移民百年祭
Site map
移民史
翻訳
---- 移民百年祭 目次 ----
- ホームページ
- 青木カナ・ド・ブラジル
- ありあんさ通信
- 憩の園
- イタケーラ植民地
- 宇江木リカルド作品集
- 岡村淳のオフレコ日記
- Quem e Quem
- 紺谷君の伯剌西爾ぶらぶら
- 笹井宏次朗のアリクイの目
- サンパウロ人文科学研究所
- 在ブラジル原爆被爆者協会
- 熟年クラブ連合会
- 水耕栽培プロジェクト
- たこ焼きマンが行く
- 炭素循環農法【無施肥・
無農薬による自然農法】
- 続木善夫 / 私の科学
的有機農業論
- トッパン・プレス
- 南米漂流
- 伯国東京農大会
- PAISAGEM
- 福博村
- ブラジル沖縄県人会
- ブラジルの植物
- ブラジル日和
- 北海道ブラジル協会(旧
北海道日伯協会)
- マツモトコージ苑
- マツモトコージ写真館
- ユバのホームページ
ブラジル日和
--- ブラジル日和 目次 ---
- Home
- ブラジル日和とは
- 2019年ゲスト・アーカイブ
- 2018年ゲスト・アーカイブ
- 2017年ゲスト・アーカイブ
- 2016年ゲスト・アーカイブ
- 2015年ゲスト・アーカイブ
- 2014年ゲスト・アーカイブ
- 2013年ゲスト・アーカイブ
- 2012年ゲスト・アーカイブ
- 2011年ゲスト・アーカイブ
- 2010年ゲスト・アーカイブ
- 2009年ゲスト・アーカイブ
- 2008年ゲスト・アーカイブ
- 2007年ゲスト・アーカイブ
- 2006年ゲスト・アーカイブ
- 2005年ゲスト・アーカイブ
- 応援団&お友だち
2011年ゲスト・アーカイブ
(最終更新日 : 2012/01/09)
--- 2011年ゲスト・アーカイブ 目次 ---
- Vol.138「教育勅語を続けて」田畑稔
さん、谷川清徳さん、谷川進一さん、清水芳
美さん、上村安治さん、浜田光典さん、牧山
純子さん
- Vol.139「静かに消えたい」 紀 葉
子さん
- Vol.140「熱い魂とクールな常識」
伊豆山康夫さん
- Vol.141「イギリスからブラジルへ」
上岡弥生さん
- Vol.142「三度参上、響ファミリー」
響彬斗さん、響一真さん、舞扇毬菊さん、シ
ャチ・ほっこさん
- Vol.143「日本に渡った駐在ブラジレ
イラ」大田サンドラさん、出見愛子さん
- Vol.145「アマゾンでマホガニーを植
えて」 岡島博さん
- Vol.146「ミュンヘン五輪ブラジル初
のメダリスト登場!」 石井千秋さん
- Vol.147「東大留学で結ばれた縁」
津野豪臣さん
- Vol.148「大阪大空襲からコシーニャ
作りで」 奥田昭二さん
- Vol.149「臣道連盟青年部、最後の決
行員・日高徳一が語る」 日高徳一さん
- Vol.150「日本で造り酒屋、ブラジル
で漬物屋さん」 高木正親さん
Vol.148「大阪大空襲からコシーニャ作りで」 奥田昭二さん
Vol.148「大阪大空襲からコシーニャ作りで」 奥田昭二さん (2011/12/15)
放送:2011年11月9日(水)ブラジル時間 10:45~13:05(2:20) 日本時間21:45~00:05(2:20)、ダウンロードはゲストコーナのみの54分14秒です。
出演:奥田昭二(79、大阪出身)、松本浩治、大久保純子
今回は奥田さんのジャバクアラのお宅を訪問し、インタビューさせて頂いた。ジャバクアラにはサンパウロの国内線が多く飛び立つ飛行場がある。インタビューの最中に飛行機の音や犬の声、お孫さんなどの生活音が混じるが、それも愛嬌とお聞き頂けると幸いである。
奥田さんはつい最近までコシーニャというブラジル風コロッケを作る仕事をしていた。コシーニャは円錐形の形のコロッケで、ブラジルでは大変ポプュラーな食べ物である。その作業場でのインタビューだった。
1945年3月13日、第2次世界大戦で大阪が大空襲を受けた。奥田さんは島根県に疎開していたが、ちょうど小学校6年生の卒業式で一時帰宅。その時、大空襲に遭い、両親と姉一人を失った。その後、姉兄4人と奈良の親戚宅に世話になった。長姉がいなかったら、自分はどうなっていたか分からないと語る。日本では「蒲鉾(かまぼこ)屋」で2、3年働いた後、メリヤス(織物)工場などに勤務。
1958年に戦前にブラジルへ移民していた長兄の勇さん(90年代に70歳前後で死去)からの呼び寄せで、扇子(せんす)を製作する技術者として25歳の時に「チチャレンガ号」で単身、海を渡った。勇さんは大阪の商業学校を卒業後、「海外商業実習生」として渡伯し、サンパウロ市の「蜂谷商会」で働いた経験を持っていた。渡伯当初は、兄の経営するおもちゃ工場を手伝ったり、友人の口利きでフェイランテ(青空市場)業を16年間したりした。その頃、知人の紹介によりセイさん(2世)と結婚し、3人の子供にも恵まれた。その後、ミシンを購入して日本にいた時から得意だった縫製作業も請け負ったりした。
80年代には、親戚の紹介でコシーニャ作りを行うようになり、「美味しい」との評判で日本食品店などにも卸したりしていた。家族だけでは賄えないため従業員を雇い、奥田さんは従業員が出勤する前に毎日午前5時半に起きて、ジャガイモを洗って湯がくなどの下準備をする必要があった。コシーニャ作りは約30年にわたって継続してきたが、今年5月に長年連れ添った夫人のセイさんが76歳で亡くなったこともあり、奥田さんは自分の仕事に区切りをつけた。
「日本におっても仕方ないとブラジルに来たけど、金を儲けるわけでもなく、そうかと言って困りもせんかった」とブラジルでの生活を振り返る奥田さん。インタビューの後、10年ぶり3回目となる訪日を楽しみにしていた。
それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20111109.mp3
前のページへ
/
上へ
/
次のページへ
BB企画 :
E-mail:
Click here
© Copyright 2025 BB企画. All rights reserved.