移民百年祭
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2010年ゲスト・アーカイブ
(最終更新日 : 2010/12/30)
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- Vol.125「平和の鐘をブラジルに」小
川和己さん
- Vol.126 「ラーモス移住地、百聞は
一聴に如かず」 山本和憲さん
- Vol.127 「93歳、ラーモスで健在
」 鳥羽キミさん
- Vol.128 「テロリストの息子は文化
人」 本多文男さん
- Vol.129 「バイクで世界2周中」
浦野由紀子さん
- Vol.130「大叔父・藤井卓治氏をたず
ねて」 片岡永子さん
- Vol.131「ペレイラの重鎮、増田さん
」 増田敏明さん
- Vol.132「サラリーマン移民、砂古さ
ん」 砂古友久さん
- Vol.133「シベリア抑留からブラジル
へ」 谷口範之さん
- Vol.134「6歳で移住、フリーカメラ
マン・サチ」 西山幸之さん
- Vol.135「短歌と共に」 井本司都子
さん
- Vol.136「サンパウロで坊主る」 泉
原秀さん
- Vol.137「民謡、三味線、お箏を伝え
て」 北原民江さん
Vol.135「短歌と共に」 井本司都子さん
Vol.135「短歌と共に」 井本司都子さん (2010/12/08)
放送:2010年11月17日(水)ブラジル時間 10:36~13:18(2:42) 日本時間21:36~00:18(2:42) 、ダウンロードはゲストコーナのみの59分57秒です。
出演:井本司都子(90歳、大阪府出身)、松本浩治、大久保純子
6歳で渡伯。現在90歳になる井本司都子さんはブラジルへ来て以来、一度も日本へは帰っていないという。「まともには歩めぬわれにも朝は来る あたたかき日射し窓にとどきぬ」2008年9月、第60回全伯短歌大会で代表選1位になった句だ。
大阪難波(なんば)のド真中でお抱え運転手付きのサラリーマンをしていたという父親に連れられて1926年、両親と5人姉妹の末っ子としてブラジルへ農業移住で来た。85年も前の司都子さんが幼稚園児の時の写真を見せてもらった。あの当時、お揃いの制服で幼稚園に通っていたというのだから、本当に良い生活をしていたのだろう。
「父に手をひかれて歩みし幼な日を ふと思いおり ふる里しのぶ」
サンパウロ州モジアナ線のカフェ農園に契約移民として入り、契約農期の1年も経たずに同州ビリグイの奥地へ。さらに近郊地の「バレイロ植民地」で6年間、カフェ生産に従事。ノロエステ地域のアラサツーバに土地を購入後、父の他界で長女夫妻を頼りサンタ・アメリカで日本語教師の手伝いを行う。その後、短歌を嗜む井本厚(いもと・あつし)さん(山口県出身)と結婚し、写真店を長く経営した。30年以上続けた写真屋だったが、1980年代に治安が悪化し、強盗に4回も入られたことが、写真業を辞めるきっかけとなった。
夫の死後は友人の多く住むリベルダーデに居住し、足が不自由になってからは、住み込みのお手伝いさんを頼みながら、生活している。娘、息子は医者や大学教授と優秀だが、北米や首都ブラジリアに住み、近所には長女のみが居住している。
現在は趣味の短歌やピアノにいそしむ日々で、60歳を過ぎてから始めたというピアノも、ベートーベンを弾くほどの腕前となっている。
井本さんのアパートに飾られる写真や額を見て、つくづく移民というものを考えさせられた。ある意味では、典型的な日本移民の一生涯とも言えるかも知れない。屈託なく笑う井本さんの笑顔に、何か救われたような気がした。
井本さんは2018年9月12日(水)朝にリベルダーデの病院にて他界されました。享年98歳でした。衷心よりご冥福をお祈りいたします。
それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20101117.mp3
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