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     文化・芸術・スポーツ関係  (最終更新日 : 2003/04/11)
音楽家: 弓場 勝重さん

音楽家: 弓場 勝重さん (2003/04/11)
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氏名弓場 勝重
住所サンパウロ州 ミランドポリス市
職業音楽家、舞踊家
生年月日1947年
出身地サンパウロ州 ミランドポリス市
渡伯年月日


2001年4月

※日本には行かれたことがありますか?

 2回バレエの公演でいきました。

※弓場を簡単にいうと、どういう所なんですか?

共同生活をやっている団体です。1925年に日本から来た私の父と友達6人が創めたものです。その人達がみんな結婚して、子供ができて、3世、4世がいます。今80数人住んでいます。

※勝重さんはそこでどういうことをしているのですか?

そこで生活しているよね。はははは。食事係をやりながら、合唱やりながら、芝居やりながら、踊りやりながら。若い人は畑仕事して、子供は子供で分担された仕事があって、分担した中で一生懸命やって、畑仕事、鶏飼い、豚飼い、・・・全部そういうふうに分担しながら、自分たちで作って取れたものをいただきながら生活しています。それで足りないものは外から買ってきてやっています。だいたい自分たちで食べるもの、野菜、肉、卵、そういうものは自分たちで作っています。ほとんど食べるものは自給自足です。

※お父さんに対する勝重さんの印象は?

小さいときは怖かったよ。一言も話しせんかった。そりゃ向こうから話すれば話しするけど、自分からは話せんかった。だって向こうの方の存在に見えたから。お父ちゃんはね、自分の子供だけという感じではかわいがらなかった。自分の子供は山(弓場)全体にいる子供がみんな自分の子供だと思いながらやっていたからね、自分の子供をおいでっていって膝に抱くことはしなかった。あえてしなかったような気がする。だから物凄くうらやましかったよね、他の子を見てると、お父さんにぶらさがったりするじゃん。その分、他の人が優しかったから、肩車をしてもらったり、膝の上に乗せてもらっていろんな話したり、髪を切ってもらったりしてね。だから他のお父さんに甘えていきよったよね。甘えたかったんだろうね。勝重はあまえっこだからね。
25、26歳くらいから、勝重の読んでいる本をお父さんが聞くようになった。例えばヘルマン・へッセを読んでいると、次読ませてくれよな、っていうことになってお父ちゃんも一生懸命読むじゃん。で読み終わったら、必ず言うわけ、どこの部分が好きになったかって。勝重はね、最後のここが良かったとかいうわけ。必ずお父ちゃんは最初がいいの。オレはこの出だしがたまらなくいい、っていうわけよ。そうしながら、男と女の考えの違いとかが、よく分かるようになったよね。男というのは作り上げていく過程が凄くすきなのね。女というものはできた物を求めるっていう考え方があるのよね。だからそういう違いというものをうすうす感じてきたよね。
勝重に好きな人ができると物凄く反対したよね。とにかくね、娘が何を考えているのかっていうことを調べたかったんじゃないかな、分かりたかったじゃないかな。

※娘が嫁に行くのが寂しかったんじゃないですか?

同じ年頃の娘や息子がたくさんおって、16、17になると、もう、娘になってくるでしょう。お父ちゃん、若い者のエネルギーがすさまじいものだって言っていたらしい。その性的なエネルギーがムンムンするってね。それをどういうふうにして処理したらいいもんか考えてたらしい。指導者だからね、お父ちゃんも完全な人じゃないから状況状況で、解決してきた。
勝重に好きな人ができてそれこそ飛び出て夜逃げでもするんじゃないかなっていうくらい好きな男の人がおってね。お父ちゃん、勝重を呼んでね、あんなくだらん奴、どこがいいんだ、って言われて、私は悔しくて物もいえんかった。

※今まで結婚は?

してません。独身です。結婚しようと思って出て行こうとしたとき呼ばれてね。黙って出ていくつもりで、友達からお金も借りてたの。そのとき、いろんなこと話した。「自分の代、おまえたちの代、孫の代、それが続いたときに歴史が語る。これを創めたのは神様が計画したんだ。だから俺はこれに命をかけた」そのとき勝重ね、弓場勇という人を知らなかったな、と思って勝重はここに残るって言ったら、「ありがとう」って言ってヲンヲン泣いたね。勝重ね、びっくりしたね。おまえが本当に結婚したかったら世界中を回って婿を探してやるっていってね。ははは。確かにね、そのとき勝重は何も知らんかったからね。勝重は良かったと思っとるよ。言われたことがとっても自分の人生に今役立っているからね。

