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ブラジル日和
     2007年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/12/26)
Vol.073 「まっすぐに一生懸命」 須藤忠志さん

Vol.073 「まっすぐに一生懸命」 須藤忠志さん (2007/06/20) 放送: 2007年6月10日(日)ブラジル時間 10:09~12:24(2:15) 日本時間 22:09 ~00:24 (2:15)、ダウンロードはゲストコーナのみの1時間27分18秒です。
出演: 須藤忠志(ゲスト)、堤剛太(スペシャルゲスト)、松本浩治、大久保純子、高橋晃一(協力)

「夢を持つのはいい。でも、今やっていることを一生懸命やれば、必ず道は拓ける」
戦時中を上海で過ごした須藤さんは終戦直前、母と姉らと一緒に日本への逃避行、中国大陸を駆け抜け、日本へ帰国した。当時中学1年生だった須藤さんは克明にその思い出を語ってくれた。
日本で中高大学と進み、バスケットボールに明け暮れた学生生活。大学もあと1年となった1954年、大陸での生活を知る父親の決断で須藤一家はブ ラジルに渡ることになった。もちろん、須藤さんも大学を中退して家族とともに渡伯、ボリビアとの国境沿いにあるガポレ移住地(現在のロンドニア州)へ移った。辻移民と呼ばれる同移住事業。21歳だった須藤さんは、兄弟とともに原始林の開拓とゴム採集、ジュート栽培に励んだ。
単身ベレンに出た須藤さんは、辻小太郎氏経営のジュート工場、後の三井物産ベレン支店となるブラジル物産で勤務したあと、ヤンマー製品を扱う会 社を設立した。軌道に乗るかと思われた事業だったが、会社は倒産してしまう。会社を清算するまでの4年間を乗り切り「ゼロからスタート」となった。
「1回経験したゼロをまた1回するだけ」とポジティブな須藤さんの姿勢は、周囲の人を魅了して離さなかった。すぐにサンパウロに渡り、日本向け缶コーヒーのチューインガムの原料の輸出に携わるなど、常に第一線に立ってきた。
常にまっすぐに、自分を信じてきた男の生き方がここにある。
なお、ラジオ放送の中では言わなかったが、最初の奥さんをご病気で亡くし、再婚した現在の非日系の奥様が最初の奥さんとの間の子供も同様に育て てくれたことに心から感謝している紳士。
自他と共に認める「ブラジル日和」の影の社長?堤剛太がオススメする移住者の歴史のひとつ。どうぞ、ご堪能下さい。



 須藤さんが2019年3月7日、ベレンのアマゾニア病院で亡くなりました。前立腺がんの移転で、1月15日から体調が悪くなり、入院。死因は心不全と発表され、享年は86歳。
 須藤さんとは、会うたびにカラオケへ行き、楽しく飲むお友だちだった。実はこの2月11日にもサンパウロへ所用で来られ、「一緒にカラオケをしましょう」との、お誘いがあったばかりだった。その手紙が届いて間もなく入院されたようで、その約束は果たせぬままとなってしまった。
 新宿のゴールデン街で現在、店を営む佐々木美智子さんが自費出版した写真集に須藤さんが出ていて、そこには「サンパウロ・マナウスで知り合った須藤氏が訪日。フォーサイスの本を借りたままでした。高田馬場でティータイムだけでしたが、やはりダンディな年の取り方でした」と書かれていて、次に会った時に印刷してプレゼントするつもりでした。
 本当に悲しいです。
 須藤さんは1932年12月4日に福島県川根軍郡で生まれ、1954年に家族5人にロンドニア州のトレーゼ・デ・セッテンブロ植民地に入植した「グァポレ移民」。早稲田大学卒業。ベレン市内サンタイザベル墓地に埋葬された。
合掌。


それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20070610.mp3


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