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     2006年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/01/06)
Vol.044「コチア(こちら)、ジャカレイの玉腰です」玉腰範義さん

Vol.044「コチア(こちら)、ジャカレイの玉腰です」玉腰範義さん (2006/08/24) 放送:2006年8月19日(土)生放送はブラジル時間10:03 ~ 12:12(2:09) 日本時間22:03 ~ 00:12(2:09)。ダウンロードはゲストコーナのみの1時間36分11秒です。
出演:玉腰 範義(愛知県出身・74歳)、松本 浩治(レギュラーゲスト)、大久保純子、高橋 晃一(協力)

 玉腰さんはサンパウロ市から約60キロ離れたジャカレイ市にお住まいで、同地で長く養鶏に携わり、現在は柿や花栽培などを行っているコチア青年(※注1)移民である。
 13歳で終戦を迎えた戦争体験。今で言うならPTSD(Post-Traumatic Stress Disorder)心的外傷後ストレス障害と呼ばれるものであっただろうと率直に当時の心境を話してくれる。そんな辛い時の事も飾ることなく、とうとうと語ってくれた。今、日本で生の戦争体験を聞く機会が少なくなった若者に、ぜひとも聞いて欲しい話だ。
 もともと独身者が多かったコチア青年だが、玉腰さんは日本で結婚することを勧められ、隣の娘さんと結婚してから1959年、26歳の時ブラジルへ渡った。
 ジャカレイ市がまだ山だった頃に入植し、電気のない30歳代を過ごす。冷蔵庫がないから、保存食で干し肉ばかりを食べていたような生活も生き生きとした表現で語ってくれる。独身青年たちとのマージャンや語らいなど、山での生活が目に浮かぶようである。
 また、玉腰さんは「コチア青年50年史」の編集にも携わっており、その関係からデータを押さえ、現在のコチア青年の状況を分かりやすく現状を語ってくれた。
 また、チャットからの質問「養鶏」についても、忌憚ない返事をしてくれた。
 戦争、移民、コチア、養鶏、子供の職業選択に至るまで、さまざまな面から非常に客観的に語ってくれた玉腰さん。その人生は聞いて損のない、いや、聞かないと損をする、そんな玉腰論である。


(※注1)コチア青年
1955年、コチア産業組合(日本移民によって創設されたブラジルで最大の農業組合)がブラジル連邦政府との契約で受け入れた単独青年雇用移民制度。日本側の募集等は各農協が行い、2508人が同制度を利用してブラジルに渡った。

それでは聴いてみましょう。
http://brasil-ya.com/radio/20060819.mp3


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