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     2007年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/12/26)
Vol.065 「生まれ故郷が忘れられなくて」 高橋パウロ研一さん

Vol.065 「生まれ故郷が忘れられなくて」 高橋パウロ研一さん (2007/04/05) 放送: 2007年3月18日(日)ブラジル時間 10:03 ~ 12:13(2:09) 日本時間 22:03 ~ 00:13(2:09)、ダウンロードはゲストコーナのみの1時間18分37秒です。
出演:高橋パウロ研一(ゲスト)、松本浩治、大久保純子、高橋晃一(協力)

 子どもの頃にブラジルへ連れて来られた、という話は今までよく聞いたが、高橋さんの場合は逆で、8歳で日本へ連れていかれた、ブラジル生まれの日本在住者である。だから高橋さんの生まれ故郷はパラナ州アサイ。日本へ戻ったのは1954年で、今から50年以上も前のことである。
 高橋さんの父親は、またブラジルへ戻るつもりで、15歳の長男とすでに嫁いでいた長女をブラジルに残し、福井の実家へ帰国した。結局、家の事情で帰国した両親と高橋さんら下の4人の兄弟たちは日本で成長することになる。
 研一さんは金沢大学、大阪市立大学で生物学を研究。その後、解剖学への道に進むことになる。
 興味深いのは、研一さんの上には2人のお姉さんがいて、彼女たちはポルトガル語も堪能だったというのに、なぜか研一さんだけがブラジルへの熱い思いを忘れなかったというのだ。
 いつも頭の中には「ブラジルの食べ物」や「移民」があったという研一さん。偶然、電車の中吊りで見た雑誌「プレイボーイ」の創刊3周年記念「アマゾンで開高健と会おう」に応募し、見事当選。32歳の時、24年ぶりの故郷帰国を果たすことになる。その後、大阪へ留学生として来ていた2世のオデッチさんと結婚。ポルトガル語も話せた研一さんの父親と、フェジョンも作ることができるオデッチさんはとても仲が良かったという。
その後、解剖学の教授となった高橋さんは2度ほどUSP(サンパウロ大学)に研究者としても来伯している。
 今回はまったくのプライベートで4度目のブラジル訪問。兄や親族と会うのはもちろん、CBK(=関西ブラジル人コミュニティ)(※注1)の幹部として、旧神戸移住センターでの史料館の資料集めなども目的としていた。
ブラジルで生まれ、福井、大阪と居を移しながらも常にブラジルに想いを馳せていた研一さん。老後は「ブラジルで…」という妻との約束だったが、意外にも成人するまでブラジルで育った妻オデッチさんが今や治安の悪さと日本育ちの子どもを理由にブラジル帰国に反対の立場となった。新たな研一さんの居は沖縄だという。
とにかく、いろいろな意味で興味深く、また勉強になる1時間18分37秒である。下手な説明文より、まず、聞いてみて欲しい。そこには等身大のパウロ研一さんがいる。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20070318.mp3

(※注1)CBK(関西ブラジル人コミュニティ)
関西ブラジル人コミュニティは2001年2月、旧神戸移住センター(〒 650-0003 兵庫県神戸市中央区山本通3-19-8)の4階にブラジル人が日本社会で暮らしやすくするため、また日本社会がブラジル人を理解できるようにするために設立された組織。ポルトガル語、日本語教室の他、4月に移民祭、フェスタジュニーナ(6月祭)やシンポジウムなどを定期的に行なっている。
ホームページアドレスは
http://kobe-cbk.server-shared.com/


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