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     2007年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2007/12/26)
Vol.089 「見よう見まねで極めた大工道」 有田 稔さん

Vol.089 「見よう見まねで極めた大工道」 有田 稔さん (2007/12/26) 放送: 2007年12月8日(土)ブラジル時間 10:03 ~ 12:04 (1:59) 日本時間 21:03 ~ 23:04 (1:59)、ダウンロードはゲストコーナのみの1時間09分45秒 です。
出演: 有田 稔(高知県出身)、松本浩治(レギュラーゲスト)、大久保純子、高橋晃一(協力)

2人目の有田さん(1人目はVol.084 「街角の雰囲気を求めて」の有田清さん)であり、2人目の稔さん(1人目はVol.013 「親父と共にブラジル大工道」の柴田稔さん)。
たまたま苗字と姓名が一緒なだけだが、ややこしいので断っておく。
今回、ゲストの有田稔さんは南米産業開発青年隊(※注1)の四国ブロック第1回生として渡伯。放送内では聴きはぐったのだが、「青年隊」という記念誌に有田さんが寄稿している文がある。そこに「私が切った木のなかで1番デッカイ奴はペローバだった。切り口が1m60cm。丸一日かかってやっと倒した。夕方になって倒し終えたとき、思わず喝采を叫んだ。(中略)切り株の上に寝てみたところ、直径が私の身長と同じだった」と記している。
この話を放送後にナマで聞いた。だからこそ、有田さんは「植林をしたいんだ」と訴えた。
原始林と闘い、実際に大木を切り倒した人間の吐露は、きれいごとではすまされない真実味と願いがある。
有田さんは研修終了後も四国組の仲間と研修所に残り、パラナの土地を開拓。ところが、1963年のパラナの大霜でカフェを断念。その後、独立して作ったマッシュルーム作りに失敗。保証人での借金後、保険の営業マン、ボビエルエンジニアリング(後にボビエル協和)という会社での電気工事など、さまざまな職をこなし、現在は設計、土木建築、何でもござれで、家を建てることから、電気関係、井戸掘りまでブラジル人労働者を使いながら、現場で何でもこなす。
サンパウロの日本ブラジル文化福祉協会が以前、8階、9階部分を増築し、移民史料館を作ったのだが、その開館式に日本から皇太子が来られたが電力不足でエレベーターが動かないというのを、急遽、高圧にして乗り切ったのも有田さんの会社の力だった。
有田さんは、1940年生まれの67歳だが、今も現役でスコップを握る。土木建築関係の人はお酒を飲むイメージがあるが、有田さんは下戸でお酒も飲まない。スコップを片手に難しい本を読んでいる姿は本当にカッコいい。


(※注1)南米産業開発青年隊
1950年、当時の建設省(現・国土交通省)が農家の次男三男対策として、土木建設の技術を持った青年をブラジルへ移住させる構想を発表。日本各地の地方建設局を8ブロックに分け、各地の建設局内で働きながら1年間、測量やトラクターの運転、土木、機械の技術を習得後、ブラジルへ移住。この制度で326人の青年が海を渡った。
参考に「青年隊 1956-1996 南米産業開発青年隊40年史」がある。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20071208.mp3

同じく南米産業開発青年隊でブラジリアにお住まいの吉田さんから有田さんが2021年11月30日に糖尿病と風邪をこじらせ、施設で他界されたことをお伺いした。4ヶ月前の事だ。行年82歳だった事と思う。奇しくも、今日、我が家の水漏れが見つかった。我が家の改修を何度と無くお願いした有田さん。もう、頼めない。どうか安らかにお休み下さい。合掌。


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