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     2009年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2010/01/18)
Vol.116 「丹下セツ子女剣劇士ブラジルへ渡る」 丹下セツ子さん

Vol.116 「丹下セツ子女剣劇士ブラジルへ渡る」 丹下セツ子さん (2009/05/28) 放送: 2009年5月26日(水)ブラジル時間 02:17~04:44 (2:26) 日本時間 27日(木)02:17~04:44 (2:26)、ダウンロードはゲストコーナのみの2時間00分07秒です。
出演:丹下セツ子(69)、松本浩治(レギュラーゲスト)、大久保純子

 満を持しての丹下セツ子さんの登場である。丹下さんは初期の紅白歌合戦の赤組司会者もした歌手で女優の丹下キヨ子さんの長女であり、小山セリナさんのお姉さんでもある。
 そんな丹下さんがブラジルへ来られたのは、お母様のキヨ子さんが呼んだため。「私は外国なんて興味なかったんだけれどね。当時、自分の一座を作りたくてね。ブラジルへ来たら、その立ち上げ資金100万円を母が出すって言うから来たのよ」と笑う。
 子供の頃には、将来の夢を先生に聞かれて「女やくざ」と答え、立たされたというだけあって、話をしていてもキップがよくて気持がいい。その後、女剣劇士になりたくて、不二洋子さんにも師事したが、24歳でブラジルへ来て、母親等と奥地の日本人に芝居や踊りを見せる旅をした。当時、ブラジルに日本髪のカツラなどなかった時代、移民たちはトウモロコシや馬の毛でカツラを手作りして芝居をしていた。「それを見ただけでも感動したね」と丹下さん。結局、母親の帰国後もブラジルに残り、渡伯10年目には丹下セツ子一座を組み、さらに地方巡業を重ねた。「移民のお婆ちゃんたちが涙を流して見てくれるとね、『よし、ブラジル全土を回ってから帰るぞ』って思ったんだよ。そうしたら、ブラジルは広いんだもんね」と45年間の滞在を説明する。
 その他にもたくさんの秘話を忌憚なく語ってくれた。丹下さんのコロニアに対する、芸に対する熱い思いがあふれる元気のでる必聴の1本だ。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20090526.mp3

 2023年3月16日午後9時10分頃、肺ガンのためサンパウロ市内の医療施設で丹下先生がお亡くなりになられました。行年83歳。
 そのちょっと前から目の調子が悪かったりしていたのですが、癌と発覚した際、先生は病院での治療は希望せず、在宅で生活をされていました。時折、電話をしたりしていましたが電話では最期まで元気にお話をしてくださっておりました。先生らしい、最期だったかと思います。
 葬儀はサンカエターノの葬儀場で、四十九日忌法要はサンパウロ文協の貴賓室で、どちらも丹下太鼓道場の門下生たちが立派に式を執り行われました。 また、一人、コロニアの偉大な方が旅立たれ、寂しい限りです。
 先生の訃報は、共同通信を通じて、広く日本にも報道されました。
 ここでは当地の「ブラジル日報社」の記事をリンクいたします。

http://www.brasilnippou.com/2023/230318-21colonia.html

四十九日忌法要の記事

http://www.brasilnippou.com/2023/230516-22colonia.html



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