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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2006年11月号
2006年11月号 (2006/11/07)
○トピックス
相次ぐ悲しい別れ
十月十八日にもたらされた、練功教室指導者烏山芙美子先生の思いもかけない死亡通知は、老ク連にひどいショックを与えた。ところがその翌日には、当会創立会員で現顧問である本山喜久雄氏の死も知らされたのである。どちらも何の予兆もない余りにも突然の訃報で本当に驚いた。
烏山先生は大腸の手術はしたが全て巧くいき、あの健康体を示すように驚くほど早く回復して、休んでいた教室にも時には顔を見せるようになっていた。「手術後の治療を心おきなくきちんと済ませたら、又バリバリやるからねー」といっておられたのに…。二度とあのキビキビとした姿にお目にかかれないとは、到底思われないのである。あまりの急変に連絡が間に合わず、家族だけで見送ったというが、初夏ともいえる気候なのにショボショボと雨の降る寒い日で、見送る側も今はもう静かに眠る先生もさぞかし無念だったろうと、事務所は寂しい空気に包まれた。
先生は実に御自分に厳しい方で、「練功は人に見せるためにやるのではなく、自分の身体のためにやるのだから、好い加減にやるならやらない方がいい」と口癖のように言われ、その甲斐あってか生徒の中には持病を克服した人も何人かいた。六十七歳の若さでまだまだこれからなのにと残念でならない。(関連記事二頁)
本山氏は後三日で百五歳という死で、こちらも大変残念な思いが募る。二年ほど前までは百キロ余離れたカンピーナス市から電車を乗り継いで、毎月の会議や行事には必ず顔を見せて下さった。本年創立三十一年の当会で残り少ない創立会員の一人である。耳は不自由になっていたが、非常に記憶力の優れた積極性のある方で、ボケも死もすっかり忘れたといえるような老年の毎日であった。ラジオ放送・映画の配給など余り人のやらない仕事にまで挑みながらも、おしゃれな本山さんは奥様が健在の時でさえ、事自分に関しては人の手を借りずに洗濯・アイロンかけ・繕い物までやったという。これが長生きの秘訣だったかも知れないが、しかし今まで病院にかかったことがないとの信じられないことが災いして、家人の勧めも聞かずに肺炎をこじらせてしまったのは、返すがえすも残念であった。晩年は家族が一人では出さないからと、老ク連へも来れなくなってしまったが、今年八月の老人クラブ大会には、無理にお願いして来て頂き、文協の舞台に上がって貰ったり、馴染みの皆にも会うことが出来て本当に良かったと思っている。「百二十歳まで生きられると思ったのに駄目だった。大変お世話になった、皆によろしく言ってくれ」と何度も何度も繰り返して回りの人に頼まれたと言う。文字通り大往生である。
続いて逝ったお二人の永久の冥福を祈りたい。
烏山先生を悼む
◆先生の訃報を知ったのは、翌十九日の木曜日でした。その日は教室の日、二十余名の出席でしたが、泣きじゃくる人、呆然と立ち尽す人など、色々の感情が込み上げてきて胸が詰まりそうでした。上原事務局長を囲み、皆で先生に黙祷を捧げました。お元気な頃のお顔が、あの美しい目が忘れられません。また「年齢なんて気にするんじゃない」と強くハッパをかけられた事も思い出します。
六月下旬から先生が体調不良で、ベテランの小泉さん、石元さん、藤井さん等が中心となり、自分達だけで練習を続けてきました。生徒一同、先生のご回復を信じてお待ちしていたのに、残念で残念でなりません。
誰からともなく「とにかく挫けないで先生の遺志を大切に頑張りましょう」と涙をふいて、その日の練功をいたしました。
厳しかったけれども、温かい思いやりと細々としたご指導を思い出に、皆で練功教室を続けてゆく覚悟です。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(老ク連練功教室生徒一同)
◆烏山先生が体調を崩して授業を休まれてから、一月位して老人クラブ大会がありました。先生が元気でおられた頃は、あの難しい第三番を舞台で演ずる予定でしたが、全員の練習不足から第一番に変更になりました。一番なら八十歳で杖をつく私でも出られるので安心して練習に励みました。無事手術を終えられた先生は、大会に備え二度ほど教室に来てくださいましたが、当日も会場に姿を見せました。舞台では皆と同様私も手を上げ足を踏ん張り、役目をすませました。
それからどれ位の日数が経ったでしょうか。先生がかなりお元気な様子で教室にお見えになり、「手術は無事終わりこれからは術後の治療に入ります。もうしばらく休みますが、皆さん我慢して続けて下さい」とおっしゃいました。代表格の石元さん、小泉さん方も安心の態でしたが、続く私共はもちろんのことです。先生が「体調の良い時には練習を覗きに来ますから」とおっしゃるのを聞いて、また今まで通り先生の静かで張りのある号令を聞きながら、練功体操を続けられると思うと嬉しくなりました。石元さんとも「しっかりと先生のお留守を守りましょうね」と肩を抱き合いました。
それから何日も経っていないのに、牟田さんから訃報がもたらされたのです。まさに晴天の霹靂、ショック、何と表現したらいいでしょう。何の前触れもなく先生が逝かれた。まさか?どうして? 一体誰が信じられよう!
