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(最終更新日 : 2021/04/03)
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してアマゾン(ブラジル)へ」中西恵美子さ
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Vol.204「澎湖島(台湾)、大阪、そしてアマゾン(ブラジル)へ」中西恵美子さん
Vol.204「澎湖島(台湾)、大阪、そしてアマゾン(ブラジル)へ」中西恵美子さん (2021/04/03)
収録日:2019年10月31日(木)
ダウンロードはゲスコーナのみの2時間10分36秒です。
出演:松本浩治、大久保純子
このインタビューを終えて、生放送をしようと思っているうちにブラジルにもコロナウイルス(Covid-19)が上陸。ブラジルでのコロナ禍はすさまじく1年以上経ってもまだ自粛が続いている。
当然、ご高齢者の方へのインタビューは不可能。何人かで集まったり、長く話したりというのも、常識ある人々の間では皆無となった。
ジュンキー&タミキーとの生放送もなかなかできないので、とりあえず、中西恵美子(なかにし・えみこ)さんのインタビューを先にアップしようと思う。
中西さんは2019年2月22日に米寿(88歳)を迎えた。
なんと生まれは台湾諸島の澎湖島(ぼうことう)。ネットで探すと、現在はきれいな観光地として出てくる。語学が達者だったお父様・丑松(うしまつ)さんが同島で海綿(かいめん)を収穫して日本に輸出販売していたという。海綿と聞いて、はるか昔にスポンジ代わりに書道や洗う時に使ったなぁ、とあの黄色い色々な形のぷわぷわを思い出した。何のために日本は購入していたかというと、当時は軍用飛行機のクッションに使っていたのだ、というから戦争という時代を感じた。
戦後、中西さん一家は地元・大阪に引き揚げ。財をなしても一挙に失う。それが戦争だ。大阪では昆布と干しニシンで「昆布巻き」を作って販売。戦後も商売で成りあがった。しかし、戦後の職の無い時代をまざまざと見た恵美子さんの母親は「男でも女でも手に職を付けなければ」との思いを抱き、恵美子さんに近所の「山本洋裁学校」へ行く事を勧める。
結局、結婚後、ご主人がブラジル移住を決意し、ブラジルへ渡ったがその裁縫の腕で恵美子さんは一家を支える事になる。
当初入ったアマゾンでは、ベレン近郊のコッケイロでピメンタ栽培を行った。7年ほど電気もないランプ生活だったが、「アマゾンに行くと決めて行ったので、特に気にもしなかった」と振り返る。
しかし、子どもの教育を考え、ベレンに出て洋裁を始める。長男が高校卒業後、サンパウロ州のITA(航空技術大学)に合格。末娘も学業でサンパウロに出たことから、自らもサンパウロ市へと移り住み、現在に至る。
90年代初頭には日本航空(JAL)の機内食作りの広告を見て、60歳の時に日本に単身、出稼ぎにも行った。4年間を成田空港近くの日本航空の宿舎で過ごし、週末には日本中を旅して歩いた。
「今から思えば、あのJALでの出稼ぎ時代が一番楽しかった。会社から月給というものをもらって生活したのは、あの時が初めて」と笑う。その時のエピソードが笑える。恵美子さんがつい「サンパウロは大都会で、東京より広いんじゃないかな」と飛行機から見る風景を思い出して言った所、ブラジルにジャングルのイメージしか抱かない一緒に働いていた人々はウソだとしか思わずに「私は嘘つき婆さんだと思われていたのよ」と大笑いする。こればかりはぜひ、一度、ブラジルに来て飛行機からサンパウロを見て確かめて欲しいものだ。
それでは、以下のリンクをクリックしてをお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20191031.mp3
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