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ブラジル日和
     2007年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/12/26)
Vol.062 「韓国、日本、アマゾンで生きた一本気」諸富寅雄さん&諸富香代子さん

Vol.062 「韓国、日本、アマゾンで生きた一本気」諸富寅雄さん&諸富香代子さん (2007/03/06) 放送: 2007年2月18日(日)ブラジル時間10:30 ~ 12:37(2:07) 日本時間 21:30 ~ 23:37(2:07)、ダウンロードはゲストコーナのみの1時間21分22秒です。
出演:諸富寅雄(92歳)、諸富香代子、大久保純子(2006年12月3日、ベレンにて録音)
生放送中は松本浩治、大久保純子、高橋晃一(協力)

昔かたぎ、一本気、そんな言葉がインタビュー中にたびたび頭をかすめた。
諸富さんは大正3年、韓国の全羅南道で生まれた。30歳になるまで、韓国で果樹園を営んでいた日本人だ。ごくふつうに話に出てくる開拓団や統治、戦 場での話、どれひとつを取っても貴重な証言だ。
終戦後、ハングルも堪能だった寅雄さんは韓国に残された家族を迎えに行くために「羅東換(ら・とうかん)」と名乗り、韓国人のふりをして迎えに行ったという。
30歳で九州へ戻ってきて農業を営むが、納税に訪れた際、真面目にきちんと申告したにもかかわらず、若い役人に「貴様、お前」呼ばわりされて「日 本にいるべきじゃない」と思い、すでにブラジルのアマゾン地方のトメアスー移住地に戦前移住していた弟を頼って家族で移民してきた。
そこでピメンタ(胡椒)栽培をし、大もうけをする。1978(昭和53)年当時、100万円の現金を持って、2カ月の日本旅行もした。その際、日本で新聞社の取材などを受けても「自慢話もほら話も大嫌いだから、ほとんど話さなかった」と言い切る寅雄さん。男気と信念を感じさせる人だ。
トメアスーで最初に胡椒の木に根腐れ病が入り、同地を離れたのは、諸富さんだった。
ベレンから船で3時間。トメアスーからなら、同じ州とはいえ、当時なら何日もかかったであろうマラジョー島まで土地を求めて移住した。そこで何年もがんばり、やっと3000本のココ椰子の収穫前を前に地元ブラジル人青年の不注意で火事を起こされ、一切収穫ができなくても恨み事を言わない。
戦場でも、韓国、日本、ブラジルと移動しなくてはならなくても、ブラジル内で次々と移転をしなくてはならなくても、そして時代に振り回されたであろう人生を振り返ってみても、諸富さんには「どうこう思っても仕方がないでしょう」と言い切る強さがある。
それだけの人生を歩みきった人だけが持つ重みであろうか。
とにかく一つひとつのエピソードのどこかしらに心に響く言葉があったり、間があったり、教訓があったりした。
92歳の人生の、それも3つの国で生き抜いた一本気な人だからこそのなせる技なのだろうか。何か心にずしんとくるインタビューであった。
まぁ、こんな下手な紹介文など読んでいないで、とにかくひとつ、話を聞いてみて下さい。

 諸富寅雄さんは2015年9月30日、10時54分に永眠されました。享年101歳。前日までは食事も摂れていたそうですが、その日の朝は水も受け付けなり、お嫁さんの香代子さんとお孫さんの正則さんが末期の水を取りをご自宅でなされたそうです。呼吸困難で苦しがったのは1晩だけで、穏やかな顔をした最後だったそうです。
 多くの方が病院で亡くなられる中、医師の息子さんのご自宅で、親族に守られながら101歳の大往生をなさられたことは、韓国、ブラジルと世界をまたにかけご苦労も多かった人生かと思いますが、最期は幸せな看取られ方だったかと想像致します。これも寅雄さんの生き方のなせる業。愚痴をこぼさず、ぐっと我慢し、笑顔で過ごす。見習うべき生き方だと思います。
合掌。


それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20070218.mp3


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