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     2011年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2012/01/09)
Vol.148「大阪大空襲からコシーニャ作りで」 奥田昭二さん

Vol.148「大阪大空襲からコシーニャ作りで」 奥田昭二さん (2011/12/15) 放送:2011年11月9日(水)ブラジル時間 10:45~13:05(2:20) 日本時間21:45~00:05(2:20)、ダウンロードはゲストコーナのみの54分14秒です。
出演:奥田昭二(79、大阪出身)、松本浩治、大久保純子


 今回は奥田さんのジャバクアラのお宅を訪問し、インタビューさせて頂いた。ジャバクアラにはサンパウロの国内線が多く飛び立つ飛行場がある。インタビューの最中に飛行機の音や犬の声、お孫さんなどの生活音が混じるが、それも愛嬌とお聞き頂けると幸いである。
 奥田さんはつい最近までコシーニャというブラジル風コロッケを作る仕事をしていた。コシーニャは円錐形の形のコロッケで、ブラジルでは大変ポプュラーな食べ物である。その作業場でのインタビューだった。
 1945年3月13日、第2次世界大戦で大阪が大空襲を受けた。奥田さんは島根県に疎開していたが、ちょうど小学校6年生の卒業式で一時帰宅。その時、大空襲に遭い、両親と姉一人を失った。その後、姉兄4人と奈良の親戚宅に世話になった。長姉がいなかったら、自分はどうなっていたか分からないと語る。日本では「蒲鉾(かまぼこ)屋」で2、3年働いた後、メリヤス(織物)工場などに勤務。
 1958年に戦前にブラジルへ移民していた長兄の勇さん(90年代に70歳前後で死去)からの呼び寄せで、扇子(せんす)を製作する技術者として25歳の時に「チチャレンガ号」で単身、海を渡った。勇さんは大阪の商業学校を卒業後、「海外商業実習生」として渡伯し、サンパウロ市の「蜂谷商会」で働いた経験を持っていた。渡伯当初は、兄の経営するおもちゃ工場を手伝ったり、友人の口利きでフェイランテ(青空市場)業を16年間したりした。その頃、知人の紹介によりセイさん(2世)と結婚し、3人の子供にも恵まれた。その後、ミシンを購入して日本にいた時から得意だった縫製作業も請け負ったりした。
 80年代には、親戚の紹介でコシーニャ作りを行うようになり、「美味しい」との評判で日本食品店などにも卸したりしていた。家族だけでは賄えないため従業員を雇い、奥田さんは従業員が出勤する前に毎日午前5時半に起きて、ジャガイモを洗って湯がくなどの下準備をする必要があった。コシーニャ作りは約30年にわたって継続してきたが、今年5月に長年連れ添った夫人のセイさんが76歳で亡くなったこともあり、奥田さんは自分の仕事に区切りをつけた。
 「日本におっても仕方ないとブラジルに来たけど、金を儲けるわけでもなく、そうかと言って困りもせんかった」とブラジルでの生活を振り返る奥田さん。インタビューの後、10年ぶり3回目となる訪日を楽しみにしていた。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20111109.mp3


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