※弓場農場にとって勝重さんが必要な人だと思ったから言ったんでしょうね。

どうだろうね。それは知らんけど。でもね、お父ちゃんの本当の気持ちというのがそのとき分かったの。本当いって、辛かったよ、その後。だけどいろんなことが来るたびにそれを思い出してね、で、いろんな人に出会って、一人一人が勝重の中にすばらしいものを残していったよね。その一人の人が弓場さんの亡くなった後にこう言ったの。「勝重さんがここにおるだけで素晴らしい。自分は弓場勇という人を見たときに、ピカソとかいろんな芸術家はモノで表現する人だけど、弓場勇は、ここに人の心で表現している、それが素晴らしい、勝重さん、なんもせんでいい、存在するだけですばらしい」って言ったよね。  
その言葉を聞いて目から鱗がおちたような感じだった。「弓場勇は弓場勇で生きたんだ、勝重は本当に勝重で生きなきゃいけないんだ」とそのとき思ったね。そのときお父ちゃんが世界中回って見つけてあげるっていう言葉がわかるような気がした。弓場農場にいるといろんな人と出会うわけ、そしてはぐくまれてるなーっていう気持ちはあるよね。だから勝重は凄く幸せな人だと思った。今でも思っている。凄く自分が好きよね。どんな苦しみに会ったって、人がどういうおうと、自分が凄く好き。そしていいなー、と思う。生きてるのって。

※それから弓場を出ようと思ったことはないんですか?

ないね。本当にこの場所(弓場農場)を人と出会える場所にしていきたいな、と思う。それには本当の祈りがなかったら、弓場勇みたいな祈りがなかったらできていかんのじゃないかなって。山におる一人一人がね、神様と対話する個人ができていったら、自然は神だからね、そこに本当の祈りができていくと思うの。7人が集まって原生林からやろうと言ったときの祈りは偽りじゃなく本当の祈りがそこにあったから今の山ができている。今生きている人たちが本当の祈りを持ち、愛を持ったとき、山は人の心を感動させる場所になる。「弓場さんは心で作品を作る」といったようにね。そこに本当の芸術の意味があると思う。芸術家っていう言葉はあまり好きじゃないけど、人間が生きていく上で、作り上げていく思いというのがそういうところにあるんじゃないかと思う。勝重もそういうふうにしていきたいと思う。人間だからエゴとかもあると思うけど、エゴを吹っ切れる力だとか、祈れる自分を作り上げながら、自己反省だとかをしながら、そういう場所を作っていくといのが勝重の夢よね。

※日本の若者に対してなにかありますか?

日本の若い人達が来ると話をするんだけど、そのうち泣くのよみんな。本当に泣くからみんな。勝重びっくりするよね。普通の話しているだけなのに、ポロポロ涙流すの。ただ、私はね、ミカンがなっているよ、とって食べよう、ほらおいしいだろうって、ふたりでとって皮むいてほうばって、おいしいね、って。それで涙をポロポロ流すの。
花がきれいだと絵を書いてね、デッサンに色を塗って自分なりに楽しんでいるわけよ。書きたくなっちゃうわけよ。きれいなランの花が咲くと。一年に一回しか咲かんじゃん。だから見ているだけじゃもったいないじゃない。色を塗って、来た人に好きな絵があったらあげるよって言うわけ。「勝重はどうして上手に描けるのって」って聞かれると「花があんまりきれいだかよ」っていちゃうわけよ。あたりまえじゃん、花がきれいだから描きたくなるのは。そういうことっていうのは日本にいたら感じられないって言うから、日本は素晴らしい国よ、って言うの。
勝重は日本に帰って本当に良かったと思うのは、富士山を見たとき。あの美しさをみたとき涙がばーっとでてきたわけ。あの美しさは人を感動さす。日本1だとか世界1だとか人はいうけど本当にそのとおりだと思う。あの線の美しさ。それを日本の人は何千年何百年間この美しさを見て、歌が生まれ、文化が生まれてきたの。この美しさが日本の原点だとなんか直感的にバーッときて涙がポロポロでて、もういくら拭いてぐわーっと涙が出てくるわけよ。だから日本の人も四季の移り変わり、自然の美しさ、そういうものと語り合いはじめたら、心が変わってくるんじゃないかなーって思う。日本はダメだと言うような事件が起こっているけどね、感受性の強い人たちも五万とおるわけだから、日本の若い人にそういう心が分かって日本を育てていってほしいなという気持ちはある。それは自然が教えてくれると思う。自然と語ると人もひとつの生き物なんだから、心の優しさの水が育まれれば、自然と育ってくるよ。


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