもっと人々に広めていきたいと思っています。
折り紙はたんに日本のものというのではなく世界中言葉としてどこに行っても分かる、役にたつものだと思います

※ 20年折り紙をやれていて、ご自分も進歩したなと感じられますか?

まだいろんな勉強することはありますが、折り紙は人生哲学として私には大切なものです。
折り紙は人生みたいなものですね。


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