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     2006年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/01/06)
Vol.042「善に生きる」 宮川頼周さん

Vol.042「善に生きる」 宮川頼周さん (2006/07/31) 放送: 2006年7月29日(土) ブラジル時間 09:57~11:50 (1:53) 日本時間 21:57~23:50(1:53)、ダウンロードはゲストコーナのみの1時間19分22秒です。
出演:宮川頼周(ゲスト)、松本浩治(レギュラーゲスト)、大久保純子、高橋晃一(協力)

 日本で生活していれば金持ちになっていたかもしれないと語る宮川さん。長野県の農家に生まれ、敗戦後、駐留米軍関連で職を得た。安定した生活が突如変わったのは、妻と弟が見た「緑の大地」という映画。二人にブラジル移住を説得された宮川さんは妻と弟、生まれたばかりの長男を連れて一路リオ・グランデ・ド・ノルテ州へ。
 夢と希望を持ってピウン植民地へ辿り着いた宮川さん一家だったが、現地でその夢は破られてしまう。植民地が日本で聞いていた条件とまったく違うものだったのだ。海外協会連合会(海協連、JICAの前身)が「入植後すぐに作付け可能」と説明していた耕地は、半年間水没してしまい、農業経営が成り立たない。さらに、2年で地権が与えられるはずだったにもかかわらず、一向に自分の土地を手にいれることが出来なかった。宮川さんは海協連の「事前調査不十分」だと断罪する。
 無責任な国策に翻弄されながらも「血マメの中にマメ」ができるほど辛抱した入植者たちは、日本の関係当局に陳情書を送り、機会があれば直接陳情を試みた。そのエピソードは、2006年6月に訴訟が和解されたドミニカ移民の移民史と変わらない。
 ピウンでの14年間の厳しい生活を経験した宮川さんは、バイーア州のイチベラ植民地に移り、現在に至る。農業一筋の人生だ。宮川さんの人生は苦難の連続だが、その語りはユーモアを含み、聞く者を決して飽きさせない。今年78歳、渡伯50周年を迎える宮川さんは、今後の抱負を聞かれて、99歳で亡くなった母親を見習い「あと30年、人間的に成長して心だけは立派に。笑って死にたい」と語った。常に「善の道」を歩んできた宮川さん満載の放送である。

それでは聴いてみましょう。
http://brasil-ya.com/radio/20060729.mp3


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