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     2007年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/12/26)
Vol.076 「リオ州で農に生きる」 原 林平さん

Vol.076 「リオ州で農に生きる」 原 林平さん (2007/07/24) 放送: 2007年6月23日(土)ブラジル時間10:07 ~ 12:02(1:55) 日本時間22:07 ~ 00:02(1:55)、ダウンロードはゲストコーナのみの1時間25分21秒です。
出演: 原 林平(73歳、長崎出身)、松本浩治、大久保純子、宮坂知佳、高橋晃一(協力)


リオ州ノーバ・イグアス郡のチングゥアへ出張録音してお話を伺った。
原さんは1960年に単独移民でやって来た。
日本人がいない所を求めてリオ州へ。戦後のリオ州の農業の歴史を拝聴した。
約4年前、原さん70歳の古稀の祝いの時、サーカスのテントを借りて、娘息子6人が開いてくれた古稀の祝いは盛大なものだった。
子供たちが原さんの歴史を綴ったビデオを制作し放映。孫がバレエを披露した。
さらに原さんの6人のお子さんのうち、長女にあたる方は奥さんの実の末妹。小さい頃から一緒に生活し面倒を見て、養い子として今は兄弟である。
そんな優しい原さんだが、ケンカをする時はする。融資に関しても、ブラジル銀行、事業団(JICAの前身)、コチア産業組合とさまざまな所とケンカをし、それでも最後には人から信用され、可愛がられる原さん。
わずか1時間ちょっとのインタビューでは、そのすべては伝わらないかも知れない。
だが、「負けるもんか!」の精神で生き抜いてきた原さんの人生のひとかけらがひしひしと伝われば幸いである。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20070623.mp3

 大変、ショックであるが原林平さんが2020年1月26日午後10時頃、入院先の日伯友好病院でお亡くなりになられた。
 数年前に本来であれば、そんなにひどい状況にならなくてもよいはずの病だったが、手違いで腹部に袋を付ける生活を余儀なくされるようになられた。そのため、力仕事などの農作業ができず、元気な原節も多少陰りが見えたが、昨年、リオの原邸におじゃました際はまだまだお元気だったので、ショックである。
 原さんの功績はここで改めて述べることもないかも知れないが、一応、書き記しておくと、80年代半ばから10年間、リオ州日伯文化体育連盟理事長を務め、コチア産業組合リオ単協理事長なども歴任。99年から2005年までは農拓協会長も務め、04年4月に日本政府から旭日双光章を受章している。
 そんな功績よりも、私たちにはいつもニコニコと笑って、お酒を勧めてくれた原さんの笑顔が懐かしい。  そして、銀行に対しても、海外移住事業団などに対しても、気骨のある態度をとる人だった。弱きを助け、強きを挫く。今は少なくなった本当に男気のある人だった。
心から、ご冥福を祈りたい。
享年86歳。長崎県出身。
原さんに幸あれ。合掌。


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