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     2006年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/01/06)
Vol.053「どん底から先生になって35年」 城田志津子さん

Vol.053「どん底から先生になって35年」 城田志津子さん (2006/12/08) 放送:2006年11月18日(土)生放送はブラジル時間10:34 ~ 12:34(1:59) 日本時間21:34 ~ 23:34(1:59)。ダウンロードはゲストコーナのみの1時間09分07秒です。
出演:城田志津子(大阪生まれ、北海道出身・70歳)、松本 浩治(レギュラーゲスト)、大久保純子、高橋 晃一(協力)


 昭和11年11月8日大阪で生まれた岩城志津子さん。お父さんが北海道から夜逃げ同然で大阪、灘へと来たこと。戦争中に逃げ回ったこと。ブラジルへ来てからも土地が悪く、引っ越しをしたり、父親や兄弟がマラリアにかかったこと。流産を繰り返されたり、パニック症状に陥ったこと。父親が他界したその日にJICA(国際協力機構)で日本へ出発しなければならなかったこと。それらすべてをとてもやさしい口調で語ってくれた。
 「城田先生」と言うと、南マットグロッソ州ドラードスの日本語学校モデル校校長であり、共栄植民地で35年間も教鞭をとっているの日本語教育では 「すごい先生」というのが、ブラジルの日本語教育の中では定説だ。
 しかし、今回その人生を語って頂いたら、「先生」というひとつの枠やイメージではない「城田志津子」というひとりの女性が現われ、どうして生徒や親から人気があるのが、分かるような気がした。
 「29歳からの4年間は、今で言うパニック障害だったんだと思います」と話し始めた城田先生。植民地のお年寄りから「今、あなたはどん底で、これ以上、下には行かないのだから、一歩一歩、休みながら上がるだけだ」と言われた言葉で助かったという。今、悩みや精神的に疲れた人が多い日本で、少しでも多くの人に聞いてもらいたい話の内容だ。
 最後に、「生徒にも漢字なんてすべて忘れてもらってもいいんです。人間の基本的な勇気や夢さえ忘れないでいてくれたなら」。
そんな言葉を残してくれた。
 ひとりの女性の人生なのだが、多くの教訓と感動が含まれている。

 今回はサンパウロのスタジオから1000キロ離れた南マットグロッソ州ドラードス市から約25キロの共栄植民地、日本語学校の教室にて11月9日(木)に収録。奇しくも教師生活35年、70歳古希の祝いを地元植民地の人々から祝ってもらった翌日、日本語の授業のすぐ後にお話を伺った。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20061118.mp3

 城田先生が2018年11月8日(木)午後10時、腸などの感染症のためサンタリッタ病院で亡くなられたそうだ。享年81歳。ということは、インタビューからすでに11年以上の月日が流れている。
 最近、ドウラードス方面へお伺いする機会がなく、久しくお目にかかっていなかったが、近年のお写真を拝見すると、随分とお痩せになっていたようである。
 だが、先生は日本のテレビ番組世界の村で発見!こんなところに日本人」(2013年11月15日)で取り上げられ、元気な姿を日本中に流されていた。2015年に外務大臣表彰、2017年には旭日双光賞を受章。
 先生がドウラードス、共栄植民地に灯された日本語、日本文化の灯は確実に続いているかと思う。衷心よりご冥福をお祈り申し上げ、感謝の気持ちを捧げたい。


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