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     2015年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2016/02/07)
Vol.183「神と共に82年」松酒紀美子さん

Vol.183「神と共に82年」松酒紀美子さん (2015/05/11) 放送:2015年4月28日(火)ブラジル時間 12:04~14:03(1:59) 日本時間29日(火)00:04~02:03(1:59)、ダウンロードはゲスコーナのみの1時間29分27秒です。
出演:松酒紀(喜)美子さん(82、岡山県出身)、細川多美子、砂古純子、大久保純子


松酒さんは今年82歳になられるが、日々、詩吟、茶道、華道、書道、体操(練功)、絵手紙、婦人之友の会と様々な活動をされて大忙し。
松酒さんは昭和7年、岡山で生まれた。12歳の時に先生が「日本は戦争で勝っており、東南アジアに進出しており、これからは日本語教師が足りなくなるから、日本語教師になりましょう」と言われて、自分は日本語教師になろうと思ったそうだ。奇しくも、それはブラジルで叶うこととなる。
ご両親は岡山で農業を営んでいたというが、お坊さんの勧めでノートルダム清心学園へ進学。学費のかからない看護科を選び、看護師の免許を取り、学校の養護教員として、予防医学に情熱を燃やす。
学生時代はカトリックに真剣にはならなかったが、看護科で学ぶ中で、人の生死を間近に見て、洗礼を受けた。
結婚の条件は「神を信じている人」という事で、両親の勧めてくれた人はイギリス聖公会の人。だが、「神は一つですよ」との言葉で知り合って1か月で結婚。9か月後にはご主人の希望するブラジルへの船に乗っていた。1960年(昭和35年)9月のことである。
船の上ですでに懐妊中。1年前の結婚式の日にブラジルで長男を出産。
渡伯してからはご主人は自動車の修理工を1年した後、当時、ブラジルの日系社会で流行り出した養鶏の器具を作る会社を設立。10年は帰れないと思っていた日本へも7年後には一時帰国もできるほど順調だった。
最愛の夫は1997年に70歳で他界されたが、6人のお子さんを育て、日々活発に過ごし、「ブラジルへ来て良かった」と明るく話す紀美子さん。
空き巣に入られても「みそがれた」と言い切れる潔さに何か心洗われ、襟を正されたような気がした。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20150428.mp3

 いつも元気で、親切で、笑顔で温かい松酒さん。一緒に書道を習っていて、大変よくして下さいました。松酒さんは先生並にお上手でした。変体仮名など古典字をまるで日常でも使っていたかのようにスラスラ書かれているのが印象的でした。そんな松酒さんの訃報を聞きました。2019年8月15日に他界されたそうです。奇しくも終戦記念日ですね。翌16日にCemitério do Morumbiで荼毘に付せられたそうです。そのお時間には間に合わず、心の中でお祈りするのみでした事、お許し下さい。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。きっと、松酒さんの事ですから、あの世でも元気に皆さんのお世話をされていることと思います。本当にありがとうございました。


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