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     文化・芸術・スポーツ関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
環境美術家: 豊田 豊さん

環境美術家: 豊田 豊さん (2003/04/11)
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氏名豊田 豊
住所サンパウロ州 サンパウロ市
職業環境美術家
生年月日1931年
出身地山形県
渡伯年月日1957年


2001年6月

※ブラジルに来た理由は?

 学校を出てから静岡の工業試験場に行きまして、県の方の仕事をしていましたから静岡県としてブラジルに移住してきました。
工業試験場の管轄であった木工関係の工場がありまして、ブラジルにはたくさん木があるからブラジルに工場ぐるみで引越ししようないかということで、私の所に相談に来たんです。それはいいことじゃないですかということになり、社長さんがすぐ実行にうつしまして、私がちょうどその担当をしていたので是非豊田さんもということでこちらに来たんです。一年くらい仕事をしたらいいだろうという話だったんで一年目に一回帰って試験場に戻ったんですが、ブラジルの虜になってしまって、どうしてももう一度ブラジルに来たくなって試験場を辞めて、個人で移住して来たわけです。

※何がそんなに豊田さんを惹きつけたんですか。

私たちが育った時代は、戦争が終わったばかりの時期で一番ひどい時代でした。日本の人たちはみんな惨めな生活をしていたわけです。ブラジルでは物は豊富だし、原生林は豊かだし、こんなに素晴らしい国はないなと一年の間にじっくりと頭に入れられた分けです。
工場が最初に入ったのはモジだったんですが、私はその後サンパウロに出てきたんです。東京芸大で勉強したものですから、将来どうしても絵描きになりたいと思っていたわけです。そんなこともあり、またサンパウロの国際ビエンナーレに凄く魅力を感じ、移住してきたという部分もあります。

※一人で来られたときはどうやって暮らされたのですか?

来て半年はIADという装飾関係の学校に入りこんだんです。やっぱり言葉を覚えないとだめですから。一番手っ取り早いことは絵を教えることかなーと思って、絵画教室を始めたところ、これが意外に生徒が集まってくるわけです。生徒は全部ブラジル人でした。技術的な部分ですからポルトガル語はカタコトでも分かってくれ、工業試験場でいろんな材料の使い方を覚えていたので、それを絵画にいろいろ使えるように教えましたから、なんだかんだ言って90人くらい入りました。それで三交代で教えました。大学生の中に弟子になってもいいという人がいたのでお願いしてずっとやってもらっていたんです。
2年くらいしまして、教室も大きくなり、もっと勉強しなければならないなと感じ、またヨーロッパの教え方を勉強してみたいということでヨーロッパに行ったんです。ところがですね、私自身も作家活動をいつもしたいという頭がいつもありましたから、次第に作品を作り発表をするようになっていったわけです。

※タイプ的にはどういう絵を描かれているのですか?

日本では、花とか風景とかそういうものを描いていたんです。ブラジル来たとたん、土地は広いし、空を見れば広広としているし、巨大な空間があるということを感じまして、風景とかを描くよりももう少し内面から出てくるものを表現して描いた方がいいんじゃないかと感じたんです。それで抽象画になったわけです。その抽象になった作品をビエンナールに出したところ入選しまして、その後イタリアに行ったんです。

※なんかトントン拍子で来られたんですね。

イタリアで一年に一回だけ開かれる美術展がありまして、そこに出品したところ賞をとったんです。それでイタリアで食えるようになりました。それまでは大変だったですよ。やっぱりヨーロパというところは大変なところだな、と感じました。こちらでも学校をまだやっていましたからお金を送ってもらったりしていましたけどね。私がいなとやっぱりだめなんですよね。それでだんだんと生徒さんも少なくなってきちゃって帰ってこようと思ったんですけど、なんかヨーロッパにいた方がいいんじゃないかと思ってそれで帰ってこないでそのまま5年ぐらいいたわけです。その間学校の方はみんな弟子に譲ちゃいました。

※そのときはお独りだったのですか?

