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ブラジル日和
     2009年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2010/01/18)
Vol.122 「ダムで水没、ブラジルへ」 曽木一禎さん、中田正男さん、中田千恵子さん、曽木一夫さん、曽木一成さん他中田ファミリー

Vol.122 「ダムで水没、ブラジルへ」 曽木一禎さん、中田正男さん、中田千恵子さん、曽木一夫さん、曽木一成さん他中田ファミリー (2010/01/12) 放送:2009年12月7日(月)ブラジル時間 11:46~13:51(2:04) 日本時間 22:46~00:51(2:04)、ダウンロードはゲストコーナのみの45分15秒です。
出演:曽木一禎(そき・かずさだ)、中田正男、中田千恵子、曽木一夫、曽木一成他中田ファミリー、松本浩治、堤剛太、大久保純子

 これは6月にマナウスとベレンの間にあるサンタレンというアマゾン河沿いにある町を訪問した時に中田農場をお邪魔して、収録したもの。中田、曽木ファミリーが輪になって座り、我々訪問者を迎えてくれた。そんな中でファミリーに話を伺ったのだが、便宜上、曽木一禎さんを筆頭に次回から中田正男さん、弟の曽木一成さんと3回に分けて放送する。
 第一回目の一禎さんは現在、中田家族と同じ土地に住み、のんびりした生活を送っているが、これまでにブラジル各地を歩き回った経験を持つ。海軍兵学校のあった広島県江田島生まれで、長崎県佐世保育ち。1941年に戦争が始まると同時期に宮崎県に転住。父親の一(はじめ)さん(故人)は、職業軍人として戦前は南洋での海軍航空基地建設に携わり、終戦時は上海の第三航空隊副司令官だった。
 戦後、一さんが戦犯扱いで公職追放となり、宮崎県の開拓村に家族で入植。ところが、53年に県営ダムが建設されたことから、開拓村は水没。当時、18歳だった一禎さんが戦後の南米移住募集に目を付け、家族に勧めた。
戦後のアマゾン移民枠を作った「辻小太郎移民」として家族7人で1953年「あふりか丸」で移民。モンテアレグレに入植し、米や豆などを植えて自給生活。土地が肥沃で「1年で5町歩に作付けして、サンパウロまでの一家の旅費を稼げたほど」だったが、小学校しかなかったモンテアレグレでは、弟たちの教育問題もあり、64年にサンパウロ近郊のスザノ福博村に転住。その後、グァラレイマの桜・高森植民地に入植。弟たちを大学にやりながら、バラやグラジオラスなど切花を中心に花卉栽培を行ない、約10年間留まった。73年頃、サンタレンとマット・グロッソ州クイアバとを結ぶ道路や発電所ができ、港湾施設も整ったので「将来性がある」と単独で転住。ピメンタ(胡椒)栽培に着手し、一年後に家族を呼寄せた。
 その後、80年代初頭からパラー州中東部のセーラ・ペラーダの金鉱で金堀りを行なった。「儲けた金より、つぎ込んだ金の方が多かった」というが、「セーラ・ペラーダの土地が自分には一番合っていた」と一禎さんは振り返る。金鉱で9年間を過ごし、その隣町クリオノーポリスに居た際に身体を壊し、日本に出稼ぎに行っていた娘から「日本で治療したら」との忠告を受け、97年、ブラジルに渡ってから初めての一時帰国を果した。しかし、日本での生活は水が合わず、2000年頃に単身ブラジルへ。知人の紹介でサンパウロ近郊のジャカレイに土地を借り、花づくりをしていたが、3年程前に現在のサンタレンに戻ってきた。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20091207.mp3


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