翌木曜日、老ク連の教室に集まった一同の半分以上が、訃報を聞いていなかった様子でした。先生は術後の治療も調子よく進んでおられたのに、化学療法を始めてから急に容態が変って、手当ても間に合わず亡くなられたとの事情を聞いて、私たちも呆然となってしまいました。
その日は今後の事も相談し、「とりあえず自分たちで練功を続けていくことにしましょう」ということになり、先生を弔う気持ちで生前通り藤井さんがテープをかけて、石元さんと小泉さんを前にして体操をしました。
体調の良い時には覗きに来る、と言われた先生の面影が、遠ざかってはまた覆いかぶさってくるような不安定な思いで帰路につきました。
その翌日、邦字紙に烏山先生の死亡通知が載ったのです。既に知ってはいても又一層暗然とした思いになりました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。(セントロ桜会 野村康)
第十回親睦ビンゴ大会
十月二十九日今年二度目のビンゴ大会がサロンで行なわれた。老ク連の年中行事の内、会員も役員も職員も普段のわずらわしさを忘れて一番楽しむ行事である。今回も二百人位の参加で昼食を挟んで五時間、豪華賞品のかかった七回と現金のつく二回を十二分に楽しんだ。最後に大当たりしたのはただ一人で、さぞ嬉しかったことだろう。
今回も役員他有志の好意で各回四十人ほどに当る賞品を揃えたが、昨年に比べ六回までに一度も当らなかった人が非常に少なかったのは、全体に満遍なく平均して当ったのではないかと、この催しとしては何よりも嬉しい結果となって良かった。
賞品寄贈者名
重岡康人、五十嵐司、内海博、小坂誠、山口勝、松平和也、戸田房子、内山卓人、玉井須美子、田村福八、纐纈蹟二、宇野妙子、矢野恵美子、朝枝定、杉本正、長尾弘之、板井としえ、斉藤マリオ、佐藤寅吉、中西恵美子、小野一生、有賀春子、後藤秀明、香山和栄、岡島ミエ、金藤康子、上原玲子
○11月の行事
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
※10時
健康体操教室
※1時
民謡教室
※10時
絵画教室
※12時15分
なつメロ合唱の会
5
6
7
8
9
10
11
※10時
健康体操教室
※12時
盆踊り教室
※9時半
コーラス教室
※12時半
カラオケ教室
※8時~17時
指圧・灸 森山先生
※10時
健康体操教室
※1時
民謡教室
※9時半
練功体操教室
※12時
カラオケダンス愛好会
※10時
絵画教室
※1時
書道教室
※12時15分
名画鑑賞会
12
13
14
15
16
17
18
※8時
第12回老ク連親睦カラオケ大会・バザー(文協大講堂)
※9時半
コーラス教室
※12時半
カラオケ教室
※8時~17時
指圧・灸 森山先生
※9時半
練功体操教室
※12時
カラオケダンス愛好会
※10時
絵画教室
19
20
21
22
23
24
25
※9時半
コーラス教室
※12時半
カラオケ教室
※8時~17時
指圧・灸 森山先生
※10時
健康体操教室
※1時
民謡教室
※9時半
練功体操教室
※12時
カラオケダンス愛好会
※10時
絵画教室
※1時
書道教室
※12時15分
名画鑑賞会
26
27
28
29
30
※10時
健康体操教室
※12時
