移民百年祭
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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2007年6月号
2007年6月号 (2007/06/11)
○トピックス
次から次へ老ク行事
ゲートボール大会
五月二十六日、第二十二回老ク連ゲートボールふれあい大会が、連合スタジアムで行なわれた。今年もニッケイ新聞社と共催、ブラジルゲートボール連合の主管である。今年はいつまでも暑さの残った秋だったが、一週間程前から急に寒くなったので、当日の天候がとても気になった。しかしこの日は時間が経つに連れてどんどん温かくなり、思ってもいないゲートボール日和となって、皆の気持も弾んだ。
八時半からの開会式は内山卓人理事による司会で、実行委員長の小坂誠副会長の開会宣言に始まり、黙祷、持ち廻り優勝杯返還、重岡康人老ク連会長と本藤利ゲートボール連合会長の挨拶、連合側から選手に対する注意があり、老ク連への沢山の寄贈品の紹介などが行なわれた。続いて今回も敬老金をご寄付下さった、スダメリス銀行の清水オリージオ取締役から激励の言葉を頂き、八十五歳以上の対象者の内九十歳以上の八名には、全員の前で重岡会長より敬老金が手渡された。最後にグァラニー桜クラブの東野外喜雄代表が選手宣誓をして、開会式は終わり試合が開始された。
今年の出場者は八十歳以上の寿組が十四、七十歳代の亀組が二十、六十九歳以下の鶴組が六と計四十チーム、約二百五十名である。昨年より鶴が三チームも減ったのは全体に年齢が上がったのか、敬老金も昨年の八十四歳に対して今年は八十五歳以上となり、年齢順に四十三名に贈られた。
毎年思うことだが、毎日練習を楽しみ、外に出る事によって心身共に健康になり、試合で入賞すれば大きな賞品を、例え逃しても参加賞に敬老金にと頂き、一日中至れり尽くせりの飲食物が用意される。こんなにうれしい行事が他にあるだろうか? 更に団体スポーツなので精神修養にもなる。まだやっていない方には是非ゲートボールを薦めたい。そして来年の大会には出場してこの恩恵を受けてもらいたい。
連合役員のよどみない進行のおかげで、三時半には全試合が終了して表彰式が行なわれた。入賞したチームを見ると、女性の多いのが当り前の老ク連で、この時ばかりはどのチームにも男性の多いのが目についたが、一組だけモジから唯一参加した女性だけのチームが亀組三位に入賞して、ひときわ大きな拍手を貰っていた。怪我人も病人も出ずに午後四時過ぎ全部のかたずけも終り、未だ陽も明るいうちに大会は無事終了した。
ミニカラオケ大会
五月八日今年もカラオケ教室指導者田巻夏枝先生を中心に、第七回ミニカラオケ大会が老ク連サロンで開かれた。今回の出場者は百三十五名で昨年より二十九名も多い。例年に違わず朝から会場には唄う人、応援する人が続々と集まり開会を待っている。八時半実行委員長の五十嵐司副会長の挨拶で始まった大会は、司会が田巻先生、山地パウロ委員長と斉藤美恵委員・洒井裕喜広委員を審査員に本大会と少しも変わらない内容である。
廊下や表の庭からは真剣に繰り返し繰り返し練習する美しい声が聞こえてきて、「あー今年も又この日がやってきた」という一種の風物詩のような感慨が沸く。新人からエストラへと延々と歌い継がれて、午後三時前全部終了し成績が発表され、美しいトロフィーや品物等が入賞者に贈られた。いつもの練習場で、知っている顔ばかりの中で唄う、気のおけない大会なので、文協でやる本大会の練習としてより多くの人に利用して貰いたいものと思う。