 そのときはもう結婚していました。ヨーロッパでいろいろ自分の作品を作ったりしていました。ところが私の大好きな作家がいまして、その作家が空間派というマニュフェスタソンをやったんです。イタリアの若い作家もみんなそれに賛同しました。私も非常に興味を持ち彼らと一緒に展覧会をし、そのうちに私の作品もアブストラクトの絵画からマテリアルなものが多くなりました。ステンレスを使うようになったりしまして、彫刻に変ってきたわけです。その変る手前のオブジェの作品が先ほどのミラノの美術展で賞をとったわけです。
 そうしましたら、ブラジルの総領事から、ビエンナールに出展しないかという通知がきているという話を受けたんです。イタリアで賞をとり、いい仕事をしているから招待されたのだよ、ということでした。それでイタリアからビエンナーレに出品することになったんです。
ビエンナーレは広い空間を使えますから小さい作品を並べてもどうしようもないと考えまして大作を作ろうと決めたんです。それでイタリアで作るのは大変だということで結局ブラジルに帰ってきました。大作を作りまして、国内賞、バンコ・デ・ボストン賞、イタマラチ賞などをもらいました。それからブラジルの外務省の方から、コロンビアなどのビエンナーレに出さないかということになったんです。ところが日本の国籍だったわけです。ブラジル代表で行くわけだからちょっと具合が悪いということになりまして、結局ブラジルに国籍を移しました。

※昔ですから、ご両親だとかから反対はなかったですか?

一時、私も大分迷いましたが、でも家内はブラジル人だし、子供はイタリア人だし、どこもみな同じだと思っちゃいました。それで思い切ってブラジル人になったわけです。私は次男ということもあり別に両親も反対しませんでした。

※どうしてまた今のようなメタルを使うようになったのですか?

 私の頭の中には空間、宇宙空間というものが常にあるわけです。私たちの存在する空間も宇宙空間だと考えていたわけです。空間派というのもそういう考え方なんです。宇宙空間というのは、ようするに我々の生きている空間なんですが、簡単にいうと上も下も右も左もないわけです。本当に自由奔放な世界なわけです。私の作品もそういうことを表わしたいために表面に映った、例えば地面が上に映って、空が下に映るとか、いわばアインシュタインの相対性理論みたいな世界を考え、凹面と凸面の仕事を始めたわけです。それで鏡面のステンレスを使うようになったわけです。作品を作る上で我々の環境が映りこむということが非常に大切だったわけです。別の空間、陰の世界、そういう世界を作りたかったんです。そういう世界を表現するのが私のフィロソフィーなんです。人間世界は見るとさっとわかるわけですが、見えない世界の方がものすごく大事で、もっと人間的なことが理解できるんじゃないかと私は思います。

※イタリアからこちらに帰ってこられてからはほとんど彫刻を作られているのですか。

そうです。今は彫刻の方がほとんどです。日本でも、北海道の端から九州まで私のモニュメントが30個ぐらいあります。北海道の稚内にある自然公園のモニュメントが最初の仕事です。もちろんその間ブラジルと日本を行ったり来たりしていました。
最近はブラジルを中心にやっています。

※今後はどういうことをやっていきたいと考えられていますか。

公共の場所に私の作品が置かれるというのが一番嬉しいことです。できれば公共の場所に置く作品を作るということをずっと続けていきたいです。

※作るにあたってメーセージみたいなものがありますか?

私の作品は環境美術なんです。だからいろいろと動いてみていただいて映りこんでいる環境を見ていただければ、中の世界を分かってもらえると思います。つまり、鏡の世界、あるいは陰の世界だとか、4次元の世界だとか高次元の世界から我々自身をみなければならないと思うんですよね。そういう世界を探ってみていただくことが我々人類に対して並行的な意味があるわけです。我々の世界は非常に汚されているわけです。自然環境も破壊され、世界中で問題になっているわけです。そういう世界がどういうことからくるか、それをやっぱり深く考えて、そういうことがなくなるようにヒューマンティなことを表現していきたいです。

※環境美術というのはいい言葉ですね。

私が30年前に来たときにこの言葉を使ったんです。その頃ブラジルではそんな言葉ありませんでした。日本に行ったときにその言葉をどんどん言ったんです。日本でも非常に興味を持ってきたんですね。今では環境美術に関して真剣に考えているようです。というのはバブルの時代に、環境を考えないで作った作品が非常に多いからです。

※今日本の若者に対して何かありますか

若い人たちは、これからますます現代の世界をみつめて進んでいかなければならないわけですね。環境破壊、地球温暖かなどいろいろありますが、少しずつでもいいから、過去の反省をしながら良い方向に進んでいってもらいたいです。

※今後の夢みたいなことがありますか?

私70歳になりまして、これからますます大きな仕事をやっていきたいと考えています。公共の場にどんどんモニュメントを作ってみなさんに訴えて行きたいと思います。

※ブラジルに来てよかったですか。

ブラジルに来てよかったと思います。国は広いしこんな素晴らしい国はありません。しかも美術に関してはいろいろな美術展もあり非常に近代美術に興味を持っている人が多いです。
ですから、展示会をしても、みなさん来てくれますし、理解してくれます。今後もがんばって仕事をしていきたいです。


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