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     2013年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2014/02/23)
Vol.170 「ドミニカ共和国より」内藤益宏さん

Vol.170 「ドミニカ共和国より」内藤益宏さん (2014/02/23) 放送:2013年12月26日(木)ブラジル時間 10:56~13:05(3:20) 日本時間 22:21~01:41(3:20)、ダウンロードはゲスコーナのみの25分37秒です。
出演:内藤益宏(ますひろ)さん、青木カナ、細川多美子、砂古純子、大久保純子


 ブラジル日本都道府県県人会連合会(通称:県連)主催のふるさと巡りツアーで2013年10月17~23日、ドミニカ共和国へ行って来た。
 日本人のドミニカ移住は、1956年7月26日、農業移住という形で第一陣28家族185人が「ぶらじる丸」にて25日の航海を経て、サントドミンゴ港に到着。7月29日ダハボン移住地に入植した。その後、3年間で249家族1319人が、

①ダハボンDAJABON(最初の入植地でハイチ国境沿い)
②コンスタンサ CONSTANSZA(脇輝亀会長、佐藤康樹副会長他7家族約30人が今も在住。トルコ桔梗、紅花などの花栽培や高原野菜作り)
③ハラバコアJARABACOA(日高武昭さん他5家族21人が在住。湿地や石が転がる粗悪なものだったが他の移住地に比べてまだ気候が良い方。借地して野菜などを生産したが、約10年間は野菜の販売力も無かったが土地は肥沃)
④ネイバ NEIBA(瓦礫)
⑤ドゥベルヘ DUVERGE(塩地)
⑥アルタグラシア ALTAGRACIA(アグアス・ネグラスより奥に入ったコーヒー栽培地)
⑦アグアス・ネグラスAGUAS NEGRAS(南のハイチ国境沿い、田畑初(はじめ、94)さん一人が残った岩地でコーヒー栽培)
⑧マンサニージョ MANZANILLO (北のハイチ国境沿い、海岸沿いで鹿児島県からの漁業移民。漁具、船まで持ち込むが予定した水産資源なく全員が島を出た)
の8つの地域に入植した。

 今回のツアーで訪問できたのは、③ハラバコアと②コンスタンサの2カ所。ハラバコアは首都サントドミンゴから北西に約140㎞で標高524m。避暑地としても有名で、日本人は野菜などを作っている。
 翌20日に訪問したコンスタンサも同じくサントドミンゴから北西に約140㎞でハラバコアの少し南。標高1283mで、信州の山間平野を彷彿とさせる風景が広がる。一時は他の移住地からの転住で土地が足りなくなり日本人同士の競合となった。
 これら比較的恵まれた内陸地のみの訪問で、盾として配置されたハイチとの国境沿いの塩地ドゥベルヘや岩地のアグアス・ネグラス、ダハボンなどは訪問することが出来なかったのは悔やまれる。
 しかしながら、一見は百聞に如かず。現地の方にお目にかかったり、また、一緒のツアーでブラジルから行った76人のうち、ドミニカ共和国へ入植した後にブラジルへ再渡航した方々(南沢法子さん=アグアスネグラス入植、福岡出身、旧姓は帆士さんで現在70歳、大村順子さん=コンスタンサ入植、鹿児島出身、旧姓は村田さんで63歳、、八巻タツさん(87、福島)達夫さん(64)親子=ダハボン入植、山上桃代さん=コンスタンサ入植で鹿児島出身、現在60歳、野添美夜子さん=ハラバコア入植で北海道出身、旧姓は富樫さんで現在63歳)とお話しできたのも良かった。
 実はツアーで周る中、何人かの方にお話を伺ったり、それぞれの会長の話なども録音したのだが、バックの音がうるさくて、大変聞き苦しく、放送することができない。

 唯一、まぁまぁ音が聞き取れるのが、今回のツアーで現地ガイドもして下さった内藤さんのこのインタビューである。それも、帰りの空港で搭乗手続きの合間をぬったバタバタとしてインタビューであった。それでも、内藤さんが13歳でドミニカへいらしたこと、日本でのご両親の生活やドミニカへ来られてからの生活などを短い時間でお話し下さった。
 ドミニカは日本政府を相手取って、移民条件が違うということで「移民裁判」をしたことで有名だが、この内藤さんは「移民裁判」に反対の立場を取られた方でもある。
 そうした立場の方からもお話を聞けたことはとても貴重で重要な事だと思う。改めて感謝の気持ちを伝えたい。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20131226.mp3


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