ドラセーナ旅行
今年の交流旅行はドラセーナ明朗会と行なうことになっていたので、その近辺の移民発祥の地も訪ねることにして、四月二十七日夜重岡会長を団長とする一行四十名は、老ク連前を出発した。翌二十八日早朝カフェランジャに到着、今日一日案内して下さると言うリンス文協会長の安永和教さんと落ち合い、ごみ一つないきれいな街中を通って平野殖民地の日本人会館に着く。
一九一五年に八十二家族入植したが、今は十二家族だけという会館で、実に美味しい朝のカフェーを頂いた。サンパウロでも余りお目にかかれない程美味しい焼きたてパンに、ゴヤバのジャムにボリンニャなどとにかく美味しく、誰もが遠慮なくお代わりしてしまった。急遽お願いしたという婦人部の皆さんに朝早くから本当に申し訳なかったと思う。
会館内を見せて貰った後、役員さんの車に分乗して四キロほど土道を行った所にある墓地に行く。中でひときわ目立つ平野運平の墓前で当時のご苦労を偲びながら、一人づつお参りをする。四角い塀に囲まれた広い墓地は、植民地を離れる際にお墓も移したそうで、所々抜けているのが寂しい。墓石に刻まれた年齢は皆若く、マレッタで六十名程亡くなったという証拠がまじまじと感じられ、思わず涙が出る。こうして老ク連の様に高齢者が楽しんでいるのが申し訳ないように思った。
カフェランジャというのに今はすっかりカンナに変わってしまった左右を見ながら、途中リンスの文協によって、昔懐かしい品々が飾られている資料館を見てからプロミッソンへ向かう。上塚公園には案内の安永氏の父上・忠邦氏が出迎えてくださり、「皆さんが来てくれて墓に参ってくれる事が一番嬉しい」と涙を見せて挨拶されるので、聞いている方も思わずもらい泣きだ。広場では入植十周年の記念塔、句碑、五十周年記念の頌徳碑、NHKを見た日本人の好意で出来た光明観音堂などを見学した。その後十キロも離れているのに、告別式には家から墓地まで車が全部繋がり、まだ最後尾は出発できなかったというお墓を訪ねてお参りし、リンスに戻った。
夕食後リンス日本人会の好意で演芸会が催され、双方から芸達者が出て三時間余り楽しんで、長かった一日が漸く終わった。何処でも文協とお寺が一緒になっているのには驚かされたが、ブラジル人は集まると教会を作ると言うから日本人も同じではないかと昔の人たちの努力に感心した。
二日目はドラセーナ明朗会との交流日。広い会館に入ると両側に百人ほどの会員がずらーと並んで迎えて下さった。ドラセーナのほかに三つの町からも例会に参加するとか。皆で唄う老人クラブの歌の次に、「明朗会の歌」を若葉行進曲のメロデーで唄ってくれた。訪問団側では会員が多いから独自の唄も唄えるのだと羨ましがる声も聞かれた。幾人かの双方の挨拶があり、昼食となって明朗会の皆さんの手作りのお料理が、大きな机に所狭しと並べられた。どれもこれも美味しく皆盛んに食べながら話も弾む。午後は宇野シニアのレクリエーションで広い会場には笑い声が絶えない。百五十人程の大きな一つの輪になって、全員の顔が見えるゲームもやったが、場所も次々と移るので大勢と話を交わす事も出来て良かった。
やがて名残を惜しんで明朗会にお別れし、一路ペレイラ・バレットへ。ホテルについてみると、予約が明日になっているとの事。夕食も明日の昼食もホテルでと予約済みなのに…おまけに今日は日曜日で他の食堂も四十名の食事は…と渋る。大変心配したが、部屋は空いているから安心と思いきや、冷蔵庫は空っぽのまま、寝具は取りあえずの状態で、天井に大穴のあいている部屋もあったりして、今まで中で最悪の旅行になってしまった。地方都市とはいえ一寸ひどい。しかし夕方や早朝の散歩では日系人にも会ったりして、静かな街は懐かしい昔の暮らしを思い出させた。