盆踊り教室
※9時半
コーラス教室
※12時半
カラオケ教室
※8時~17時
指圧・灸 森山先生
※10時
健康体操教室
※9時半
練功体操教室
※12時
カラオケダンス愛好会
○名画友の会
11月11日(土) 第136回鑑賞会 邦洋画2本立て
(1)
「銀嶺の果て」 1947年度(昭和22)年作品 黒白1時問29分
監督: 谷口千吉
出演: 三船敏郎、若山セツ子、小杉義男、河野秋武、志村喬、高堂国典
(2)
「ブルグ劇場」 1939(昭和14)年作品 黒白1時間40分
監督: ウイリー・フォルスト
出演: ウエルナー・クラウス、ホルテンセ・ラキー
11月25日(土) 第137回鑑賞会 洋画月 ロマンチック名音楽フイルム特選
(1)
「旅愁」 1950(昭和25)年作品 黒白1時間45分
監督: ウィリアム・デターレ
出演: ジョゼフ・コットン、ジョーン・フォンテーン、ジェシカ・タンディ
(2)
「邂逅(めぐりあい)」 1939(昭和14)年作品 黒白1時間27分
監督: レオ・マッケリー
出演: アイリーン・ダン、シヤルルポワイエ、マリア・オースペンスカヤ
○各教室参加者 (9月21日-10月20日)
コーラス教室
4回
65名
民謡教室
2回
22名
踊り教室
3回
43名
俳句教室
1回
9名
カラオケ教室
4回
81名
カラオケ・ダンス愛好会
4回
167名
健康体操教室
8回
132名
名画友の会
2回
88名
練功体操教室
4回
72名
なつメロ合唱の会
1回
27名
書道教室
2回
88名
マッサージ・灸
2回
8名
絵画教室
4回
41名
○寄贈・寄付 9月21日-10月20日(敬称略)
・書籍類
…
大谷よしえ10冊、戸塚マリ9冊、戸田房子6冊、三木八重子3冊、水本すみ子3冊、吉田ちどり11冊
・ビデオテープ
…
石沢みさの8本、鈴木文子9本、尾山誠7本
・その他
…
コーヒー2袋-三木八重子
○行事報告 9月21日-10月20日
9月
21日
ゲートボール大会準備 小坂・山口・朝枝
22日
30周年記念誌用座談会 小畑・原沢・重岡・杉本・五十嵐・上原
23日
第21回ゲートボールふれあい大会 42チーム参加 実働役員=重岡・小坂・内山・山口・戸田・玉井・宇野・職員
25日
サントアマーロあおぞら会へ宇野先生を派遣
27日
レプレーザ高砂子会へ宇野先生を派遣 内山同道
28日
老人週間の準備 田村・山口・内山・他数人
29日
文協にて第37回老人週間 講演・体操・踊り・手品など 手伝い=田村・内山・山口・他ボランテイア6名
10月
6日
第14回理事会 12名
夕方寮生とシュラスコで懇親会 参加は寮生5名と五十嵐・内海・小坂・内山・戸田・玉井・宇野・職員3名
15日
俳句会の手伝い 内山・山口
16日
サンパウロ新聞創刊60周年祝賀会 内海
18日
練功体操教室の指導者 烏山文子先生死去
19日
島内大使歓迎会 五十嵐・内海
20日
本山喜久雄顧問葬儀 真鍋・杉本・内海・内山
会計監査会 丸山・西丸・古賀・戸田
第9回代表者会議 37名
※ 毎週木曜日カラオケダンス愛好会手伝い=田村・内山・山口の各氏
※ 老壮の友荷造り、買い物、宇野先生手伝い等=内山
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