司書: 柳 紘子さん (2003/04/11)
| 氏名 | 柳 紘子 | 住所 | サンパウロ州 サンパウロ市 | 職業 | 司書兼日本語教師 | 生年月日 | | 出身地 | 東京都 | 渡伯年月日 | 1969年 |
2001年11月
※ご出身はどちらですか?
生まれは戦時中、中国の天津になります。終戦前に引き上げて母のリックの上だけ出した感じで1歳になるかならないかで連れてこられたんです。
※ブラジルは何しに来られたんですか?
よく、外地で生まれた方は外に出たがる人が多いっていいますよね。例えばブラジルに移住している人でも満州とかから再移住している方が多いです。ちょっと日本と違うところで生活してみたいなー、って思ってたんです。
※結婚されてからこちらに来たんですか?
あの当時は個人でブラジルに移住できなかったわけです。花嫁移住とかそういう感じだったんですが、そういうのはちょっと合わないので、上智大学の夜間でポルトガル語コースを勉強しながらチャンスがないか、と思っていましたら、ポルトガル語を教えてくださった先生がこういう青年がいるということで、お見合いみたいな形をしてほいほい来ちゃったんですけど。 卒論のときに南米に何故クーデターが多いかというテーマを選んだんですよ。それでいろいろ読んでいて、面白い国じゃないかなーって。
※クーデターはどうして多いのですか?
ようするに、国民層と支配層というのがあまりにも別れすぎちゃったんですよね。この国は60年代まで軍事政権だったですが、逆にその頃の方が治安は良かったといわれています。民主主義の人とか学生などのエリートにとってはやっぱり独裁とかいけないんですよね。だけども、下の方の人にとっては、食べるか食べられないかという人が多いので、あんまり関係ないんです。日本で資料を読んでいるときはどんな環境なのかな、と思っていたんですが、こちらに来ると何が起ころうとみんな十分に楽しんでいますから、凄い精神だなーって思いました。私たちが来たときも、軍事政権でしたから、左かかった人とかは外国に出ていたわけですよね。そういう人たちは大変だったらしいんですけど、移住者ですから実際に生活していてそれほどではありませんでした。
※先生は今司書をなされていますね。かなり特殊な職業ですよね。ブラジルで日本語の司書というのは何人くらいいるんですか?
日本で教育学もやったんですけど、夏休みに司書の資格もとったんです。それでこちらでもサンパウロ大学で資格の保証をちゃんとしてくれたんです。そういう人は多分まだいないと思うんですが。でもそんなに特殊じゃないですよ。
※図書館があったら必ず司書をおかなければいけないんですか?
大学とかは決まっています。小、中は日本でも本当は司書教諭というのがあるんですね。日本でも来年から15教室以上ある学校には一人おかなければならないんです。でも、この国も日本も司書は冷遇されています。アメリカでもそうなんです。
※日本語も教えていらっしゃるんですよね。
はい、上級と中級をちょっとだけ教えています。今から30年前と比べますと、昔の上級といいますとほとんど、本当のバイリンガルだったわけですね。もう日伯両語きちんと話せました。でも今の上級というのはちょっと中級に近いんですよね。レベルが落ちたというのではなくて、家庭内とかコロニアの中で日本語があった時代の方たちは、バイリンガルできたわけですよね。本当の意味で外国語ですから、レベルが落ちたとはいえないと思います。 アリアンサでは初級が年間600~700名近くはいります。ところが中級にあがるのは70、80人なんです。ただし、中級まで来た人は上級まであがってくれる割合は高くなります。
※上級まであがった人は何かメリットがあるんですか?
ありません。ですから日本語をもう少し知りたいとか、日本の映画を見たいとか、雑誌新聞をスラスラ読みたいとかという人たちが習いに来ます。前と日本語の能力が違ってきているわけです。
※個人的にはブラジルに希望を持っていますか、将来こんなことをやりたいとか、何かありますか。
もう大分年ですから・・・。次の世代の面倒、孫の面倒でもみましょう。でも生活していかなければなりませんから・・・。
※でも日本語の先生って死ぬまで先生という人が多いでしょ。
死ぬまでというのはつらいですね。(笑い) でも、そうですね、年齢に左右されない職業ですね。これからはますます日本語だけでは無理です。ポルトガル語をきちんと、言語的にもわかった方じゃないとまにあわないと思います。当然アリアンサでは二世、三世に受け継がれていっています。
※日本語教育の今後はいかがですか?
継承語としては絶対消えていきますから、当然今みたいに何万人というのは望みがないと思います。でもひとつの言葉、外国語のひとつとして伸びる可能性はあります。
※よくアニメを読みたいからっていう話を聞くのですが、実際そういう理由で増えていますか?
増えています。図書館でも漫画を借り出す人が多いです。セントロクルツラルにも置いてあります。私たちの世代には漫画を読むなんてよくないことだということになっていましたが今は全然ちがいますね。アニメは今では、ひとつのサブカルチャーですよね。 いつも日本語教育でネックになるのは漢字なんですよね。アリアンサの会話コースでは、漢字を使わないでローマ字なんです。日本語を使わないで会話を教えるとか、ジア・ジアといいまして、いわゆる、出稼ぎにいく人のためのコースが凄く増えていますね。ということは結局時代を反映しているのだと思います。前は初級、中級、上級をとるのに9年かかったんです。そういう方はほんの一握りになりました。一人一人にあったコースを作っていかないとニーズに乗り遅れると思います。
※今の若い人たちを見て何かありますか?
先月、二人の先生が日本から帰ってきたんです。95年から2000年の変動が凄いのではないかと言っています。具体的には茶髪どころではなくて、いろいろなのがあたりまえだし。昔は世代によって服装などが決まっていたのが、そういう枠が取り払われたのは、少しは精神的にも日本人の好きな型にはまることから若い人たちが出ようとしている表れだから非常に良いのではないかと言っていました。でも、電車の中で着替えたりお化粧したりすというのは相手に対する思いやりというかエチケットのようなものが消えたというのは残念ですねという話をしました。 それともうひとつ面白い話をしました。親が子供を怖がっているのがありありと分かると言うんです。だから、昔みたいに親を見るのはあたりまえ、何とかはあたりまえ、そういうことに対する意識改革ができているからいいんじゃないですかと言っていました。
※先生はどうですか?
心の底の底には子供をそういうふう育てたという甘えみたいな感じがあるんですよね。でも、こういう社会に住んでいると、日本にいるよりは独立的というか、子供にはあんまり頼れないというのに30年かかってやっとなれましたので、面倒をみてくださいということにはならないと思います。でも間接的には絶対なるとおもいます。
※ブラジルに来てよかったですか?
日本に居てよかったのかというのは解らないですよ。というのは25年間しか過ごしていなくて、こちらに来て30年ですよね。ですから古い時代の世代として、お金持ちになれなかったという面では確かにダメだったわけです。でもそういうことを正面切って言っちゃいけない意地みたいなものがあるんじゃないかと思います。そういうものは持ちつづけると思います。それは多分一世の方はみんな持っていると思います。
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