翌三日目旅行社への恨みは又一つ増えることになってしまった。ペレイラはチエテ移住地のあったところで、一九三六年時点では一三六〇家族が入植していたとの事。植民地間を小船で行き来していたが、日本政府の多大な援助で一九三四年に一六〇メートルの橋が作られた。しかし一九九〇年そこにダムが出来ることになり、橋も植民地の一部も川底に沈み、代わりに二一二二メートルの新しい橋が出来上がったのである。旅行団はその湖のように広いチエテ川を船で楽しむことになっていたのに、その舟が一艘もない。皆釣り舟に変わってしまったとかで、皆ひどくがっかりした。バスを降りて長い橋を歩きながら、川も景色も美しいだけに、尚更皆の心には残念の思いが募ったのである。
そこで急遽ペレイラの日本人会にお願いして資料館を見せて貰うことになった。楠田館長さんと増田副館長さんの丁寧な日ポ両語の説明を聞き、模型の橋や記念のバッチなどを見せて貰いながら、ダムの底に沈んでしまった馴染みの風物に対して、この地の人達の気持に思いを馳せて、一様に気の引き締まる思いがした。
続いて昨年の大盆踊り会場で有名な文協の施設を案内して貰った。ゲートボール場も一五コートもあり、きれいに整備されている。体育館・野球場などあらゆる設備が整っている上に、多人数収容の宿泊所まである。川を背景に大変気持の良い風景で、ここで毎日プレーする高齢者が羨ましく、ペレイラの老人クラブの人達と話が出来たら良かったのにと惜しい気がした。
ペレイラで昼食の後、アリアンサの弓場農場へ。初めに農場の紹介がビデオであり、バレー指導者の小原明子さんの案内で農場を見学、色々の設備、運営の仕方などの説明を聞いた。その後遠くまで畠を見に行ったり、草箒の作り方を学んだり、大きなお風呂に入ったり、やきものを見繕ったり、思い思いの時間を過ごした後、暗くなってから大ステージでバレーの公演が始まった。観客は私たち一行四十名のほかに訪問者十名位である。今までサンパウロ文協の舞台で何度か見たことがあるが、こんなに間近で見たのは初めてなので、非常に迫力があって感動し、来て良かったとつくづく思った。暑い中でのきつい労働の後の練習で、良くぞここまでと仕込んだ小原さんにも、習った出演者の皆さんにもほとほと感心した。
その後大変美味しい夕食を頂き、手作り品のお土産を買い込んで車上の人となり、翌朝無事に老ク連前に帰着した。今回は少し手違いがあったが、「結果よければ全て良し」で、最後は皆良い旅行だったと言ってくれたので、先ずは一安心だった。旅行団の中には、苦しみは多かったが、今では懐かしい故郷へ帰れた人も何人かいた。
行く先々で大変お世話になった方々に、心からお礼を言いたい。
第22回ゲートボール大会
☆賞品寄贈者(敬称略)
スダメリス銀行
二五〇〇レアイス
ニッケイ新聞社
優勝トロフィー三本
下本八郎元州議員
トロフィー六本
久保商会
米五kg入り二〇袋
さくら醤油
醤油三一二本
ラッキー製菓
菓子六〇〇袋
味の素
ほんだし四八袋、果物茶三六〇袋、スープ八〇袋
重岡康人
牛乳二四箱、饅頭二五〇個
宇野妙子
五〇レアイス
杉本正
二〇レアイス
☆入賞チーム
寿組
優勝
ビラ・プルデンテわかさ会
準優勝
サウーデ文協老壮部
三位
サント・アマーロあおぞら会 C
四位
アルジャ親和会
五位
ビラ・ソニア老壮クラブ
亀組
優勝
サントアマーロあおぞら会 A
準優勝
アルジャ親和会
三位
モジダスクルーゼス中央日会老人部
四位
ジュンジャイ睦会 B
五位
カンピーナス明治会 B
六位
ジュンジャイ睦会 A
