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     2013年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2014/02/23)
Vol.169 「ブラジル、日本、アルゼンチン、ブラジルの寅さんが語る」久保 諭さん

Vol.169 「ブラジル、日本、アルゼンチン、ブラジルの寅さんが語る」久保 諭さん (2013/12/23) 放送:2013年11月20日(水)ブラジル時間 10:56~13:05(2:09) 日本時間 21:56~00:05(2:09)、ダウンロードはゲスコーナのみの1時間47分48秒です。
出演:久保 諭(さとし、65、和歌山)さん、松本浩治、細川多美子、砂古純子、大久保純子


 サンパウロ州サンミゲル・アルカンジョ市コロニア・ピニャールにある「希望農園」で気の合った仲間たちと共同生活を送っている久保さんを現地でインタビューした。

 「本当はドミニカ共和国へ行くはずだった」と語る久保さん。久保さんの父親は、戦中、ビルマ・インパール作戦の志願兵だったという。

 1959年、クルパイの第2次移民として長男で当時11歳だった久保さんは父母、弟、妹2人の計6人家族でブラジルに渡った。マット・グロッソ・ド・スル州ドウラードス市から南東に約150キロの距離にあったクルパイ移住地は56年、和歌山県人の故竹中儀助氏が社長をしていた和歌山不動産会社によって設立。

 58年10月に和歌山県のあっせんで第1次27家族が入植し、その後の3年間で計53家族が移住したという。「クルパイに来た時点で余りの環境のひどさに泣いている人もおったよ」と話す。コーヒーの木も大きくなったが3年目には大霜で来て全滅。

 その後、コチア産業組合が日本の「山本山」と提携して聖州タピライでお茶の栽培を計画。クルパイ移民をタピライに呼ぶことになり、和歌山県人の約10家族がタピライへ転住。だが、そこも4年契約だったが、雨が一年中やまない土地で結局、山を伐採するだけで、実際に茶を栽培するには至らなかった。パトロンからピエダーデ付近の「サラプイ」という場所で、歩合制で土地を借り、マンジョキーニョやトマトなどを生産。その後、独立して「もうけた金で日本に帰ろう」と思っていた矢先、畑が「アッカラ」という病害にやられて、またもや全滅した。

 仕方なく同地の標高1200メートルの他人の土地を借りてイチゴ作りに変換。4年ぐらいは良かったが、雹に降られてイチゴも全滅。さすがに農作業に嫌気が差した。

 父親は農業から離れることに反対したが、友人の誘いを受けてグアルーリョスの街に出て家を借り、キタンダ(八百屋)を始めた。その前には陽子さん(65、北海道)と知り合い、結婚もしていた。しかし、店を借りていたブラジル人の老婦人が急に「店を売る。どうしても店を続けたければ数年後までに店の代金を払え」と言い出した。久保さんは必死の思いで金を工面したが、要求する金額には到達できなかった。その際、「命を懸けて金を作ったのがその婆さんに通じたのか、店を売ってくれた」という。同店を3回にわたって改装し、キタンダから「スーパーマーケット」にまで発展させたが大型スーパーが台頭し、「このままでは将来的にやっていけない」と思いだしていた。

 そうした頃、親戚がマット・グロッソ・ド・スル州で大規模な大豆作りを行っている話を聞き及び、「おれも一丁やったるか」との思いで30代半ばでドウラードス市に舞い戻った。

 親戚と一緒に歩合制で3年働き、100アルケール(約240ヘクタール)の土地に大豆とフェイジョン、小麦などを植えた。しかし、7年目に干ばつ。ハイパーインフレの影響もあり、経済的に厳しくなった。

 91年、夫婦で日本に出稼ぎに行き、栃木県真岡(もおか)市で神戸製鋼の協力会社で働いた。43歳の時だった。その後、息子と娘も日本に行ったが、息子は「ブラジルの大学を出たい」と1人でブラジルに戻る。久保さんは結局、17年間日本で働いた。訪日5年目には真岡市内に自宅も購入。しかし、息子はブラジルの大学を出て日本には来ない。また、娘も日本で日系アルゼンチン人と結婚してアルゼンチンに嫁いだ。「日本で夫婦2人でいても、家族がばらばらに離れていては孫の顔すら見られない」と迷っていた時、娘に「アルゼンチンなら永住権が取りやすい」と言われ、老後を南米で過ごすことを決めた。

 移り住んだ場所は、首都ブエノスアイレスから約40キロ離れた「ラプラタ移住地」で、約400家族の日系人が在住。久保さんは同地で炭焼き窯を作り、無農薬栽培用に木酢液を作るなどして協力した。しかし、同地は風が強く、冬場には零下にまで温度が下がる厳しい環境。長年住んだ温かいブラジルへの思いが募り、アルゼンチンとブラジルを行ったり来たりする生活が続いたが、2011年にブラジルに戻って来た。しばらくは、グアルーリョス市の親戚の家に住んでいた諭さんも「街で何もしないと体がなまる」とし、2013年6月からコロニア・ピニャールにある「希望農園」で農作業で共同生活を送ることになった。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20131120.mp3


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