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     2007年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/12/26)
Vol.067 「明治の人の生き方」 大野春子さん

Vol.067 「明治の人の生き方」 大野春子さん (2007/04/28) 放送: 2007年4月15日(土)ブラジル時間 10:15 ~ 12:42(2:27) 日本時間22:15 ~ 00:42(2:27)、ダウンロードはゲストコーナのみの1時間47分53秒です。
出演:大野 春子(高知県出身、96歳、ゲスト)、細井まゆみ、松本浩治、大久保純子、宮坂知佳、高橋晃一(協力)

 今までの放送で、最高のご高齢ゲストではなかろうか。
 明治生まれの女である。明治44年。
 一緒にブラジルへ来た御主人とは、結婚当日までほとんど話すことも顔を見ることもなく、わずか17歳で嫁いだ。
チエテ移住地(※注1)に入植後、綿作り、養蚕を行なうも、ご主人はマレッタ(=マラリア)にかかり、働けない体となってしまう。他界後は銀行名義がすべてご主人名義だったため、一銭の金も引き出せなくなり、さらに翌年は次女も亡くす。
 結局、長男がサンパウロへ出てきて、クリーニング店を開き、一家を呼び寄せた。
 その後も人形を作ったり、スカーフや洋服を売って、生計を立てた。
 チエテ移住地はブラジル拓殖組合(※注2)が開いた4大移住地で、比較的裕福だったと言われていたが、奥地の原始林では、日本人が通るまで、ずっと十字路で馬に乗っていた話は貴重だ。
 春子さんのさりげない一言ひと言に奥ゆかしかったり、強かったりする「明治」を感じる。
 どうしてあんなにも自分を出さずに、夫や世間にしたがって生きられたのだろう。
 インタビュー終了後、「楽しいことは?」の質問に「孫がみんな集まって、毎年自分の誕生日を祝ってくれること」と答えてくれた。
 そして、「淋しいこと」は「自分の親、兄弟親戚が一人もブラジルにはいない、郷土の言葉で話せなかったこと」だと・・・。
 「生地(ふるさと)」と「居住地」そして「血」を考えさせられた。
 最近「ふるさと」は「場所」ではなく、「時代」なのであるという言葉を 聞いた。
 今や、明治の人から話を聞ける機会は非常に少なくなってしまった。まだまだ聞きたいことがあったような気がする。これは大野さんと私だけではない、明治の人と現代に生きる人へのメッセージとして・・・。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20070414.mp3

(※注1)チエテ移住地
 ブラ拓の創設した移住地の1つ。現在はペレイラ・バレット市と呼ばれている。サンパウロ州北西部に位置し、サンパウロ市内から約600キロ離れたところ。 (※注2)ブラジル拓殖組合
 移民を推進するために、日本で1928年に作られた 海外移住組合連合会(日本国政府管轄)が、ブラジル側での現地代行機関として1929(昭4)年に「ブラジル拓殖組合」を設立。「ブラ拓」と呼ばれ、アリアンサ、チエテ、バストス、トレスバーラスの各地は「ブラ拓4大移住地」と呼ばれている。


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