七位
グァラニー桜クラブ C
鶴組
優勝
グァラニー桜クラブ
準優勝
サント・アマーロあおぞら会
三位
サウーデ文協老壮部
第7回ミニカラオケ大会入賞者
新人 74歳以下
一位・牧本雅子 アニャンゲーラ仲よし会
二位・相沢絹代 サンパウロ鶴亀会
新人 75歳以上
一位・土田正五郎 スザノ福栄会
二位・川北静江 パルケ・コンチネンタル寿会
B 80歳以上
一位・荘司恵美子 サンパウロ鶴亀会
二位・宮城さかえ サント・アマーロあおぞら会
B 79歳~72歳
一位・斉藤万里男 ビラ・マリア鶴寿会
二位・武田久雄 ビラ・ソニア老壮クラブ
三位・草原茂利 サンパウロ中央老壮会
B 71歳以下
一位・吉川研策 イタペチニンガ千歳会
二位・大川みどり アニャンゲーラ仲よし会
A 82歳以上
一位・小野千鶴 サンパウロ中央老壮会
二位・三沢三代 イタケーラ寿会
三位・佐藤輝三 サンパウロ中央老壮会
A 81~74歳
一位・林 邦子 サンパウロ中央老壮会
二位・古川やよい パルケ・コンチネンタル寿会
三位・山本京子 パルケ・コンチネンタル寿会
A 73歳以下
一位・松平和也 名画なつメロ倶楽部
二位・檀 正子 イタペチ万寿会
三位・平川朱美 サンパウロ中央老壮会
エスペシャル 81歳以上
一位・菅田和枝 リベイロン・ピーレス錦友会
二位・吉住繁造 ジュンジャイ睦会
三位・山下安子 ビラ・ソニア老壮クラブ
エスペシャル 80歳~76歳
一位・三瓶磯子 ビラ・マリア鶴寿会
二位・宮坂憲治 サント・アンドレ白寿会
三位・園木幸子 ビラ・ソニア老壮クラブ
四位・後呂敏明 サンパウロ東部紅葉会
エスペシャル 75歳以下
一位・富永貞子 ビラ・ソニア老壮クラブ
二位・北山良子 ビラ・ソニア老壮クラブ
三位・黒川瑛輝 サント・アンドレ白寿会
エストラ 80歳以上
一位・高坂光丸 ビラ・ソニア老壮クラブ
二位・山本 茂 パルケ・コンチネンタル寿会
三位・荒木 豪 ジュンジャイ睦会
エストラ 79歳以下
一位・長谷川君代 ジュンジャイ睦会
二位・高木美子 ビラ・ソニア老壮クラブ
○6月の行事
日
月
火
水
木
金
土
1
2
※10時
絵画教室
※12時15分
なつメロ合唱の会
3
4
5
6
7
8
9
※10時
健康体操教室
※12時
盆踊り教室
※9時半
コーラス教室
※12時半
カラオケ教室
※8時~17時
指圧・灸 森山先生
※10時
健康体操教室
※1時
民謡教室
※10時
絵画教室
※9時半・1時
書道教室
※12時15分
名画鑑賞会
10
11
12
13
14
15
16
※10時
健康体操教室
※12時
盆踊り教室
※9時半
コーラス教室
※12時半
カラオケ教室
※8時~17時
指圧・灸 森山先生
※10時
健康体操教室
※1時
民謡教室
※9時半
練功体操教室
※11時10分
カラオケダンス愛好会
※10時
絵画教室
17
18
19
20
21
22
23
※10時
健康体操教室
※12時
盆踊り教室
※9時半
コーラス教室
※12時半
カラオケ教室
※8時~17時
指圧・灸 森山先生
※10時
健康体操教室
※1時
民謡教室
※9時半
練功体操教室
※11時10分
カラオケダンス愛好会
※10時
絵画教室
※9時半・1時
書道教室
※12時15分
名画鑑賞会
24
25
26
27
28
29
30
※10時
健康体操教室
※12時
盆踊り教室
※9時半
コーラス教室
※12時半
カラオケ教室
※8時~17時
指圧・灸 森山先生
※10時
健康体操教室
※11時
響ファミリー公演(唄・踊り・芝居) 老ク連サロン
※1時
民謡教室
