移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
ブラジル日和
     2018年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2019/06/29)
Vol.201「『狂信』を問い続ける農業一筋の知性派」丹生 登さん

Vol.201「『狂信』を問い続ける農業一筋の知性派」丹生 登さん (2019/02/25) 放送日:2018年12月25日(火)
ダウンロードはゲスコーナのみの1時間12分28秒です。
出演:丹生 登(長崎県東彼杵郡東彼杵町出身、83歳=1935年12月18日)大久保純子

 丹生さんは端正なお顔立ちで元ブラジル長崎県人会の会長などもされていた。学者肌な風情で、お話を伺うまで、ずっと農業一筋とは思わなかった。読書も好きで、邦字新聞などに投稿もなさっていらっしゃったので、会社勤めでもされているのかと思っていたのだ。
 お父様は戦前戦中の日本国民ほとんど全員が「日本は神風が吹く神国だから戦争に勝つ」と信じていた頃に「織田信長でも豊臣秀吉でも長期戦に勝つのは経済力だ」「米国が世界の4割の生産力を持っている。日本が勝てる訳がない」「世界の情勢を知らなければならない」などと発言していたという。だが、左翼な訳でもなく、戦後、日本全体がマッカーサー一辺倒になった時には「うろたえるな」とも言っていたという。農家の長男で米や麦を作っていたというが、素晴らしい先見性だと思う。この先見性は現代でも十分通じ、今の日本にこそ必要な着眼点でもあるかと思われる。
だが、子どもの頃の登さんはその父親の言動のために「よくいじめられた」という。

 そんな登さんは20歳の時、親の許可なく単身で移民。自立農を目指して、イタケイラで桃、パラナでコーヒーなど様々な作物の作り方を覚え、今もシメジなどのキノコを作られている。また、奥さんと出会ったフォルクス・ワーゲン社の社長の農場で豚や牛、養鶏なども習ったという。この社長もドイツ人でナチス側のため、公職追放でアルゼンチン経由でブラジルに住みついた人だという。

 また、丹生さんはブラジルで起こった勝ち負け闘争にも関心が深く、自身の足でも歩き、見聞している。その興味深い話もここで話して下さった。
奥様はポルトガル系ブラジル人で、家庭ではポルトガル語ばかりだとか。最後に「ブラジルに来て悔いはない」と笑う。その笑顔に、何か救われるようなホッとするインタビューだった。

 なお、インタビューは2018年11月で誕生日前、放送は誕生日(12月18日)以降だったので、83歳となる。

それでは、以下のリンクをクリックしてをお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20181225.MP3


前のページへ / 上へ / 次のページへ

BB企画 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2024 BB企画. All rights reserved.