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ブラジル日和
     2009年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2010/01/18)
Vol.124「親族を頼って、助けてシルバー移住」曽木一成さん、中田正男さん、中田千恵子さん、曽木一夫さん、曽木一禎さん他中田ファミリー

Vol.124「親族を頼って、助けてシルバー移住」曽木一成さん、中田正男さん、中田千恵子さん、曽木一夫さん、曽木一禎さん他中田ファミリー (2010/01/18) 放送:2009年12月18日(金)ブラジル時間 11:12~13:01(1:49) 日本時間 22:12~23:01(1:49)、ダウンロードはゲストコーナのみの12分39秒です。
出演:曽木一成(そき・かずなり 73歳)、中田正男、中田千恵子、曽木一夫、曽木一禎他中田ファミリー、松本浩治、堤剛太、大久保純子

 中田農場を訪問し、インタビューをした第3弾。中田さんの妻・千恵子さんのお兄さんで日本に残られた一成さんの人生をお伺いした。
 一成さんは両親をはじめ兄弟の多くがブラジルへ移民する中、一成さんと妹さん一人だけが日本に残った。父親からは「大学を出て、医者になってからブラジルに来い」と言われたが、時は労働闘争時代。働きながら夜間高校に通ったが、労働争議に目覚め、医者どころではなくなった。両親とその他の兄弟は全部ブラジルで、残った妹の学費も出さなければならなかったのだから、一成さんの苦労は大変なものだったろう。
 結局、労働闘争などをすると、赤のレッテルを貼られてしまうから、宮崎から一人北海道に渡り、ビート(砂糖大根)を作ったり、関西で建設会社に勤めたりして、最後は神奈川県で自分の会社「株式会社 セイケン(一般建築設計施工)」を立ち上げ、働きに働いた。会社は大きくなり成功を収めたが、近年、奥様を亡くされた。娘さんばかりで会社を継ぐ息子に恵まれなかったこともあり、大きな工場建設の仕事を最後に71歳で仕事を辞め、ブラジル移住を決めた。
 現在、世話になっている中田さんの農業がうまく行かなかった去年、一成さんは日本からの資金で中田さんを援助。前回の中田さんの涙は、そんな一成さんからの思いに触れ、溢れ出たものだった。
 中田農場でお伺いした中田&曽木ファミリーの人生。僅かな時間ではあったが、壮絶な人生と苦労人間ドラマがひしひしと伝わってきた。下手なドラマは顔負けである。大変な苦労をされているのに笑顔で語ってくださる皆さんと農場に吹く爽やかな風が少しでも伝われば幸いである。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20091218.mp3


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