※9時半
練功体操教室
※11時10分
カラオケダンス愛好会
※10時
絵画教室
○名画友の会
6月9日(土) 邦洋画併映
(1)
「悪名」 1961(昭和36)年度作品 カラー1時間34分
監督: 田中徳三
出演: 勝新太郎、田宮二郎、中村玉緒、中田康子
(2)
「わが谷は緑なりき」 1941(昭和16)年度作品 黒白1時間58分
監督: ジョン・フォード
出演: ウオルター・ビジョン、モーリン・オハラ、ロディ・マクドウオール
6月23日(土) 邦画月 市川昆特選
(1)
「炎上」 1958(昭和33)年度作品 黒白1時間36分
監督: 市川昆
出演: 市川雷蔵、仲代達矢、新珠三千代、中村雁治郎
(2)
「細雪」 1958(昭和33)年度作品 カラー2時間20分
監督: 市川昆
出演: 岸恵子、吉永小百合、石坂浩二、佐久間良子
○各教室参加者 (4月21日-5月20日)
コーラス教室
2回
32名
民謡教室
4回
42名
踊り教室
3回
55名
俳句教室
1回
9名
カラオケ教室
2回
43名
カラオケ・ダンス愛好会
4回
182名
健康体操教室
7回
127名
名画友の会
2回
67名
練功体操教室
4回
68名
なつメロ合唱の会
1回
30名
書道教室
2回
80名
マッサージ・灸
3回
24名
絵画教室
4回
55名
書道百人一首
2回
25名
百人一首
2回
14名
○寄贈・寄付 4月21日-5月20日(敬称略)
・書籍類
…
戸塚マリ8冊、鈴木文子1冊、宮田5冊、西原パウロ8冊、矢野恵美子4冊、井出香哉10冊、菊池由美子7冊、小池8冊
・ビデオテープ
…
迎田八重7本、花岡エウニッセ4本、上原玲子1本
・その他
…
カフェー粉1袋・万葉歌留多一式-猪野ミツエ、百人一首一式-戸塚マリ、体脂肪計-宇野妙子、現金100レアル-太尾田昭雄
○事業報告 4月21日-5月20日
4月
23日
イタマラチ学園へ「日本人の心を教える会」出張 五十嵐・内海・宇野・開
ミニカラオケ大会用トロフィー注文 五十嵐・内山
24日
アチバイア清流クラブへ宇野先生を派遣
夜間泥棒に入られる。被害はDVD・ビデオのプレイヤー他、現金約R$200
25日
旅行先への土産などの買い物 内山・職員
26日
イタケーラ寿会へ宇野先生を派遣
27日~5月1日朝
ドラセーナへ交流旅行 参加者40名(カフェーランジャ・プロミッソン・リンス・ドラセーナ・ペレイラ・バレット・弓場農場等を訪問)
29日
ドラセーナ明朗会で宇野先生を中心にレクリエーション 約140名
5月
4日
JICAより3名が泥棒被害や警護設備の調査
第5回理事会 11名
7日
ミニカラオケ大会賞品の準備 内山・戸田
8日
第7回ミニカラオケ大会 出場者135名。審査員は山地パウロ(長)、斉藤美恵・洒井裕喜広の3氏。理事他10名手伝い
10日
ゲートボール大会の準備で連合へ依頼
下本氏寄贈分のトロフィー注文 小坂・内海
11日
宇野先生の折り紙教室第2回目 参加者6名
13日
バレットス寿楽会へ宇野先生を派遣
15日
パルケ・コンチネンタル寿会へ宇野先生を派遣
16日
ジュンジアイ睦会へ宇野先生を派遣 内山同道
17日
レジストロ春秋会へ宇野先生を派遣
18日
会計監査会 丸山・西丸・古賀・戸田
第6回理事会 10名
第4回代表者会議 37名
※ 毎週木曜日カラオケダンス愛好会手伝い=田村・内山
※ 老壮の友荷造り、買い物、宇野先生手伝い等=内山
※ 銀行他外回りの手伝い=内海
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