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     2006年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/01/06)
Vol.036「私のピンチヒッター人生」 内海博さん

Vol.036「私のピンチヒッター人生」 内海博さん (2006/05/31) 放送: 2006年5月28日(土) ブラジル時間 10:40 ~ 13:02 (2:22) 日本時間 22:40~01:02(2:22)ダウンロードはゲストコーナのみの1時間47分05秒
出演: 内海 博(ゲスト)、松本 浩治(レギュラーゲスト)大久保純子、高橋 晃一(協力)

 スタジオを飛び出して、リベルダーデ地区にあるブラジル日系老人クラブ連合会で行われた今回のインタビュー。
 ゲストの内海さんは、1923年に生まれ、10歳のときにブラジルに渡った。最初は、移民の父として知られる上塚周平になじみの深いプロミッソンに入植する。
 戦争中、日本語を使うことが禁止された状況で、まさしく「決死の覚悟」でNHKの海外放送を聞き取った戦時情報などをビラにして家々に配った。アンテナの設置や放送の状況、戦況の分析など当時の様子が克明に語られる。
 日本語ラジオのアナウンサー、舞台の司会業、将棋連盟会長など、たまたま、ピンチヒッターで始めて、その後も務めることになる内海さんの人生。それぞれのエピソードも非常に面白い。
 「面白い時代だった」、「百姓は家族揃ってバクチ打ち」、「良い事と悪い事は交互に来る」など、内海さんの言葉は自身の経験と確かな記憶力で説得力のあるものだ。
 日本語ラジオの先輩である内海さんは、我々にブラジルで日本語ラジオを放送するということはどういうことなのかということを、図らずも教えてくれたような気がする。


なお、内海博さんは2014年4月6日(日)、午後6時半頃、サンパウロ市内の入院先だったインコール(心臓病院)で亡くなられた。享年91歳。ラジオの出演後、一緒にビールを飲んだり、不要になったウイスキーなどを頂いたりして、親子以上に年の離れている飲み仲間になった。内海さんのご冥福を心よりお祈り申し上げる。合掌。

それでは聴いてみましょう。
http://brasil-ya.com/radio/20060508.mp3

そして、2009年7月5日にゲスト出演して下さったVol.117の石崎矩之さんが内海さんが現役ラジオアナウンサー時代の貴重な野球の生中継放送を保存して下さっておりました。
石崎さんと内海さんご両人の了承を得て、ここにその放送をお送りしたいと思います。
10歳で日本を離れた内海さんが独学で学んだという野球の生中継。でもとても独学とは思えない、今、聞いていても目の前に試合が浮かんでくるようです。パラナ州の奥地で開催された野球大会。当時の日系社会の野球の盛況さも伝わってきます。
とても貴重な放送です。どうぞ、皆さんお聴き下さい!
http://brasil-ya.com/radio/20090705_utumi.mp3


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